小林茂(こばやし・しげる)|第27期・陸上自衛隊

小林茂は昭和35年11月生まれ、宮城県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第27期の卒業で幹候64期、出身職種は野戦特科だ。

平成28年7月(2016年7月) 第8代中央即応集団司令官・陸将

前職は防衛大学校幹事であった。

なお、中央即応集団司令官としての指導方針は以下の通り。

【統 率 方 針】「即動必遂」
【要 望 事 項】「唯一無二の誇りと練度を維持せよ」「感性を磨け」

2018年3月で廃止が決まっている、CRF(中央即応集団)最後の司令官である小林だ。

数々の海外派遣や災害救助で国益と国家・国民のために力を尽くしてきた中央即応集団であったが、陸自大改革の一環としてその栄光の歴史に幕を降ろし、隷下各部隊は同時期に新設される陸上総隊へ編入されることになっている。

CRFは、我が国陸上戦力の精鋭中の精鋭であり、海外派兵でも国内の災派(災害派遣)の現場でも、もっとも困難な任務に正面からぶつかり続けた部隊だ。

南スーダンにおける国連南スーダン共和国ミッション (UNMISS)では、現地に先遣隊として乗り込みその任務に道筋をつけ、総員無事に帰国したことなどが記憶に新しい。

東日本震災においては、福島第一原発のまさにその現場で指揮を統括し、また実働部隊として鎮火・事態の収集にあたった。

文字通り、誇り高き精鋭たちの集団であり、その組織は編成が変わり消滅しても、陸上自衛隊の歴史に、その名前は長く語り継がれるだろう。

なお、そのCRF隷下部隊を引き継ぐことが決まっている陸上総隊だが、有事に際し、防衛大臣の命令があれば2つ以上の方面隊を指揮下に収めて実戦指揮を執る可能性がある組織だ。

その司令官には、我が国で最も大きな指揮権が付与される可能性があり、まさに陸自大改革の中心となる部隊と言ってもよい。

では、その初代司令官に小林がそのまま横滑りで着任するかと言えば、正直かなり厳しいものがあるだろう。

小林の指揮経験や能力に問題があるという意味ではもちろんない。

2つ以上の方面隊を指揮下に収める可能性がある以上、方面総監経験者が着任することが予想されるためであり、小林には方面総監経験がないということだ。

詳細な人事予想は下記、

【コラム】初代陸上総隊司令官人事予想|2017年10月

で詳述しているのでここでは割愛するが、このポストには原則として次期陸上幕僚長候補の筆頭者が座ることになるだろう。

その為おそらく小林は、CRF司令官のポストを最後に、2018年3月で退役となる可能性が高い。

では次に、その小林のキャリアを、少し詳細に見てみたい。

小林は、27期組のスーパーエリートであり、陸上幕僚長候補筆頭の一人”だった”。

だったと言うからには、今は違うということを意味するが、それもそのはずであり、既に第27期組の出世レースは山崎幸二(第27期)が制し、第36代陸上幕僚長に着任している。

通常、同期が幕僚長に昇ると、その他の将官は退職勧奨を受けるのが慣例だが、山崎の陸幕長就任は予定された時期よりも1年早くなってしまったために、2017年11月現在でもなお、27期の将官の多くがポストに留まっている状況である。

小林もその一人だが、陸幕長の山崎、東北方面総監の山之上哲郎(第27期)と並び、平成28年7月までは、陸上幕僚長候補筆頭の1人であった。

(肩書はいずれも、2017年11月現在)

山崎、山之上、小林の3名はいずれも1選抜(1番乗り)で1等陸佐、陸将補、陸将に昇り、それぞれ師団長に昇った時期も同じ平成26年8月。

さらに師団長の後職として、陸上幕僚長候補者たちが昇る統合幕僚副長、陸上幕僚副長、防衛大学校幹事に昇った時期も同じ平成27年8月である。

ちなみに統合幕僚副長には山崎が、陸上幕僚副長には山之上が、防衛大学校幹事には小林が就いた。

ここまでは完全に横一線であり、後は後職で方面総監に昇ったものの中から陸上幕僚長が選ばれるという流れであった。

そして平成28年7月の異動で、山崎が北部方面総監に昇り、山之上が東北方面総監に昇ったタイミングで、小林はCRF司令官に就いた。

CRF司令官はもちろん、要職中の要職であり極めて重いポストだが、全軍を俯瞰することを要求されるキャリアとはならない。

そのため、全軍を俯瞰する能力が求められる方面総監が、陸上幕僚長へのルートになっているわけだが、この際に方面総監の空きポストは、タイミングの関係で2つしか無かった。

