岸良知樹(きしら・ともき)|第38期・陸上自衛隊

Pocket

その岸良が陸上自衛隊に入隊したのは平成6年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成25年1月、陸将補に昇ったのが令和元年8月であり、そのいずれもが第38組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

原隊は熊本の第8特科連隊であり、同地で厳しい自衛官生活のスタートを切っている。

(画像提供:陸上自衛隊第1特科団公式Webサイト

その後、第4特科群、第12特科隊などを経て、先述のように連隊長相当職は第4特科群長兼ねて上富良野駐屯地司令で上番するが、職種部隊勤務は主にこれらのポストとなる。

ちなみに第12特科隊は令和元年8月に、女性初の戦闘職種の連隊長に上番した横田紀子(第41期)・第9特科連隊長兼ねて岩手駐屯地司令が史上初めて、戦闘職種の女性中隊長に昇った部隊である。

またその間、幕僚やスタッフのポジションでは第12旅団司令部、大臣官房防衛大臣副官などを経験。

中央(陸上幕僚監部)では、防衛部防衛課、運用支援・情報部運用支援課を経て、班長ポストを教育訓練部教育訓練計画課の企画班長で、課長ポストは人事教育部の補任課長で辣腕を振るった。

そして令和元年8月に陸将補に昇任すると、自衛隊東京地方協力本部長に上番し、そのイケメンを活かしてさらに活躍の場を広げている。

今後10年の、我が国と世界の平和を担う上で、非常に大きな役割を果たす最高幹部の一人である。

 

ちなみに東京地方協力本部長のポストは、意外なようだが長年の間、「陸上幕僚長に昇れない」ジンクスのあるポストであった。

なおそのジンクスは、単に管理人(私)の中だけのものである・・・。

しかしながらこのポストの経験者からは、その後多くの者が方面総監クラスまで昇っているにも関わらず、誰一人としてその後、陸上幕僚長に昇ったものはなかった。

 

その状況はなかなかのものであり、例えば2000年以降の歴代本部長だけで見ても、

第26代 用田和仁(第19期) 西部方面総監で勇退
第27代 木﨑俊造(第20期) 西部方面総監で勇退
第28代 千葉徳次郎(第21期) 北部方面総監で勇退
第29代 渡部悦和(第22期相当)東部方面総監で勇退
第30代 田邉揮司良(第24期) 北部方面総監で勇退
第31代 森山尚直(第26期) 東部方面総監で勇退
第32代 小川清史(第26期) 西部方面総監で勇退

となっており、かなりのものである。

方面総監にまで昇る最高幹部の通過点でありながら、誰一人、陸幕長に届かないここまでのポストというのも、かなり珍しいのではないだろうか。

そのため管理人の中では、

「東京地方協力本部長を経験した幹部は、陸上幕僚長に昇れない」

という勝手なジンクスがあったのだが、ついにその無意味なジンクスが破られた。

第33代東京地方協力本部長にして、現・陸上幕僚長の湯浅悟郎(第28期)である。

 

そしてこれ以降は、

第34代 高田克樹(第29期) 陸上総隊司令官
第35代 竹本竜司(第31期) 陸上幕僚副長
第36代 梶原直樹(第32期) 第3師団長

※肩書はいずれも2019年11月現在

 

と、1選抜陸将がどんどん続いており、ますます東京地本長経験者から陸幕長に昇る幹部が出てくる空気感だ。

これほどまでに、東京地方協力本部長とは、存在感のある要職であることが、おわかり頂けるのではないだろうか。

 

では最後に、その岸良と同期である38期組の人事の動向についてみてみたい。

第38期組は、2019年8月に、1選抜の陸将補が選抜されたばかりの年次だ。

そしてその最初の将官に昇った幹部は、以下の通りである。

 

岸良知樹(第38期)・東京地方協力本部長(2019年8月)

池田孝一(第38期)・北部方面総監部幕僚副長(2019年8月)

栁裕樹(第38期)・第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令(2019年8月)

浅賀政宏(第38期)・第3施設団長兼ねて南恵庭駐屯地司令(2019年8月)

※肩書はいずれも2019年11月現在。( )は陸将補昇任時期。

 

以上のようになっており、まずはこの4名が、第38期組の1選抜として将官に昇った形だ。

2025年にもあるであろう38期組1選抜陸将人事でも、おそらくこの4名を中心に選抜が進められるのではないだろうか。

 

岸良については、上記のようにこれほどの実績を誇る大幹部が務めてきた、東京地方協力本部長を任されたほどの幹部だ。

恐らく今後の人事でも38期組の中で中心的な存在感を発揮し、方面総監クラスにまで昇ることは確実ではないだろうか。

いずれにせよ、38期組は今後、2020年代後半にかけて我が国と世界の平和を担っていく、中核となる世代である。

その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:自衛隊東京地方協力本部公式Webサイト

◆岸良知樹(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
6年3月 陸上自衛隊入隊(第38期)
6年10月 第8特科連隊(熊本県:北熊本)
9年8月 防衛大学校(神奈川県:横須賀)
11年8月 第4特科群(北海道:上富良野)
13年8月 幹部学校指揮幕僚課程(東京都:目黒)
15年8月 第12特科隊(栃木県:宇都宮)
17年3月 第12旅団司令部(群馬県:相馬原)
19年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛課(東京都:市ヶ谷)
20年8月 内部部局大臣官房防衛大臣副官(東京都:市ヶ谷)
22年8月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課(東京都:市ヶ谷)
25年1月 1等陸佐
25年3月 幹部学校付(東京都:目黒)
26年3月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課企画班長(東京都:市ヶ谷)
28年3月 第4特科群長兼ねて上富良野駐屯地司令(北海道:上富良野)
29年8月 陸上幕僚監部人事教育部補任課長(東京都:市ヶ谷)

令和
元年8月 自衛隊東京地方協力本部長(東京都:市ヶ谷) 陸将補

Pocket

2件のコメント

既に退官しましたが、宇都宮に第6地対艦ミサイル連隊が編成される準備隊の頃に幹候として着隊したものです。戦力化に5年かかると言われながら、ようやく築きあげたものが10年ほどで部隊廃止になったのは、非常に残念なことでした。
海なし県に地対艦ミサイルがあるというのは、当時から機動性や補給に難ありと捉えられていたので、一旦部隊廃止ののち、実質的に現在南西諸島に配置が進んだのは結果として良かったと思考えております。
(もっとも宇都宮に発足した背景は、当時師団の旅団化が進み、12特科連隊が特科隊にコンパクト化することで特科隊員の受け皿が必要だったことにあるらしいですが。)

重戦力部隊だった野戦特科、機甲科の隊員は縮小し、情報職種に職種変更するパターンが多かったのですが、結果非常に多くの者が退官しています。

岸良さんは非常に温厚な方でした。

HIさま、コメント頂きましてありがとうございました!
そのような背景もあったのですね。
小泉政権下で、物知らずの某財務官僚女史(当時)に潰されたという恨みがありますが(笑)、合理的な一面も非合理的な一面もあったのかと納得できる思いです。
ありがとうございました!

コメントを残す