岡田豊(おかだ・ゆたか)は福岡県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第42期の卒業で幹候79期、職種は普通科だ。
生年月日は判明しないが、第42期組であれば寄り道無しの場合、昭和50年度の生まれにあたる。
令和2年3月(2020年3月) 第10即応機動連隊長兼ねて滝川駐屯地司令・1等陸佐
前職は陸上幕僚監部運用支援・訓練部運用支援課であった。
なお、第10即応機動連隊長兼ねて滝川駐屯地司令としての指導方針は以下の通り。
【統率方針】
「一丸(One Team」
【連隊長要望事項】
「為すべき事を為すべき時に為せ」
「家族を大切に」
「抑止・対処の要となる『国家の宝』の育成」
【駐屯地司令要望事項】
「郷土と共にある強靭な滝川駐屯地の創造」
(画像提供:小島肇・元2等陸佐)
(画像提供:滝川駐屯地公式ツイッター)
2020年7月現在、第10即応機動連隊長兼ねて滝川駐屯地司令を務める岡田の活躍のご紹介だ。
第10即応機動連隊は2019年3月、第10普通科連隊を廃止し設置された部隊で、普通科、機甲科、野戦特科、高射特科を中心とした、諸職種の戦力が混成された部隊である。
2017年3月から実施されている陸自大改革の目玉とも言える新戦力で、あらゆる事態に機動的に駆けつけ、初期消火にあたる、陸自の新戦略思想の中心となる担い手だ。
そんな誇りある部隊の2代目の連隊長が、岡田ということになる。
なお今回も、お写真のいくつかを私の自衛隊の師匠、小島肇(第19期)・元2等陸佐にお貸し頂いている。
小島様、いつもありがとうございます!
岡田のご紹介に戻りたい。
我が国の安全保障の骨幹を任されるような岡田である。
そのキャリアは非常に充実しているが、あえて1つ挙げるとすれば、それは平成22年2月から任された、UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)司令部要員として現地に赴いた任務だろうか。
自衛隊関係者でもない限り、もはや覚えている人もほとんどいないと思うが、UNDOFは中東・ゴラン高原で行われた国連平和維持活動の一つである。
自衛隊もこの国連の活動に兵力を派遣したのだが、そもそもこのUNDOFの活動そのものが、イスラエル軍とシリア軍の間に物理的に割って入り、停戦を監視しようとするものであった。
もっとも、自衛隊は憲法の制約もあり主にその後方支援活動が主任務であったが、もちろん後方だからといって安全であるはずもなく、むしろ兵站の撹乱は戦場の常だ。
そのため命の危険と隣り合わせの非常に厳しい任務であり、主に、
・各宿営地や港湾・空港間における輸送業務
・輸送に必要となる道路など各種インフラの整備及び補修
・山岳地帯における除雪作業
・その他、UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の活動に必要な後方支援業務
といった重要な任務を任された。
なおここで言う任務はもちろん、一般に想像される平時・平地での輸送及び土木工事と言った生ぬるいものではない。
そもそもが、イスラエルと中東諸国が、国連軍が間に入らないと戦争を始めるような地域のど真ん中である。
その任務は非常な危険が伴うだけでなく、山岳地帯では2800m級の道路で除雪作業を行うなど、非常な困難を極めた。
実際に、平成25年にこの任務が打ち切られ、撤収が決まった際の理由は、治安の悪化による。
岡田はこのような厳しい任務に、司令部要員として赴いていたということである。
忘れっぽい私たちは、もはやUNDOFどころか現在進行系で進められているアフリカ・ソマリア沖の派遣海賊対処行動すら、意識して生活することはない。
しかしこのような海外での自衛隊の活躍は文字通り、命を懸けて我が国の国益を守ろうとする自衛官の活躍によって支えられている。
ぜひ、フランスワインを楽しんだ時、イベリコ豚のソテーを美味しいと思ったときには、その裏には自衛隊の活躍があることに、思いを馳せてもらえれば幸いだ。
そして岡田とはまさに、そんな国際貢献を”主戦場”として戦ってきた幹部自衛官である。
では、そんな岡田とは、これまでどのようなキャリアを歩んできたのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
(次ページに続く)
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