三宅睦(みやけ・あつし)は昭和48年10月16日生まれ、岡山県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第40期の卒業で幹候77期、職種は需品科だ。
平成30年12月(2018年12月) 第3後方支援連隊長・1等陸佐
前職は教育訓練研究本部教育部統率教育室教官であった。
なお、第3後方支援連隊長としての指導方針は以下の通り。
【要望事項】
・相互への情愛
・やるべきことはやる
・個人の充実を組織の充実にせよ
(画像提供:陸上自衛隊第3後方支援連隊公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第3後方支援連隊公式Webサイト)
2019年3月現在、第3後方支援連隊長を務める三宅だ。
第3後方支援連隊は政経中枢師団・第3師団の隷下にあり、師団部隊の文字通り後方支援にかかる任務を一手に引き受ける。
具体的には補給、整備、回収、輸送、衛生の各種支援と言ったところだが、珍しいところでは第3師団自動車教習所の運営を行っているのもこの部隊だ。
第3師団の記念イベントなどでは駐車場にも指定されるので、馴染み深い師団の教習所だが、実はあの施設は後方支援連隊の運営となっている。
ところでこの後方支援連隊。
兵站を担う部隊である以上、極めて重要な部隊であることはいうまでもないことだが、ある意味でそれ以上に、私たち国民には存在感がある。
それは、災害時における生活支援で、常に国民の身近な所で力を尽くしてくれることだ。
テレビなどでよく目にする、野外での風呂の設営はこの後方支援連隊が行っている。
また震災などにあっては、傷つき肩を落とす被災者に温かい食事を提供し、また汚れた衣服などを洗濯してくれるのもこの部隊だ。
直近で第3後方支援連隊は、平成30年6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨災害に伴う災害派遣でも直ちに現地入りし、避難生活を余儀なくされた国民に寄り添い、その生活を支えた。
なお、上記2枚めの写真はその際、現地視察に訪れ第3後方支援連隊を励ます安倍総理を撮影したものである(この時はまだ、前任の西田博昭連隊長であったので写真は三宅ではない)。
災害時における活躍で、自衛隊を私たち国民にもっとも近しいものにした、非常に功績のある部隊であると言ってよいだろう。
なおもちろん、万が一の発災に際しては力を貸してくれる後方支援連隊であるが、普段は部隊と共に行動を共にし、その戦闘をあらゆる面から支えるのがその仕事である。
そしてこの部隊ほど、現在、大きくその能力の向上を求められている部隊も無いと言ってよいだろう。
2018年3月から本格的に実施されている、陸自大改革の影響だ。
陸上自衛隊を取り巻く予算環境は極めて厳しい。
多くの部隊で人員と装備にかける予算が削減され、師団隷下にある部隊は方面隊に集約されるなど、伝統と歴史ある部隊の多くがその歴史に幕を閉じ続けている。
そのような中でも、国民が陸自に期待することは一つだ。
さらなる戦力の向上と、我が国の平和と安全に対するさらなる貢献である。
無茶にも程がある陸自への期待値であるが、このような中で、陸自が出した答えの一つが、先述の、戦力の集中と機動力の向上であった。
これが、陸自大改革における最大の要諦だ。
すなわち、戦力を維持するために、削減された部隊や人員を集約して輸送力や機動力を向上し、有事の際には任意の場所にこれら部隊を投入できる体制を構築すること。
そのために、軽武装で高機動力の部隊を編成し、諸職種混成のあらゆる事態に対応できる能力を確立すること。
そして、これら戦力を目的の場所に、確実に輸送し機能させる能力を確立することである。
これら輸送について、後方支援連隊の大きな仕事であることはもちろん、これら機動力を実際に担うのが後方支援連隊となる。
そういった意味では、「兵站」という言葉から連想される、補給に近い概念を担っているというよりも、陸自の戦略を根本から支える極めて重要な部隊であると言ってよいだろう。
戦闘部隊が力を発揮できるかどうかは、あるいは陸自の新しいドクトリンが本当に機能するのかどうかは、後方支援連隊次第であるということだ。
それほどまでに、三宅が担う責任は極めて重く、国民からの期待も非常に大きい。
では、そんな重い責任を担う三宅とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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