【退役】平栗浩一(第1施設団長・陸将補)|第29期・陸上自衛隊

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平栗浩一(ひらくり・こういち)は昭和36年9月生まれ、東京都出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候66期、出身職種は施設科だ。

 

平成30年12月(2018年12月)  第1施設団長兼古河駐屯地司令・陸将補のポストを最後に、陸上自衛隊を勇退となった。

前職は防衛大学校防衛学教育学群統率・戦史教育室長であった。

(画像提供:陸上自衛隊古河駐屯地公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊東部方面隊公式Webサイト

2018年12月、施設科の要職を歩み続けてきた平栗が、第1施設団長のポストを最後に退役となった。

平栗の記事を更新したのが2018年12月13日。

その翌日の、まさかの退役の人事発令となってしまった。

予想されていたこととは言え、平栗ほどの知見と実績を持つ将官の退役発表は、やはり寂しいものであった。

平成5年には、我が国がPKOなど国際貢献に本格的に参加し始めた頃のアフリカ・モザンビークに赴任し、過酷な環境の中で天幕に寝泊まりし、日本の国益と世界平和のために貢献。

その後も各地の施設科で指揮を執るなど、我が国が誇る陸上自衛隊の施設科らしい、数々の活躍を見せてくれた将官だった。

東日本大震災に際してもいち早く現地入りし、施設科の重機を用いた活躍で人命救助と震災復興に大きな貢献を見せた。

そんな数々の活躍の記録と記憶を残し、2018年12月20日、後進に道を譲り退役を迎えた。

 

この記事を記録しているのはその翌日の、2018年12月21日。

おそらく今日も、いつもどおりの時間に目がさめて、そして出勤する必要がないことに、改めて気がついた朝を迎えたのではないだろうか。

30数年ぶりとなる、何も任務のない朝、ただゆっくりと過ごせばいい年末年始というのは、どこか頼りないものと感じられるかもしれない。

しかし今はただ、蓄積した長年のお疲れを、どうぞ癒やしてくださいますことをお祈り申し上げたいと思う。

 

本当に、長年に渡る国防の任務、お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

平栗将補の第二の人生も、自衛官生活と同様に充実したものとなりますことを、心からお祈り申し上げております。

 

【以上、2018年12月21日】

※ここから下は、退役までに記載していた平栗将補のご紹介記事です。

 

2018年12月現在、茨城県の古河駐屯地に所在する、第1施設団長を務める平栗だ。

我が国の政治経済の中枢である首都圏を始め、広く甲信越や静岡もその担当地域に収める施設科部隊であり、その任務は非常に重く、平栗にかかる国民からの期待は非常に大きい。

 

これほどの要職を任される平栗のことだ。

その施設科幹部としてのキャリアはどれも印象深い仕事ばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、まだ30歳そこそこの若き士官であった頃に経験した、第1次モザンビーク派遣輸送調整中隊の小隊長を務めたことであろうか。

第1次モザンビーク派遣は、我が国が経験した3度目の海外への部隊派遣を伴うPKOであり、距離的にも心理的にも我が国と馴染みの薄い国での活動である。

あらゆる情報が不足する中、過酷な砂漠の気候下において天幕を張り野営し、食事や水はポルトガルやイタリアの部隊から分けて貰いながら部隊を展開した。

この際にモザンビークに派遣されたのは48名。

当時平栗が所属していた福島駐屯地からは平栗1名のみが選抜された派遣要員となったが、それだけ平栗にかかる期待が、若き士官の時代から大きかったということなのだろう。

 

なおこの派遣は、その前年の平成4年に国連職員である中田厚仁さんが、そして同じ平成5年には、文民警察官である高田晴行警視がカンボジアにおいて、武装集団に襲われ殉職した直後のことであった。

PKOに派遣されるということは、命の危険を意識しないワケがない情勢であったが、平栗は当時を振り返り、

「平和のための仕事がしたい、そして人のためになる何かを為したい、という渇望を満たしてくれる機会がとうとう巡ってきた、との思いのほうが強かった」

と話し、非常に高い士気を持ち現地に赴いたことを語っている。

しかしそれでも、日本に残すことになった妻子のことだけはどこまでも気掛かりであったようだ。

無事帰国し、空港に出迎えに来てくれた令夫人と幼いお子さんに再会し娘の指先の暖かさを感じた時、「自分の中の何かが溶けた」と、率直な想いを語っている。

そして、家族の再会に涙する周囲の様子を見て、無事に帰って来られたことを実感し、自分が極度の緊張の中で任務を果たしていたことに初めて気がついたと振り返る。

今も昔も変わらない、自衛隊海外派遣の一コマだ。

その大変さを知り尽くす平栗だからこそ、将官に昇ったとはいえ、部下を見る目は厳しくも暖かいのだろう。

平栗の頃から変わらず、劣悪な環境の中で我が国の国益のため汗にまみれ泥をかぶり、こんなにも献身的に活動する部隊が存在することを、深く心に刻みつけたい。

 

では、若年よりそのような大仕事をこなしてきた平栗とは、その後どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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