岩上隆安(中央即応連隊長・1等陸佐)|第39期・陸上自衛隊

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岩上隆安(いわかみ・たかやす)は昭和47年9月生まれ、東京都出身の陸上自衛官。

防衛大学校第39期(国際学)の卒業で幹候76期、職種は普通科だ。

 

平成31年3月(2019年3月) 中央即応連隊長・1等陸佐

前職は派遣海賊対処行動支援隊司令であった。

(画像提供:陸上自衛隊東北方面隊公式フェイスブック

(画像提供:陸上自衛隊中央即応連隊公式Webサイト

2019年4月現在、中央即応連隊の連隊長を務める岩上だ。

言わずと知れた我が国の最精鋭部隊の一つであり、また国際貢献においても中心的な役割を果たす組織を率いる。

平成28年3月から務めた第17普通科連隊長以来、2回めとなる「連隊長」と名前がつくポストへの上番となる。

ご覧の通り、とても親しみやすいお顔が魅力の幹部自衛官で、管理人が一番大好きな自衛官の一人だ。

正直に言って一度も直接お見掛けしかことはないのだが、広報写真でお見かけする岩上の表情は本当に感情が掴み辛く、いつも飄々としており不思議な魅力がある。

海外での活躍がとても目立つ幹部だが、諸外国のカウンターパートと打ち合わせる時の表情もまたよくわからずにおもしろい。

そんな魅力もぜひ、感じて欲しい連隊長である。

 

さて、我が国の切り札の一つとも言える中央即応連隊長を務めるほどの岩上だ。

そのキャリアはどれも注目すべきものばかりだが、印象的なものと言えばやはり、前職である第9次派遣海賊対処行動支援隊(DGPE)司令のポストだろうか。


(出典:googlemap)

派遣海賊対処行動支援隊は、日本から遠く離れたアフリカの東部・ジブチに拠点を構え、この地で暴れまわる海賊を封じ込めようとする国際貢献活動である。

地図でご覧いただければわかるように、この海域はアジアと欧州を繋ぐ海上の要衝であり、また我が国と西アジアを繋ぐ、主にオイルを中心とした重要なシーレーンでもある。

それでいながら、スエズ運河を往来する船舶が狭い海域に密集することから、海賊にとっては「お宝のつかみ取り」とも言える危険な場所であり、この地に利益を共有する世界各国が取り締まりにあたっている。

その拠点警備と陸上からの取締支援を行うのが、陸自の派遣海賊対処行動支援隊であり、その責任者である司令ポストが岩上の任務であった。

 

繰り返しお伝えしていることだが、この海域で海賊が暗躍すると、私達の生活は明日からでも大混乱に陥るだろう。

輸出が滞り西アジア・欧州方面への交易が停滞すると、我が国のGDPは直ちに深刻なダメージを受ける。

欧州からの輸入が滞ると乳製品、肉類、魚やワインと言った嗜好品まで狂乱的な値上がりとなることは明らかで、社会不安が高まり私達の生活がどれほど混乱するのか、想像もつかないほどだ。

そして自衛隊はこの灼熱の地において、まさに今、この瞬間も非合法な武装勢力と対峙し、。私達の生活を守ってくれている。

このことを毎日、意識して欲しいとまでは言わない。

ただ、この事実くらいは、一人でも多くの国民に知ってほしいと切に願っている。

私達の生活を守るために、自衛官が過酷な環境の中、今も命の危険に晒されながら戦っている事実を、どうか知ってほしいと願っている。

それでもなお、自衛隊という組織は不要であり、武力を保つ必要はないか。

世界の現状は、直ちに理想を追求できるほどに甘いものであるのか。

スーパーで手にとった食料品の原産地がEUであった時に、考えて欲しい。

それが自分の手に届くまでに、自衛官と自衛隊が護衛について守っていたからこそ、という事実があることを。

 

また岩上は他に、平成17年1月からは、戦後間もないイラクに渡り、イラク復興業務支援隊に参加していることも併せてご紹介しておきたい。

このイラク復興業務は、まだまだ戦後の興奮冷めやらない極めて危険なイラク・サマーワの地における任務であった。

そのため岩上も、命の危険を覚悟して赴任したであろうと思いきや・・・

帰国後、空港に出迎えに来た岩上の令夫人は、

「心配でニュースを聞くたびにドキドキしましたが、『俺に弾は当たらない』という主人の言葉を信じていました」

とその帰国を喜び、一方で岩上は1歳になった愛息子を抱き上げ、

「僅か半年なのに、大きくなってびっくりした」

と応じる。

きっと岩上は本当に、自分に弾があたるわけがないと、思っていたのだろう。

ホトケ顔の岩上の言うことなら確かにそうなのであろうと、どんな弾もこの男とその隷下部隊には、きっと飛んで来そうに思えない。

そう思わせてくれる何かを、この男は持ちあわせている。

 

なお余談だが、このイラク派遣の際に支援隊長を務めていたのは岩村公史(第29期)・第9師団長(2019年4月現在)。

そして岩村は、自分が死んだ際に開封するようにと、岩上とは対照的に入念な遺書をしたため現地に向かっている。

その内容は要旨、家族への感謝と、子供には国のために役に立てる人物になって欲しいという願いを記したものだったが、なんと家族は岩村の派遣中に遺書を開封。

帰国後も令夫人は遺書を返そうとしなかったそうだが、それ以来夕食のメニューが少し豪華になったと、後に岩村は明るく語っている。

愛する家族と離れ厳しい任務に向かう自衛官のスタイルは、本当に人それぞれであり、ご家族ごとに、違う人間模様が溢れている。

ぜひ、ひとりひとりの隊員には、そんなドラマがあることも知ってほしいと願っている。

 

では、我が国と世界の平和のために大活躍を続ける岩上とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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