その泉が海上自衛隊に入隊したのは平成2年3月。
早稲田大学の卒業生であり、防衛大学校で言うと第34期相当ではあるが、海自ではほとんど、この「防衛大学校~期相当」という言い方をしないそうだ。
そのため本来であれば控えるべき言葉ではあるかも知れないが、陸空の同期との対比のし易さでこのような表現にしていることをどうかご容赦願いたい。
(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト)
(画像提供:防衛省統合幕僚学校公式Webサイト)
2佐以降の補職でみると、艦乗りの現場にあっては、護衛艦おおなみの船務長兼副長を経て平成18年8月に護衛艦とね艦長に着任。
その後、第1護衛隊司令、第2護衛隊群司令を歴任し、平成29年12月からは、海自の幹部にあって非常に名誉ある補職の一つである練習艦隊司令官に着任していることは、先述のとおりだ。
なお、泉がその第2護衛隊群司令にあった当時は、朝鮮半島情勢が非常に緊迫の度合いを増していた時期にあたる。
2017年4月には、泉は隷下部隊を率いて、米国の原子力空母「カール・ヴィソン」を中心とする空母打撃群との共同訓練を日本海で指揮した。
さらに2017年6月1日からは、第2護衛隊群に加え航空自衛隊第6航空団(小松基地)のF-15戦闘機も訓練に参加。
米海軍の空母「カール・ヴィンソン」、空母「ロナルド・レーガン」と艦艇数隻、F/A-18も参加した大規模な共同戦術訓練を日本海で行うなど、その存在感を存分に見せつける訓練を実施している。
これは言うまでもなく、当時の北朝鮮情勢を踏まえた上で日米同盟の絆の強さを誇示するものであり、北朝鮮、ひいてはその背後にいる中国とロシアに対し、日米の艦船・航空機運用能力の高さを見せつけ、もって抑止力とするものであった。
そういった意味では、現場指揮官時代の泉は、もっとも過酷な国際情勢の中で指揮を執っていたと言えるかも知れない。
ちなみに、泉が同群の指揮を執っていた2017年3月、長きに渡り第2護衛隊群旗艦を務め、自衛隊観艦式では4度に渡り観閲艦の栄誉を担った護衛艦くらまが退役の日を迎えた。
1981年の就役以来、数々の国際舞台で多くの実績を残した護衛艦であり、海上自衛隊を代表する艦であったことから、くらまには特別の感慨を持つ自衛隊関係者も多いはずだ。
自衛隊関係者だけでなく、自衛隊ファンにとってもその退役は残念であり、惜しまれるものであったが、今もなお当時のことを記憶している人も多いのではないだろうか。
なお、くらまについては、退役の日にあたり決して愉快ではない「あの出来事」を思い出した人も、同様に多いかもしれない。
韓国の貨物船、「カリナ・スター」に当て逃げされ、大破・炎上した衝撃の事件のことだ。
事件は2009年10月の20:00前後に関門海峡で発生した。
すでに陽も落ち、完全な暗闇となっていた海上で大きな炎を上げるくらまの映像は繰り返しテレビで流され、同時に各種メディアは、「悪いのはくらま」「海保の海上誘導にも問題があった」と言う趣旨を繰り返し大きく伝える。
初期報道は、まるで護衛艦側が韓国の民間船に対し、一方的な体当たりを仕掛けたかのような報道ぶりであった。
だがこの事件は結局、カリナ・スターが船速を上げすぎ、前方を低速で進む貨物船を避けきれず急速に左側にかじを切り、その結果前方から直進航路を維持し進んできたくらまに一方的に衝突したものと結論付けられた。
その後、韓国船の操船が主因であると確定した事故調査結果を詳細に伝えたメディアはなく、いつものメディアらしいやり口に終止した事故であったが、結局くらまでは6人の自衛官が負傷。
10億円もの修理費用をかけ、この海自の栄光ある護衛艦は、自国のメディアによっても二重に貶められ、傷つけられる苦い歴史を持つことになった。
多くの栄光を持ちながらも苦い歴史も持つ、海自を代表するくらまであったが、泉の指揮下において、数多くの海上自衛官の想い出とともに除籍となる。
