岡田真典 (おかだ・まさのり)|第30期・海上自衛隊

岡田真典は昭和38年4月生まれ、愛知県出身の海上自衛官。

防衛大学校第30期の卒業で幹候37期、出身職種は飛行で、SH-60回転翼機操縦士だ。

平成28年7月(2016年7月) 第24代開発隊群司令・海将補

前職は第51航空隊司令であった。

2018年3月現在、開発隊群司令を務める岡田だ。

海上自衛隊入隊以来、SH-60のパイロットとして回転翼航空機の現場で数多くの部隊を指揮。

その豊富なキャリアを活かし、平成26年8月からは第51航空隊司令に着任した経歴を持つ。

第51航空隊は、厚木に所在する実験と開発を目的とした航空隊であり、その任務の性質から回転翼機も固定翼機も運用し様々なテストを行い、海自航空部隊に貢献する。

そして平成28年7月からは開発隊群司令に着任し、主に海自艦艇・航空機に関する装備について、その試験を行い運用を改善・研究する責任者を務める。

いわば、現場を知り尽くした上で、それを上流で改善する大役を任された海将補である。

そんな岡田のキャリアだが、おそらく今も忘れがたいのは、2011年8月から着任した第25航空隊司令での現場ではないだろうか。

この時期、大湊の航空隊にとっては試練の日々が続く。

2012年2月には吹雪の中、滑走路上を低空飛行訓練中であったSH-60Jが横転し、搭乗員一名が負傷する事故を起こす。

そして2012年4月には、練習艦隊を見送っていた第25航空隊所属のSH-60が、護衛艦まつゆきにローターを接触させ陸奥湾に墜落。

乗員7名のうち6名が救出されたが、機長であった宮永雅彦・2等海佐(特別昇任)37歳が、大変痛ましいことに殉職される大事故となってしまった。

この事故を巡っては、最終的に機長であった宮永2佐の人為的ミスが主な原因という事故調査報告が為されたが、航空機事故は単一の原因で発生するようなものではなく、むしろたったひとつの単純なヒューマンエラーで事故が起こりえると言うのであれば、それはもはやまともな航空機ではない。

その意味において、なんともやりきれない事故原因の発表となったが、軍事組織である海上自衛隊として、一般に公開出来ること、出来ないことがあるのだろう。

あるいは別の事故原因があるのであろうと思われるが、いずれにせよ非常に辛い事故になってしまった。

また、宮永2佐の通夜・告別式にはそれぞれ1000名を越える参列者が集まり、2佐の生前のお人柄や人徳が偲ばれる、とても寂しいお別れの会となった。

なお、宮崎県選出で自民党所属の衆議院議員である武井俊輔氏は、亡くなった2佐とは同級生であり、武井議員の公式Webサイトにはお通夜から出棺まで、故人とそのご家族とともに2佐を見送った様子が詳細に描かれている。

それによると、2佐の5歳になるご令息は最後まで気丈に振る舞い、出棺にあたり2佐の顔をしっかりと見つめ棺に花を入れながら、

「僕、頑張るからね」

と語りかけたそうだ。

また、大きくなったら2佐の跡を継ぎ、ヘリコプターパイロットになると、父の葬式で繰り返し語っていたとも記されている。

小さな体に大きな志をもつ、この2佐の忘れ形見であるご令息は、きっと将来、誇り高い海上自衛官になってくれることだろう。

そしてきっと、大きな父の背中を越えた幹部自衛官として、活躍してくれるに違いない。

それは今から、何年後であろうか。

何年後であっても、宮永という凄腕の回転翼機操縦士を海上自衛隊で見つけたら、このエピソードをぜひ思い出して欲しい。

(通夜・葬儀の模様を記した武井議員の記事はこちら

なお、岡田の在任中に事故が連続してしまった第25航空隊だが、その為であろうか。

岡田の25航空隊の後職は航空集団司令部訓練主任幕僚。

事故の教訓を活かし、航空機事故の再発防止を任務に、空幕で職務にあたった。

殉職した2佐の魂が安らかに、後進を見守ってくれることを祈りたい。

ところで、2018年3月現在、岡田が指揮を執る開発隊群だが、海将補が就くポストでありながら、余り一般にその存在を知られていない。

画像は瀬戸内海を航行する試験艦あすかだが、直轄艦はこのあすかのみで、海上自衛隊の艦艇や航空機の文字通りの試験や実験、開発を担当する専門の部署だ。

51航空隊に続き、開発系のポストを歴任したことになるが、あるいは後職では同様に、開発を担当する海幕の要職に着任することになるかも知れない。

さて、その岡田について、30期同期の動向と併せて人事の動きも見てみたい。

岡田が海上自衛隊に入隊したのは昭和61年3月。

1等海佐に昇ったのは平成17年7月だったので、30期組同期1選抜から半年の遅れであった。

そして海将補に昇ったのが28年7月だったので、1等海佐に10年間在り、極めて豊富な現場指揮を積み上げた上での、将官昇任であった。

なお、30期組は2017年夏の将官人事で最初の海将が選抜された年次にあたる。

そして2017年冬の将官人事で昇任したものと併せ、30期組で海将にある最高幹部は以下の通りだ。

出口佳努(第30期相当)・統合幕僚学校長(2017年8月)

湯浅秀樹(第30期)・海上自衛隊幹部学校長(2017年12月)

※肩書は2018年3月現在。( )は海将昇任時期。

あるいは2018年3月の将官人事で、30期組から海将に昇るものが出るかも知れないが、この記事をポストしている3月13日現在では上記2名となっている。

海上自衛隊では、そもそも将官に昇る幹部の数が少ないので、1選抜で海将に昇ることが必ずしも海上幕僚長候補レースで決定的なアドバンテージを握ることを意味しない。

そういった意味では、2018年夏の将官人事までを見ないと、まだまだ30期組で抜け出すのは誰か、判断できなさそうだ。

とは言いながら、1選抜で海将に昇った出口が一般大学出身者というのは特筆するべき快挙だろう。

凄いことであり、ぜひこの笑顔の素敵な統幕校長には注目して欲しい。

岡田については、先述の通り研究開発系でさらに要職を歴任することになるのではないだろうか。

あるいは防衛装備庁に赴き、より大きな仕事を任される事があるかも知れない。

いずれにせよ、この先5年ほどは、岡田を始めとした30期組が我が国の平和と安全の中枢を担っていく世代となる。

その活躍には一層注目し、そして応援していきたい。

本記事は当初2017年7月19日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年3月13日に整理し、改めて公開した。

◆岡田真典(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 海上自衛隊入隊(第30期)

平成
9年1月 3等海佐
13年1月 2等海佐
13年8月 第101飛行隊長
15年2月 海上幕僚監部運用課
17年7月 1等海佐
18年8月 統合幕僚学校教官
19年8月 統合幕僚監部指揮通信システム部指揮通信システム企画課統合通信体制班長
21年8月 第21航空隊副長
22年2月 第21航空隊司令
23年8月 第25航空隊司令
24年7月 航空集団司令部訓練主任幕僚
26年8月 第51航空隊司令
28年7月 開発隊群司令 海将補

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 開発隊群公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/frdc/about/frdc.html

※試験艦あすかの画像は、自ら撮影したものを用いている。

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