その開が陸上自衛隊に入隊したのは平成8年3月。
その原隊(初任地)は極寒の北海道で、先述のように対ソ連(ロシア)戦闘の最前線と位置づけられてきた、第3普通科連隊(名寄)である。
そしてこの名寄で、第3普通科連隊小銃小隊長を任された時に着任してきた連隊長が、あの火箱芳文(第18期)であった。
(画像提供:陸上自衛隊第51普通科連隊公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第51普通科連隊公式Webサイト)
いうまでもなく火箱は、第32代となる陸上幕僚長を務めた最高幹部だ。
第3普通科連隊長ポストは、陸自の連隊長相当ポストでもっとも多くの陸上幕僚長を排出しているエースの指定席であったが、そのエースの中のエースであった火箱から直接、開は小隊長として薫陶を受けたことになる。
きっと、とんでもなく怒られ、厳しい指導を受けたと思われるが、やはり自分を作り上げたものは原隊経験と、多くの幹部自衛官が口にする。
そして、開自身が第51普通科連隊長の要職を任された時にまず思い浮かんだのは、原隊で指導を受けた連隊長像であったはずだ。
その原隊が名寄であったことは、開にとってこれ以上無い経験と思い出になったのではないだろうか。
では最後に、その開と同期である40期組の・・・と言いたいところだが、40期組は2021年に最初の陸将補が選抜される年次であり、2018年現在では1選抜(1番乗り)でも、1等陸佐の階級にある。
そのため、1ページでご紹介できる人数ではとてもないために、詳細は割愛したい。
なお40期組は、防衛大学校が初めて女性を受け入れた女子1期生の年にあたるが、その40期組からは多くの女性幹部が1選抜で1等陸佐に昇っている。
手元にある資料で判明している分で、なおかつ防衛省の公式Webサイトで画像が確認できた女子1期生の1選抜は弥頭陽子(第40期)だけだったので、とりあえず特筆しておきたい。
(画像提供:防衛省防衛白書2012公式Webサイト)
第10通信大隊の中隊長や、第5次イラク復興支援群の要員としてイラクに渡るなど、まだまだ男社会の陸上自衛隊の中で、女性として非常な成果を残してきた最高幹部である。
きっと、弥頭を始めとした優秀な女性1期生の中から、女性初の陸将補が誕生する日も近いのではないだろうか。
その日を楽しみに待ちたい。
開については、第3普通科連隊で鍛えられ、さらに中央即応集団や第51普通科連隊長などで知見を積んだ幹部である。
新しい時代の陸自の在り方を中心になって背負っていく最高幹部の一人であることは間違いなく、今後もさらに活躍の場を広げていってくれることだろう。
その動向には特に注目を続け、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊第51普通科連隊公式Webサイト)
◆開雅史(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
8年3月 陸上自衛隊入隊(第40期)
8年10月 第3普通科連隊中隊付(名寄)
9年3月 第3普通科連隊小銃小隊長(名寄)
11年3月 情報小隊長
12年3月 情報幹部
14年8月 運用訓練幹部
15年3月 幹部候補生学校区隊長(前川原)
16年8月 幹部学校付指揮幕僚課程(目黒)
18年8月 中央即応集団(習志野)
23年4月 統合幕僚幹部運用部運用第1課(市ヶ谷)
26年3月 西部方面総監部防衛課運用班長(健軍)
27年7月 1等陸佐
27年8月 幹部学校付(海上自衛隊幹部学校幹部高級課程・目黒)
28年3月 幹部学校付(統合幕僚学校統合高級課程・目黒)
28年8月 第51普通科連隊長
30年8月 陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部指揮通信システム課企画班長
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