井川賢一(いがわ・けんいち)は昭和43年生まれの陸上自衛官。
防衛大学校第35期の卒業で幹候72期、職種は普通科だ。
平成29年12月(2017年12月) 第15旅団司令部幕僚長・1等陸佐
前職は研究本部主任研究開発官(水陸両用作戦研究室長)であった。
(画像提供:防衛省公式フェイスブック)
2019年2月現在、我が国でもっとも紛争に直面している地域を担当していると言ってよいだろう。
第15旅団司令部で幕僚長を務める井川だ。
野心を隠そうとしない中国人民解放軍からの圧迫を正面から受け止めるこの地において、幕僚長として旅団の実務を取り仕切るポジションで辣腕を振るう。
しかし井川の場合、現職での活躍よりもさらに、特にご紹介したい実績がある。
それは、平成25年12月から務めた第5次南スーダン派遣施設隊の隊長を務めたことだ。
南スーダンと言えば、自衛隊日報「隠蔽問題」とされる一連の騒動ばかりが印象に残っているかも知れないが、自衛隊が活動を行うにあたり、史上もっとも危険性が高かった地域の一つである。
特に井川が第5次隊を率いて現地入りし、指揮権を引き継いだ時と言えば、首都ジュバ市内で散発的な戦闘が発生している真っ最中。
そしてこの際、数千人にも昇る避難民が宿営地に隣接する国連施設に保護を求めて押し寄せ、自衛隊が対応に追われた。
さらにそれだけではなく、その後も宿営地の近くで戦闘が頻発する。
加えて、反政府勢力が首都に向かって進軍を開始した情報がもたらされた際、実は井川は、隷下部隊に対し実弾を装備し、異例の射撃許可命令を出している。
「正当防衛や緊急避難に該当する際には、迷わずに撃て」
という、指揮官として非常に重い命令である。
ぶっちゃけて言うと、南スーダンは戦場そのものであった。
こんなところに、中途半端な法整備で自衛官を派出しなければならない我が国の国民の意識は本当にこのままでいいのだろうか。
政治家は、なぜこんな危険な任務の進め方を現場の制服組に強いるのか。
余り政治的な主張はしたくはないが、憲法の制約があるために国際貢献活動に参加することもままならず、それでもなお国際貢献活動に出向いたら自衛官の命が失われるかも知れないというのなら、間違いなく憲法がおかしい。
私たち一般国民は、自衛官がこれほどまでの危険と隣り合わせになって世界平和に貢献していることを知らなさすぎる。
そしてそのご家族のご心労やご心配にも十分に寄り添えていない。
この状況において、政治の何が間違っていて何が正しいのか。
私たちはどのように、国の意志を示さなければならないのか。
いい加減に一般国民も、その意識を強く持ち、考えるべき時なのではないだろうか。
そんな大きなリスクと隣合わせで、それでもなお隷下部隊を全員無事に帰国させ、さらに任務を完遂した井川であった。
冒頭まず、その活躍についてどうしても触れておきたかったため、暑苦しい文章になってしまい、お詫びしたい。
では、そんな重責を果たした井川とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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