【退役】橋本尚典(防衛装備庁長官官房装備官)|第27期・航空自衛隊

橋本尚典(はしもと・なおのり)は昭和35年1月生まれ、熊本県出身の航空自衛官。

防衛大学校第27期の卒業で幹候73期、出身職種は判明しないが、あるいはそのキャリアから考えれば航空機整備であろうか。

平成30年8月(2018年8月) 防衛装備庁長官官房装備官・空将のポストを最後に勇退となった。

前職は航空幕僚監部装備計画部長であった。

【以下、2018年8月3日加筆】

技術系の最高幹部であった橋本が、長かった自衛官生活に別れを告げ2018年8月1日、退役となった。

空将に昇り最初の補職が防衛装備庁長官官房装備官。

このポストがそのまま、勇退のポストとなった。

自衛隊が調達・開発するべき装備について、専門的な知見からその意思決定に携わる極めて重要な役職だが、まさに長年に渡り、技術系の知見で日本の安全保障を支え続けた橋本の勇退ポストとしてふさわしいものだったのではないだろうか。

その在職期間は2年半を超える長いものだったが、このポストでの橋本の仕事が実際に活きてくるのは5年後、10年後ということになる。

いわば橋本の仕事は、我が国の未来の安全をも背負い続け、さらに長年に渡り、日本の平和を守り続けていくだろう。

35年もの長きに渡った、自衛官生活であった。

突然訪れた、任務のない朝はどこか張り合いがないかもしれないが、まずはごゆっくりとお過ごしになって、積年の疲れを癒やして下さい。

そして新たに始まるであろう橋本空将の第二の人生も充実した素晴らしいものとなりますことを、心からお祈り申し上げております。

本当に、お疲れ様でした。

そして、本当にありがとうございました。

【以下、2018年7月4日までの過去記事】

2018年7月現在、防衛装備庁長官官房装備官を務める橋本だ。

なお橋本、陸海空で58名を数える現役の将(陸将、海将、空将)の中では、最後のご紹介となる。

なぜ最後になったのか、それには理由があって、単純に防衛省の2次利用可能な画像がどれだけ探しても、全く見つけることができずにいたからである。

しかし、橋本は27期だ。

現職も既に2年半を越えて、長かった航空自衛官生活最後の補職になることは、まず間違いないだろう。

あるいは2018年夏の将官人事で退役となってしまうかも知れず、もうご紹介できるタイミングがリミットに近づいている。

そのためやむを得ず、橋本の写真無しでそのご活躍を記事にさせて頂くことにした、という次第である。

なお、イメージ画像としてご登場をお願いするのは全て、航空自衛隊第8航空団が誇るイケメン航空機整備士の福田泰己・3等空曹。

8空名物の「西空よか男」コーナーで紹介されており、ファンメールも受付中とのことだ。

そのため、画像引用元は全てこちらになっている。

画像提供:航空自衛隊西部航空方面隊公式Webサイト

なお、好きな女性のタイプは「自分の笑いに付き合ってくれる人」とのこと。

全国の独身女性の皆さん、われこそはと思う方はぜひ、国防を支える若き武人を支える存在に立候補して下さい!

話を橋本に戻したい。

橋本は、2015年12月から防衛装備庁長官官房装備官を務める。

このポストは、装備品などの開発について専門的・技術的な観点から総合的な整理を行うものであり、陸海空それぞれから将が1名、補職されている。

我が国の防衛構想について、その将来設計を大きく左右すると言っても良い極めて重要なポストであり、技術系幹部の最高に名誉ある補職の一つと言ってよいだろう。

それだけ重要なポストを任される橋本のことだ。

そのキャリアは現場にあっては航空機整備の要職を歴任し、中央では装備系の主要幹部を歴任してきた。

また職種学校長にも着任しており、航空機の整備や補給に関する術科を教育する航空自衛隊第1術科学校長を経験。

職種の最高幹部として昇るところまで昇り詰め、全軍を俯瞰するより大きなポジションから航空自衛隊の制度設計を任されるに至った、文字通り我が国の国防を支え続けた最高幹部である。

では、そんな橋本はこれまでどんなキャリアを歩んできたのか。

もう少し詳しく見ていきたい。

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