荒木哲哉は昭和39年2月生まれ、東京都出身の航空自衛官。
防衛大学校は第31期、幹候は77期の卒業だ。
平成29年8月(2017年8月) 航空幕僚監部総務部長・空将補
前職は幹部候補生学校長 兼ねて 奈良基地司令であった。
2018年2月現在、航空幕僚監部総務部長を務める荒木だ。
31期組トップエリートの一人であり、その経歴は極めて充実した、エリート自衛官らしい職歴に溢れている。
2等空佐であった平成15年4月からは、第27代航空幕僚長・津曲義光(第13期)の副官を務めるなど、若年の頃から上層部の信頼も厚い、存在感の大きな幹部である。
その荒木のキャリアの中でも、一際目を引くキャリアはやはり平成18年から派遣された、米中央軍の連絡将校であろうか。
この時期はイラク戦争の終結から3年後にあたるが、イラク戦争の大義や戦後処理を巡り、様々な問題が多発していた時期にあたる。
また、2001年から続くアフガン戦争が激化し、イスラエルのガザ・レバノン侵攻が勃発した年でもあり、アメリカが直接・間接に世界中の戦争に関わっていた時期と言っても良い。
つまりこの時期に米中央軍に派遣されるということは、米軍の真意を見抜き、日本政府に対しその意思決定を行う上で欠かせない情報を提供する重い役割を担っていたと言うことである。
なおこの時期に米中央軍に派遣されていたのは、例えば以下のような幹部だ。
このポストがどれほどの要職であり、重い責任と期待を背負って荒木が赴任したのか、お分かり頂けるのではないだろうか。
平成15年 伊藤弘(第32期)・内閣審議官(国家安全保障局担当)・海将補
平成16年 尾崎義典(第32期)・統合幕僚監部総務部長・空将補
平成21年 関口雄輝(第33期)・統合幕僚監部指揮通信システム部長・海将補
※肩書はいずれも2018年2月現在のものであり、派遣当時は全員が2佐。
荒木は平成18年からの赴任なので、これら前後の幹部たちと緊密に連携しながら任務にあたっていたことになる。
さてその荒木は、平成27年12月からは航空自衛隊幹部候補生学校長を務めていたことがある。
陸上自衛隊の基地も海上自衛隊の基地も無い奈良県に唯一存在する、航空自衛隊奈良基地にある初級幹部の育成機関だ。
しかしながら奈良基地には、航空自衛隊の基地でありながら空港が無く、滑走路も1本もない。
たまに、基地関係者の輸送や搭乗体験イベントで回転翼機が飛んで来ることがあるが、その際は臨時のヘリポートとなる基地内の空き地を利用する。
航空自衛隊の基地らしいものといえば、F-1戦闘機の地上展示がある他、退役した地対空ミサイルなどが僅かに展示されているのみで、看板がなければ空自の基地だとは誰も気が付かないほどだ。
なお奈良基地を巡っては、2016年に行われた奈良基地開設60周年記念行事の際にブルーインパルスが祝賀飛行のため飛来したのだが、この展示飛行に際しても、残念ながら共産党が大騒ぎする。
そして、荒木に対して展示飛行を中止するよう、共産党所属の衆議院議員である穀田恵二氏などが主導し申し入れを行うなど、多くの県民と意識が大きく乖離している異様さを見せた。
いろいろな考え方は尊重されるべきであろうが、オリンピックの空に平和の五輪を描くような、武器を搭載するスペックすら無いブルーインパルスの翼について、彼らは何が気に入らないのであろうか。
話を元に戻したい。
次に荒木について、31期組の動向と併せて人事の状況を見てみたい。
荒木が航空自衛隊に入隊したのは昭和62年3月。
1等空佐に昇ったのが平成18年1月なので、31期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。
空将補に昇ったのは平成25年8月なので、こちらは同期1選抜の1年遅れということになるが、そもそも海空自衛隊は将官に昇る幹部の数が相当少ない。
そのため1選抜1年遅れというのは、こと空自においてはそれほど大きな意味を持たず、引き続いての31期組トップエリートの一人であると言って良いだろう。
そして2018年2月現在で空将補にある幹部は以下の通り。
31期組は、2018年夏の将官人事で最初の空将が選抜される年次なので、31期組のスーパーエリート名簿ということになる。
引田淳(第31期)・西部航空方面隊副司令官(2011年6月)
内倉浩昭(第31期)・航空幕僚監部防衛部長(2012年7月)
森川龍介(第31期)・航空教育集団幕僚長(2012年7月)
荒木哲哉(第31期)・航空幕僚監部総務部長(2013年8月)
西谷浩一(第31期)・防衛監察本部監察官(2013年8月)
後藤雅人(第31期)・防衛装備庁プロジェクト管理部プロジェクト管理総括官(2013年12月)
秋山圭太郎(第31期)・第5術科学校長(2016年7月)
石村尚久(第31期)・第4術科学校長(2017年12月)
※肩書はいずれも2018年2月現在。( )内は空将補昇任時期
このうち引田については、飛び抜けて空将補昇任時期が早く見えるが、これは米国防衛駐在官に赴任する前の特別な昇任である。
事実上、他の1選抜メンバーと同時期の昇任と同じ扱いだ。
これらのメンバーの中から2018年夏の将官人事で最初の空将に昇るのは、空将補としての在任期間から考えると、引田、内倉、森川、荒木、西谷の5名に限られそうだ。
荒木もちろん、誰が選ばれても全くおかしくない頼もしいエリートばかりであり、1選抜将官人事が楽しみである。
そして誰が選ばれようとも、これら最高幹部が我が国の平和と安全を支え、活躍を続けていくことだけは間違いない。
今後とも変わらずに、応援していきたい。
※
本記事は当初2017年7月19日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年3月2日に整理し、改めて公開した。
◆荒木哲哉(航空自衛隊) 主要経歴
昭和
62年3月 航空自衛隊入隊(第31期)
62年9月 南西航空警戒管制隊
平成
3年8月 北部航空警戒管制団
6年2月 中部航空警戒管制団
9年8月 航空幕僚監部教育部教育課
10年1月 3等空佐
12年3月 北部航空方面隊司令部
13年7月 2等空佐
14年10月 幹部学校指揮幕僚課程及び米国統連合幕僚課程
15年4月 航空幕僚監部航空幕僚長副官
17年1月 南西航空警戒管制隊
18年1月 1等空佐
18年3月 航空幕僚監部防衛部防衛課(米中央軍司令部連絡幹部・米国)
18年8月 幹部学校(統合幕僚学校及び防衛研究所)
19年7月 航空幕僚監部防衛部運用支援課計画班長
21年7月 西部航空警戒管制団西部防空管制群司令
23年8月 航空幕僚監部防衛部装備体系課長
25年8月 航空開発実験集団司令部幕僚長 空将補
25年12月 飛行開発実験団司令
27年12月 幹部候補生学校長兼ねて奈良基地司令
29年8月 航空幕僚監部総務部長
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省航空自衛隊 奈良基地公式Webサイト(顔写真及び式典写真)
http://www.mod.go.jp/asdf/nara/01about_nara_base/01kitisirei_aisatu/index.html
http://www.mod.go.jp/asdf/nara/02ceremony/01entrance/index.html
コメントを残す