そのため27期の陸上幕僚長候補レースから小林が外れた形になったわけだが、言い換えれば、最後の最後まで陸上幕僚長候補であったスーパーエリートである。

栄光ある最後のCRF司令官として歴史に名を残すという名誉を与えられ、その組織の栄光とともに、小林の名前もこの先長く、陸上自衛隊の中で語り継がれるだろう。

先述のように一般に自衛隊では、同期がトップに就くとそれ以外の将官は時期を見て退役することが慣例になっている。

そのため、小林についてはCRFが解散される2018年3月で退役となる可能性が高いだろう。

そして今、新設される陸上総隊設立の準備と、隷下部隊のスムーズな再編のために、最後の大仕事をこなしているところだ。

誇り高い武人であり、また我が国の平和と安全のために輝かしい成果を残し続けた小林。

その我が国に対する献身的な貢献と、数々の功績を決して忘れることはないだろう。

この記事をポストしている時から数えてあと4ヶ月。

最後の大仕事を完遂し活躍する小林を、最後まで注目して追っていきたい。

本記事は当初2017年7月11日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月26日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

なお小林は野戦特科のスペシャリストであり、北は東北から南は沖縄まで広く日本中の部隊で指揮を執ってきたが、意外にも趣味は読書で、好きなジャンルはミステリーである。

中でもお気に入りは「ビブリア古書堂の事件手帖」であり、また若い頃に読んだ本で役に立ち、後進にぜひ読んでもらいたい本として、

『創造の方法学』(高根正昭著)
『論理的思考』の方法(リチャード・L・パーティル著、松本道弘訳)
『推計学のすすめ』(佐藤信著)

の3冊を挙げている。

これを読めば小林のようになれ、そして陸将まで出世できるというわけにはいかないが、陸自の最高幹部に登りつめた男の血肉になった蔵書である。

是非機会があれば、手にとって欲しい。

なお余談だが、小林は第3師団長であった2015年の大相撲春場所において、国歌斉唱の役割をそれまでの大阪市音楽団(現・オオサカ シオンウインドオーケストラ)から引き継ぎ、第3師団音楽隊の任務として引き受けた。

従来、大相撲の国歌斉唱はそれぞれの場所を管轄する陸自音楽隊が引き受けていたのだが、大阪は伝統的に左翼勢力の強い土地柄であり、辻元清美氏などに代表される左派系の論客が力を持っている地域だ。

その為、何かと自衛隊の活動に理解が進まなかったのではないかと推測をしているが、大阪市音楽団が廃止され民間団体になり、出演料の折り合いがつかなかったことなどから第3師団音楽隊に白羽の矢が立ち、これを小林が快く受け入れた形となった。

小さなことのようだが、これも小林がやり遂げた小さくて大きな仕事の一つであろう。

◆小林茂(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
58年3月 陸上自衛隊入隊(第27期)
59年3月 第1特科連隊(駒門)

平成
6年1月 3等陸佐
9年3月 2等陸佐
14年1月 幹部学校付 1等陸佐
14年8月 陸上自衛隊研究本部研究員
15年7月 陸上幕僚監部運用課運用支援第1班長(市ヶ谷)
17年7月 第9特科連隊長(岩手)
19年3月 陸上幕僚監部人事部人事計画課長(市ヶ谷)
20年8月 陸将補
21年3月 富士学校特科部長(富士)
22年7月 陸上幕僚監部運用支援・情報部長(市ヶ谷)
24年7月 第15旅団長(那覇)
26年8月 第3師団長(千僧) 陸将
27年8月 防衛大学校幹事
28年7月 中央即応集団司令官(座間)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

陸上自衛隊、中央即応集団公式Webサイト(顔写真及び着任式写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/pa/topics/280701_fcg_chakunin.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/pa/message/index.html

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コメント

  1. -w- より:

    予想が当たりませんね。
    それくらい難しい問題なのでしょうけれども…