北村靖二(きたむら・やすじ)は昭和41年4月26日生まれ、埼玉県入間市出身の航空自衛官。
順天堂大学体育学部を平成元年3月に卒業し航空自衛隊に入隊しているので、第33期相当で幹候79期と言うことになる。
職種は飛行だ。
平成28年12月(2016年12月) 第3輸送航空隊司令兼美保基地司令・1等空佐
前職は航空自衛隊幹部学校計画課勤務であった。
なお、第3輸送航空隊司令兼美保基地司令としての指導方針は以下の通り。
【指導方針】
不断前進
(画像提供:防衛省イラク派遣隊公式Webサイト)
(画像提供:防衛省イラク派遣隊公式Webサイト)
2018年9月現在、第3輸送航空隊司令兼ねて美保基地司令を務める北村だ。
第3輸送航空隊は航空支援集団隷下、ゲゲゲの鬼太郎で知られる鳥取県境港市の美保基地に所在する。
その運用する空港は、航空自衛隊での名称は美保飛行場だが、一般には米子空港として知られ、自衛隊と民間、さらに海上保安部も美保航空基地として共用している。
北村自身もパイロットであり、C-1、C-130H、U-4を操縦するベテランパイロットだ。
2018年9月現在で、我が国の国防の要である輸送力と機動力を支え、陸上自衛隊とともに新しい時代の国防体制を担うキーマンの一人と言ってよいだろう。
その北村。
米空軍第463航空輸送群に交換幹部として勤務するなど、非常に充実したキャリアを誇る高級幹部だが、中でも印象的な配置はやはり平成20年8月から務めた第16期イラク復興支援派遣輸送航空隊の司令ポストだろうか。
この任務は、イラク戦争終結後のイラクにあって、人道復興支援活動及び安全支援活動として行われたものだ。
具体的には、国連及び多国籍軍の人員、物資等を航空自衛隊がC-130輸送機により輸送し、後方支援任務を行ったものである。
北村はその第16期の司令として現地に赴き、まだまだ危険が伴うイラクの上空を繰り返し空輸任務で飛んだ。
なおこの際の空路は、クウェートのアリ・アル・サレム空軍基地とバクダット国際空港、さらにイラク北部のエルビル飛行場をC-130輸送機で結ぶものだったが、これらはまさに、激戦の痕跡も残る生々しい空域だ。
北村はこの非常に緊張感が伴う任務を、200名の部下を率いて4ヶ月間に渡り現地で指揮し、そして無事に任務を完遂した。
おそらく、長い航空自衛官生活の中でも、記憶に残る任務の一つになったのではないだろうか。
ちなみに上記写真は2枚とも、イラク派遣部隊指揮官当時の写真である。
2008年の写真なので、42歳の頃の北村で、当たり前だが今よりも相当若い。
1佐に昇任したばかりのイケメン中堅幹部のかっこいい勇姿であったために、北村のトップ画像で使用させて頂いた。
では、そのように困難な任務や要職を任されている北村とは、その他にどのようなキャリアを歩んできた幹部なのか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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