青木伸一(あおき・しんいち)は昭和41年3月生まれ、宮崎県出身の陸上自衛官。
防衛大学校32期の卒業で幹候69期、出身職種は普通科だ。
平成29年3月(2017年3月) 水陸機動団長兼ねて相浦駐屯地司令・陸将補
前職は西部方面総監部幕僚副長であった。
(画像提供:陸上自衛隊公式フェイスブック)
(画像提供:陸上自衛隊公式フェイスブック)
2019年1月現在、初代となる水陸機動団長を務め、相浦駐屯地司令も兼ねる青木だ。
陸上自衛隊史上初となる水陸両用作戦部隊、いわゆる日本版海兵隊を率いる最高幹部であり、我が国の離島防衛において重要な役割を務める。
その青木について。
1等陸佐以降の経歴で見ると、まさにこの、初代水陸機動団長に着任するにふさわしいポストで活躍を繰り返してきたが、その中でももっとも印象深いのは、やはり第3代の特殊作戦群長であろうか。
ご存知のように特殊作戦群は、第1空挺団を母体として生まれた、特殊作戦を受け持つ陸自の中でも最精鋭集団の一つである。
その必要性が認識される最初のきっかけとなった事件は、おそらく1999年3月に発生した「能登半島沖不審船事件」であろうか。
能登半島沖不審船事件は、北朝鮮の工作船を発見した海上保安庁と海上自衛隊が直ちに追尾を開始し、我が国史上初となる海上警備行動が発令される事態にまで発展した事件だ。
実際にこの時、海自の護衛艦からは実弾も発射されるなど、ギリギリの実力を行使することになったが、最後にはその逃走を許す形で事件は幕を閉じている。
そしてこの際、一旦は補足に成功し、北朝鮮の船に乗り込む準備に移った海自の護衛艦内では、重大な問題が発生していた。
それはなにか。
海上自衛隊の護衛艦乗組員には、このような形で実施される臨検訓練を受けた事がある者がいないだけでなく、そもそも任務として想定していなかったという事実だ。
そのため、北朝鮮の不審船に乗り込めば全員が命を落とす危険性すらあった。
しかし、命令は命令として実施しなければならないので、作戦実行者を決めて直ちに準備が始まることになる。
結局この時は、最後には北朝鮮船の船が逃げ切り、臨検が実施されることは無かったのだが、事件は日本政府に大きな意識変革を促した。
すなわち、足の早いミサイル艇の新規導入と、特殊作戦を実施することができる部隊を新たに作らなければならないという決心だ。
そしてその結果生まれたのが、海上自衛隊の特警隊(特別警備隊)であり、2001年3月に発足。
そして同様の戦力が不足している認識は陸自にもあったことから、海自の特警隊に遅れること3年となる2004年3月に、特殊作戦群も創設されている。
意外なようだが、特殊作戦の実施を目的とした正式な部隊は、陸自よりも海自のほうが早い。
※陸自の空挺、山岳、冬期の各レンジャー教育課程は、特殊作戦の実行を目的とする隊員を育てる側面がもちろん強く、古くから実施されている。
そして誕生した特殊作戦群で、もはや伝説の陸上自衛官と言ってもよいであろう初代の荒谷卓(第26期相当)、2代目となる古田清悟(第29期)の後を継ぎ、3代目の群長に着任したのが青木であった。
平成21年(2009年)12月のことであり、形になり始めたこの組織をさらに発展させる、大きな任務を任されての着任であった。
以降の青木は、この任務を任され大きな成果を残したことで、その後の自衛官人生が決まった印象があるほどに重い責任を担い、厳しいポストを歴任していくことになる。
では、そんな青木とはこれまで、そしてその後、どんな自衛官生活を歩むことになったのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見て行きたい。
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