この「Old Navy(海の古強者)」を、群司令として送り出した泉にとってもまた、海上自衛官人生の中で思い出深い出来事であったのではないだろうか。
話を泉のキャリアに戻したい。
そのような豊富な現場経験を持つ泉だが、中央(海上幕僚監部)にあっては、補任課を経て班長ポストを防衛部防衛課の編成班長で、課長ポストを人事教育部の補任課長でそれぞれ務めた。
そして平成30年12月、統合幕僚学校副校長に着任し後進の育成と「軍人外交」の推進に尽力を続けている。
豊富な現場経験と「軍人外交」の実績を誇る、今もっとも必要な、最高幹部の一人と言ってよいのではないだろうか。
なお余談だが、上記2枚の写真は、1枚めが泉が練習艦隊司令官として洋上にあった1年半ほど前のもの。
そして2枚めが現職に着任した際に撮影されたものだ。
なんというか・・・急に老け込まれた気がする。。
海上自衛隊では、偉くなると急に驚くほど老け込まれる幹部の方が居て
(゜O゜;ギョ・・・
とすることがある。
例えば、若かりし頃のイケメンがハンパではない、渡邊剛次郎(第29期)・横須賀地方総監。
第23航空隊司令時代の、ハイパーイケメンであった時の渡邉はこちら。
(画像提供:海上自衛隊第23航空隊公式Webサイト ※リンク切れ)
そして空将に昇り、2017年に教育航空集団司令官に昇った時の一枚はこちらであった・・・。
(画像提供:海上自衛隊教育航空集団司令部公式Webサイト)
海上自衛隊では、偉くなるとこれほどまでに激務になり、疲れがでるものなのだろうか。。
本当にお疲れ様です。
m(_ _)m
では最後に、その泉と同期である34期組の人事の動向について見てみたい。
34期組は2015年に最初の将補が選抜された世代であり、2021年に最初の海将が選抜される予定の年次である。
そして2019年4月現在、その海将補のポストにあるのは以下の幹部たちだ。
福田達也(第34期)・統合幕僚監部防衛計画部副部長(2015年8月)
大町克士(第34期)・幹部学校副校長(2015年8月)
泉博之(第34期相当)・統合幕僚学校副校長(2015年12月)
伊藤秀人(第34期)・海上自衛隊補給本部副本部長(2016年7月)
江川宏(第34期)・第1護衛隊群司令(2016年12月)
大西哲(第34期)・第31航空群司令(2016年12月)
※肩書はいずれも2019年4月現在。( )は海将補昇任時期。
※2018年夏の将官人事以降の昇任将補については、期別未確認なので追記する可能性あり。
以上のようになっており、まずは福田、大町、泉までの3名が1選抜での昇任を果たし、近い将来の海上幕僚長候補として注目されている形だ。
またもちろん、海上自衛隊では2選抜の将官もさらに上に行く可能性が高く、伊藤、江川、大西も要注目である。
泉については、水上艦艇出身の幹部として、非常に充実したキャリアを積んできた最高幹部の1人だ。
あるいは海将にも昇り、ますますその活躍の幅を広げ、重い責任を担っていくことは間違いないであろう。
一般大学出身ということもあり、その活躍からは目が離さずに、そしてこれからもますます応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト)
◆泉博之(海上自衛隊) 主要経歴
平成
2年3月 海上自衛隊入隊(第34期相当)
13年1月 3等海佐
16年7月 2等海佐
17年6月 おおなみ船務長兼副長
18年8月 とね艦長
20年3月 海上幕僚監部補任課(市ヶ谷)
21年1月 1等海佐
23年8月 海上幕僚監部防衛部防衛課編成班長(市ヶ谷)
24年12月 第1護衛隊司令(横須賀)
26年8月 海上幕僚監部人事教育部補任課長(市ヶ谷)
27年12月 第2護衛隊群司令(佐世保) 海将補
29年12月 練習艦隊司令官(呉)
30年12月 統合幕僚学校副校長(目黒)
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