三宅睦(第3後方支援連隊長・1等陸佐)|第40期・陸上自衛隊

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その三宅が陸上自衛隊に入隊したのは平成8年3月。

1等陸佐に昇ったのは27年7月であったので、40期組1選抜後期(1番手グループ)となるスピード出世であった。

原隊(初任地)は北海道の帯広に所在する第5後方支援連隊であり、同地で業務統制幹部、付隊長、運用訓練幹部などを任され、厳しい自衛官生活のスタートを切っている。

(画像提供:陸上自衛隊第3後方支援連隊公式Webサイト

その後、同じ第5後方支援連隊で補給小隊長を務めると、以降は少し職種部隊の現場を離れた需品学校での勤務が続く。

15年3月からは需品学校教導隊で需品補給小隊長を務めたことを皮切りに教育部運用科教官も務め、2年間のCGS(指揮幕僚課程)を挟んだ後も需品学校の企画室計画幹部として活躍。

その後は中央での勤務が続き、陸上幕僚監部装備部装備計画科の後方計画班において、日米相互提供係長を。

また教育訓練部教育訓練課では、訓練・演習班の班長補佐などを経験し、班長ポストは統合幕僚監部の主席後方補給官付後方補給室で後方計画班長に着任した。

そして30年8月から4ヶ月、教育訓練研究本部で教育部統率教育室教官を務めた後職として、30年12月に第3後方支援連隊長に上番している。

陸自大改革を兵站から支える、今もっとも重要な役割を果たす高級幹部の一人であると言ってよいだろう。

 

なおそのキャリアにおいて、第5後方支援連隊に在った平成14年2月には、第一次東チモール派遣施設群の補給小隊長として現地に赴いていることも、印象的な任務だ。

自衛隊の東ティモール派遣自体は国連PKOの一環であり、おそらくこれが三宅にとって、自衛隊入隊以来最初のPKO活動参加になったのではないだろうか。

ほとんど記憶している人もいないかも知れないが、この活動は東ティモールがインドネシアから独立を果たした際に、混乱する社会や治安状況の維持改善を目的として自衛隊が展開する任務であった。

その主な活動は、自衛隊らしいと言ってよいのではないだろうか。

道路や橋を作り、社会が健全に運営されるための各種インフラ整備に加え、子供の教育や大人の職業・技能教育といった、国が国として成立するために必要な領域を中心に支援。

特に、土木技術を自らの手で行えるよう現地の人達に教育を行い、さらに日本から持ち込んだ施設や重機なども現地政府に寄贈するなど、人々の平和と自立を願って展開された活動は住民からの大きな支持を得ることになった。

このような人づくりの支援は、本当に自衛隊らしい国際貢献活動であり、私たち一般国民も心から誇りに思える自衛隊の任務のひとつだ。

そしてこの任務において実際に現地に渡り、補給小隊長として指揮を執り活躍した幹部の一人に三宅がいた。

三宅のキャリアに思いを馳せる時には、絶対に外すことができない大きな実績の一つである。

 

では最後に、いつもどおり三宅と同期である40期組の人事の動向について・・・

と言いたいところだが、40期組は2021年に最初の陸将補が選抜される予定の年次だ。

そのため、2019年3月現在では1選抜のスピード出世組でも1佐であり、そのご紹介は後日加筆することにしたい。

いずれにせよ、この先2030年代に掛けて、我が国と世界の平和に大いに貢献することは間違い三宅である。

その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊第3後方支援連隊公式Webサイト

◆三宅睦(第40期) 主要経歴

平成
8年3月 陸上自衛隊入隊(第40期)
9年3月 第5後方支援連隊業務統制幹部、付隊長、運用訓練幹部
14年2月 第一次東チモール派遣施設群第2施設中隊補給小隊長
14年10月 第5後方支援連隊補給小隊長
15年3月 需品学校教導隊需品補給小隊長
17年8月 需品学校教育部運用科教官
19年8月 幹部学校CGS53期
21年8月 需品学校企画室計画幹部
22年8月 陸上幕僚監部装備部装備計画科後方計画班日米相互提供係長
25年3月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課訓練・演習班班長補佐
27年7月 1等陸佐
28年8月 統合幕僚監部主席後方補給官付後方補給室後方計画班長
30年8月 教育訓練研究本部教育部統率教育室教官
30年12月 第3後方支援連隊長

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