【退役】勝井省二(小平学校長・陸将補)|第30期相当・陸上自衛隊

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勝井省二(かつい・しょうじ)は昭和37年1月27日生まれ、埼玉県出身の陸上自衛官。

関西大学法学部の卒業で、陸上自衛隊へは昭和61年3月の入隊なので第30期相当になるが、昭和36年度の生まれであれば、ストレートであれば第28期にあたる年令ということになる。

出身職種は警務科だ。

なお、勝井の出身地について、防衛年鑑では大阪と記載があるものの、熊本地方協力本部長時代の公式プロフィールでは埼玉出身と記載されていた。

そのため、ここでは公式プロフィール情報を優先して埼玉と記載している。

 

平成31年4月(2019年4月) 陸上自衛隊小平学校長・陸将補のポストを最後に退役となった。

前職は小平学校副校長であった。

なお、さらにその前職であった熊本地方協力本部長であった時の指導方針は以下の通りであった。

 

【要望事項】

「執念」「工夫」


(画像提供:熊本地方協力本部公式Webサイト 地本だより第99号)


(画像提供:熊本地方協力本部公式Webサイト

2019年4月1日、少し花冷えのする日に、警務科出身のレアキャラである勝井が自衛隊を去った。

一般大学卒業生で陸将補まで昇り、要職を歴任した自衛官生活であった。

退役ポストとなったのは、陸上自衛隊小平学校長。

小平学校といえば、スパイを含むヒューミント活動の総本山であるかのように、特定の団体によって喧伝され続けてきた組織だが、残念ながら現在の小平学校には情報職種の教育部門すら無くなっている。

陸自大改革の一環で情報職種の学校が独立したためだが、それでもなお、小平学校といえば我が国の「警務・会計・人事・法務・システム」と多岐にわたる分野で、実務を教育する非常に重要な任務を果たす。

 

それら非常に存在感のある学校の校長職が最後のポストとなった勝井だが、大阪地方協力本部の募集課長や熊本地方協力本部長を歴任するなど、国民にとって非常に距離感の近いポストを歴任した幹部だった。

また中央(陸上幕僚監部)では人事部厚生課の家族支援班長を務めるなど、面倒見の良さが窺えるポストでも腕をふるった幹部である。

警務科の幹部と言えばどこかおっかないイメージがつきまとうものだが、これもまた勝井を巡る意外なキャリアの一つと言ってよいのではないだろうか。

 

本当に長い間、お疲れ様でした、ありがとうございました。

決して目立つことはなく、また裏方と言われる任務が多かったかも知れませんが、そのキャリアが我が国と世界の平和にとって欠くべからざる非常に重要な仕事であったことは、国民の広く知るところです。

そしておかげさまで、在任中に我が国の平和が守られ続けたことに心からの感謝と、その誇り高い自衛官生活に心からの敬意を申し上げます。

久しぶりの任務のない生活はどこか張り合いがないかも知れませんが、まずはゆっくりとお過ごしになって、積年の疲れをお癒やし下さい。

そして新たに始まる勝井将補の第二の人生が、自衛官人生と同等かそれ以上に充実したものとなりますことを、心からお祈りしております。

 

重ねまして、本当にお疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

【更新】2019年4月6日

 

以下は、2018年8月までに更新した記事

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2018年8月現在、陸上自衛隊小平学校長兼ねて小平駐屯地司令を務める勝井だ。

出身職種の警務科というイカツさに加え、小平学校という言葉の持つ不気味さも相まってイカツさが倍増だが、残念ながら(?)2018年8月現在の小平学校は、情報職種の教育を任務としない。

2018年3月に実施された陸自大改革により、陸上自衛隊情報学校が新たに新設され、小平学校から独立した為だ。

2010年の情報科の職種化から遅れること8年。

ようやく情報部門が、教育の分野でも本来あるべき姿として、陸自の大事な一翼を担うことになった。

 

ところで上記の写真。

自衛隊幹部のマニアであれば見たことあるお顔ばかりだと思うが、お気付きの通り、かなり豪華な写真である。

左端は勝井であり、そのまま右方向に田中重伸(第30期)・第3師団長(当時、西方幕僚長)、自衛隊家族会会長の井上様を挟み、堀江祐一(第33期相当)・高等工科学校長(当時、第8師団副師団長)、越智文雄(防医大第9期)・阪神病院長(当時、熊本病院長)だ。

当時は勝井を除いた3名が陸将補だったが、今となっては勝井が将補に昇り、田中は陸将に昇っている、偉い人ばかりの写真である。

勝井が熊本地本長時代に撮られた、なかなか貴重な一枚だったのでご紹介させて頂くことにした。

 

さて、その勝井のことだ。

出身職種は警務科となっているのだが、そのキャリアはどちらかというと人事系の補職が多く、また法務官としても顕著な実績を挙げ続けた自衛官生活となっている。

特筆するべきはやはり、平成24年12月から務めていた、陸上幕僚監部総括副法務官としての実績だろうか。

陸自はこの時、ちょうど水陸機動団、当時は日本版海兵隊などと俗称されており正式名称は公表されていなかったように記憶しているが、この水陸機動団の創設にあたり、勝井は法務面から、この組織を定義する重要な役割を担った。

とりわけ、在日米国海兵隊に足を運び、殴り込み作戦を法務面から支える支援体制について、そのエッセンスを水陸機動団に”輸入”する責任を負っていた仕事ぶりなどは非常に印象的だ。

 

ともすれば、水陸機動団という組織については、その前線部隊に立つ幹部曹士にばかり注目が集まるが、言うまでもなくそれを支える輸送や兵站も不可欠である。

さらに、その仕事を法務面から支援する勝井のような存在もまた、忘れてはならない重要な陸自の一部門だ。

警務といえば、おっかないMP(ミリタリー・ポリス)をイメージすることも多いが、実はこんな形で組織に貢献する、非常に大きな役割も担っている。

 

では、そんな一風変わったポジションで存在感を発揮する勝井は、これまでどんなキャリアを歩んできた幹部なのか。

少し詳細に、その足跡を覗いてみたい。

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