その小林は、27期組のスーパーエリートであり、陸上幕僚長候補筆頭の一人”だった”。
だったと言うからには、今は違うということを意味するが、それもそのはずであり、既に第27期組の出世レースは山崎幸二(第27期)が当確を決め、第36代陸上幕僚長に着任している。
通常、同期が幕僚長に昇ると、その他の将官は退職勧奨を受けるのが慣例だが、山崎の陸幕長就任は予定された時期よりも1年早くなってしまったために、2017年11月現在でもなお、27期の将官の多くがポストに留まっている状況にある。
(画像提供:陸上自衛隊中央即応集団公式Webサイト)
小林もその一人だが、陸幕長の山崎、東北方面総監の山之上哲郎(第27期)と並び、平成28年7月までは、陸上幕僚長候補筆頭の1人であった。
(肩書はいずれも、2017年11月現在)
山崎、山之上、小林の3名はいずれも1選抜(1番乗り)で1等陸佐、陸将補、陸将に昇り、それぞれ師団長に昇った時期も同じ平成26年8月。
さらに師団長の後職として、陸上幕僚長候補者たちが昇る統合幕僚副長、陸上幕僚副長、防衛大学校幹事に昇った時期も同じ平成27年8月である。
ちなみに統合幕僚副長には山崎が、陸上幕僚副長には山之上が、防衛大学校幹事には小林が就いた。
ここまでは完全に横一線であり、後は後職で方面総監に昇ったものの中から陸上幕僚長が選ばれるという流れであった。
そして平成28年7月の異動で、山崎が北部方面総監に昇り、山之上が東北方面総監に昇ったタイミングで、小林はCRF司令官に就いた。
CRF司令官はもちろん、要職中の要職であり極めて重いポストだが、全軍を俯瞰することを要求されるキャリアとはならない。
そのため、全軍を俯瞰する能力が求められる方面総監が、陸上幕僚長へのルートになっているわけだが、この際に方面総監の空きポストは、タイミングの関係で2つしか無かった。
そのため27期の陸上幕僚長候補レースから小林が外れた形になったわけだが、言い換えれば、最後の最後まで陸上幕僚長候補であったスーパーエリートである。
栄光ある最後のCRF司令官として歴史に名を残すという名誉を与えられ、その組織の栄光とともに、小林の名前もこの先長く、陸上自衛隊の中で語り継がれるだろう。
先述のように一般に自衛隊では、同期がトップに就くとそれ以外の将官は時期を見て退役することが慣例になっている。
そのため小林については、CRFが陸上総隊に引き継がれる2018年3月で退役となる可能性が高いだろう。
そして今、新設される陸上総隊設立の準備と、隷下部隊のスムーズな再編のために、最後の大仕事をこなしているところだ。
誇り高い武人であり、また我が国の平和と安全のために輝かしい成果を残し続けた小林である。
最後の大仕事を完遂し活躍する小林を、最後まで注目して追っていきたい。
※
本記事は当初2017年7月11日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月26日に整理し、改めて公開した。
なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。
(画像提供:陸上自衛隊中央即応集団公式Webサイト)
なお小林は野戦特科のスペシャリストであり、北は東北から南は沖縄まで広く日本中の部隊で指揮を執ってきたが、意外にも趣味は読書で、好きなジャンルはミステリーである。
中でもお気に入りは「ビブリア古書堂の事件手帖」であり、また若い頃に読んだ本で役に立ち、後進にぜひ読んでもらいたい本として、
『創造の方法学』(高根正昭著)
『論理的思考』の方法(リチャード・L・パーティル著、松本道弘訳)
『推計学のすすめ』(佐藤信著)
の3冊を挙げている。
これを読めば小林のようになれ、そして陸将まで出世できるというわけにはいかないが、陸自の最高幹部に登りつめた男の血肉になった蔵書である。
是非機会があれば、手にとって欲しい。
なお余談だが、小林は第3師団長であった2015年の大相撲春場所において、国歌斉唱の役割をそれまでの大阪市音楽団(現・オオサカ シオンウインドオーケストラ)から引き継ぎ、第3師団音楽隊の任務として引き受けた。
従来、大相撲の国歌斉唱はそれぞれの場所を管轄する陸自音楽隊が引き受けていたのだが、大阪は伝統的に左翼勢力の強い土地柄であり、辻元清美氏などに代表される左派系の論客が力を持っている地域だ。
その為、何かと自衛隊の活動に理解が進まなかったのではないかと推測をしているが、大阪市音楽団が廃止され民間団体になり、出演料の折り合いがつかなかったことなどから第3師団音楽隊に白羽の矢が立ち、これを小林が快く受け入れた形となった。
小さなことのようだが、これも小林がやり遂げた小さくて大きな仕事の一つであろう。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
◆小林茂(陸上自衛隊) 主要経歴
昭和
58年3月 陸上自衛隊入隊(第27期)
59年3月 第1特科連隊(駒門)
平成
6年1月 3等陸佐
9年3月 2等陸佐
14年1月 幹部学校付 1等陸佐
14年8月 陸上自衛隊研究本部研究員
15年7月 陸上幕僚監部運用課運用支援第1班長(市ヶ谷)
17年7月 第9特科連隊長(岩手)
19年3月 陸上幕僚監部人事部人事計画課長(市ヶ谷)
20年8月 陸将補
21年3月 富士学校特科部長(富士)
22年7月 陸上幕僚監部運用支援・情報部長(市ヶ谷)
24年7月 第15旅団長(那覇)
26年8月 第3師団長(千僧) 陸将
27年8月 防衛大学校幹事
28年7月 中央即応集団司令官(座間)
30年3月 陸上総隊司令官
30年8月 陸上総隊司令官の補職を最後に勇退
予想が当たりませんね。
それくらい難しい問題なのでしょうけれども…
-w-様こんにちは。
はい、壮大に外してしまいました・・・