【退役】村川豊(海上幕僚長・海将)|第25期・海上自衛隊

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村川豊(むらかわ・ゆたか)は昭和33年1月29日生まれ、神奈川県出身の海上自衛官。

防衛大学校第25期(国際関係論)の卒業で幹候32期、出身職種は経理だ。

 

平成31年4月1日(2019年4月1日) 第33代海上幕僚長・海上幕僚長たる海将のポストを最後に退役の日を迎えられた。

前職は海上幕僚副長であった。

(画像提供:海上自衛隊公式ツイッター

2018年4月1日、村川豊・第33代海上幕僚長が退役の日を迎えた。

この日、市ヶ谷の桜は五分咲で天気もよく、我が国の安全保障を中心になって支え続けた村川の退役の日として、これ以上はない最高の日和となった。

 

いろいろな意味で「史上初」を成し遂げた海上自衛官人生だった。

もちろん、後方支援職種(経理)出身の幹部として史上初となる海上幕僚長着任は、着任当初大きなニュースになったので多くの人の知るところだ。

それ以外にも、海上自衛隊補給本部長、海上自衛隊第四術科学校長経験者としても史上初となる海上幕僚長着任であり、また阪神基地隊司令経験者としても、史上二人目の海幕長着任であった。

つまり、将官昇任後のキャリアをみると、海上幕僚長に昇る幹部の定番ルートではない補職を重ねた上で、海自のトップの椅子を極めたことになる。

この辺りも、海上幕僚長着任が発表された時に関係者を大いに驚かせた、理由の一つであった。

 

そういった意味では、村川の海幕長着任は、後方支援系にある海自の幹部曹士にとって、大いに勇気づけられる人事であったのではないだろうか。

後方支援系からであっても、努力と実績次第で海上幕僚長に昇ることもできる。

そして政府も中央も、後方支援系の活躍を名実ともに認めることとなる人事であったのだから、モチベーションが上がらないわけがないであろう。

そういった意味でも、村川の海幕長着任は歴史に残る出来事になった。

 

ところで余談だが、上記画像二枚目。

これは市ヶ谷を帽振れで見送られる村川だが、とても興味深い並びになっている。

村川の一番近いところにいる、最下段で直立姿勢を取るのは、恐らく防衛大臣政務官の山田宏だ。

その2段上、皆が帽振れをして見送る中、1人敬礼を送るのが山崎幸二(第27期)・統合幕僚長。

その1段上左側で、泣きそうな顔をしながら直立の姿で見送っているのは誰なのか正直わからないのだが、序列的にはかなり上の高級官僚なのではないだろうか。

政治家・事務方の高官に加えて、統幕長の山崎が、帽振れに対し帽振れで答礼していないようだ。

 

それに対し、画面左端、村川の頭にかぶる部分で帽振れをしているのは、統合幕僚副長の増子豊(第29期)

中央には、陸上幕僚長に昇ったばかりの湯浅悟郎(第28期)や、航空幕僚長の丸茂吉成(第27期)の姿も見える。

その他、納冨中(第29期)・防衛大学校幹事や出口佳努(第30期相当)・海上幕僚副長の姿も見えるなど、3つ星(桜)以上の錚々たる陸海空の最高幹部が集結している凄い一枚だが、陸海空にかかわらず皆が帽振れで答礼している。

もしここに爆d・・・いや、なんでもありません。。

 

興味深いのは、武官の中で山崎だけが帽振れをしていないことだが、あるいは職責の上位者は敬礼で退役者を見送るという慣例でもあるのだろうか。

なにかこの辺りには、特別なルールでもあるのかも知れず、とても気になる一枚であった。

 

それはともかくとして、これだけの凄い最高幹部に見送られ市ヶ谷を後にした村川豊・元海将であった。

退役の日から1週間が過ぎ、今頃は本当の意味で、退役を迎えた実感が湧いてきているのではないだろうか。

 

本当に長い間、お疲れ様でした。

ありがとうございました。

重責から解放された毎日は、逆にどこか心もとない日々であるかも知れませんが、まずはゆっくりとお過ごしになって、積年のお疲れをお癒やし下さい。

その上で、新たに始まる村川海将の第二の人生も、自衛官生活と同じかそれ以上に、充実したものとなりますことを心からお祈り申し上げます。

 

重ねまして、本当にありがとうございました。

【最終更新】2019年4月9日

 

以下は、2018年2月までに更新の過去記事

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(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト

海上自衛隊史上初となる、後方支援職種から海上幕僚長に昇り詰めた村川だ。

その海幕長着任は多くの関係者の人事予想を外し、驚きを持って受け入れられたサプライズ人事であった。

後方支援系出身というだけでなく、海上自衛隊の人事の慣例である昇任ルート上にあったと言うわけでもなかったので、事前に村川の海幕長着任を予想していた者はまずいなかったのではないだろうか。

もちろん、管理人も相当驚いた。

 

その村川の、海幕長着任前の補職は海上幕僚副長。

その前職が補給本部長であり、同ポスト着任と同時に海将に昇任している。

つまり村川は、いずれの地方総監も務めていないばかりか地方隊の幕僚長も務めた経験がなく、現場部隊でのトップマネジメントを経験したことが無いキャリアであると言って良いだろう。

もちろん、艦隊や護衛隊群を率いた経験もない。

 

近年の海幕長人事は、佐世保地方総監、横須賀地方総監、自衛艦隊司令官からの昇任という流れが定着している。

海上幕僚副長からの昇任となると、2003年に着任した第26代海上幕僚長の古庄幸一(第13期)まで遡ることになり、久しぶりの抜擢だ。

また、海上自衛隊補給本部長経験者から海幕長に昇ったのも、村川が史上初めてとなる。

そういった意味でもやはり、異例尽くしの海幕長昇任であったと言えるだろう。

 

一方で、逆に言えばそれほどに、村川が海幕長に着任した2016年は、村川が持つ補給系や後方支援系の知見が必要とされていた時期であったということだ。

また戦前の海軍時代から、慣例を踏襲することが目的化しているのではないかという批判を受けることも多かった組織において、サプライズ人事を断行する強さを見せたことも、非常に意義深い人事となった。

 

海上自衛隊では、本当の意味で適材適所であり、なおかつそのキャリアに関わらず、時勢を得た人事が為されていくことになるのではないか。

村川の海幕長着任は、そういった強烈なメッセージとなって、自衛隊内外にインパクトを与えるものであったと言ってよいだろう。

 

では、それほどまでに強烈なインパクトを残した村川とは、一体どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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