泉博之(いずみ・ひろゆき)は昭和39年5月生まれ、京都府出身の海上自衛官。
早稲田大学を昭和62年3月に卒業し、平成2年3月に海上自衛隊に入隊しているので、幹候は41期、防衛大学校第34期と同期ということになる。
平成30年12月(2018年12月) 統合幕僚学校副校長・海将補
前職は練習艦隊司令官であった。
なお、判明する指導方針は第2護衛隊群司令であった頃のもので、以下の通り。
【指導方針】
「任務は完遂」、「勤務は充実」、「2群は一心」
(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト)
2019年4月現在、統合幕僚学校の副校長を務める泉だ。
言わずと知れた陸海空3自衛隊の高級幹部を育成し、統合任務を推進する教育機関であるが、同時に諸外国からも留学生を受け入れることから、「軍人外交」の舞台としても重要な意味を持つ要職を務める。
その副校長ポストは、校長ポストに比べて接遇するカウンターパートも幅広く、国際経験豊富な泉にはこれ以上無い適任のポストと言ってよいだろう。
これだけの要職に着任する泉のことだ。
そのキャリアはいずれも印象深いポストばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、それは前職である練習艦隊司令官の任務だろうか。
ご存知のように練習艦隊は、幹部候補生たちが江田島を巣立ち、3尉に任官したその足で洋上航海に出発する部隊だ。
見送りには幹部候補生学校長はもちろん、海上幕僚長も出席し桟橋から帽振れで若き士官たちを見送る。
なお練習艦隊は昭和33年から続く海自の訓練のため、もちろん現職の海上幕僚長も幹部候補生学校長も、もちろん練習艦隊司令官もかつてその厳しい任務に参加した経験を持つ。
まさかこの訓練に参加した当時、その30年後に自らが桟橋に立ち帽振れで若き士官を見送り、あるいは自分が若き士官を率いる練習艦隊司令官に着任することになるとは、夢にも思わなかったのではないだろうか。
通常、練習艦隊司令官は1年に1度、遠洋航海からの帰国のタイミングで交代するために、1期から1人選ばれるかどうかだ。
まさに後進の育成のために、日本の未来を担う幹部を育成するにふさわしい最高幹部のみにしか、その役割を務めることはできない。
そのようなこともあり、練習艦隊のトップは海将補として唯一「司令官」の役職が付けられている非常に名誉ある補職になっている。
もちろん、陸・空にも将補職で「司令官」を名乗ることができるポストはない。
そういった意味でも、このポストの特別の重みを御理解いただけるのではないだろうか。
海上自衛隊の幹部にとって、着任が最高に栄誉ある任務の一つになっているが、泉が務めたのはそのようなポストであった。
なお、上記2枚の写真はその練習艦隊司令官として、洋上に在った時の泉の写真だ。
将補になっても司令官席に座り、幹部曹士と同じ弁当を食べ、水筒を持参し艦橋から共に任務を遂行するのは、なんともいえないカッコよさがある。
30数年前に自らも初級幹部の一員として世界を巡ったことを思い出し、新任3尉の「親分」としての任務を楽しんだのではないだろうか。
では、そんな要職を歴任した泉とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
コメントを残す