大西哲(おおにし・さとる)|第34期・海上自衛隊

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大西哲は昭和42年1月生まれ、神奈川県出身の海上自衛官。

防衛大学校第34期の卒業で41幹候、出身職種は飛行(P-3C哨戒機)だ。

 

平成29年8月(2017年8月) 海上幕僚監部監察官・海将補

前職は自衛艦隊司令部勤務であった。

 

2018年5月現在、海上幕僚監部監察官の要職にある大西だ。

海幕の監察官は、事故や不祥事などが起こった際には、それら調査の責任者を務めることで知られるポジションだが、平時でも、海自の各種オペレーションが守られ、規律が保たれているか。

全国の組織や部隊を調査して廻ることから非常に多忙なポストになる。

またその任務の特性上、全国の部隊を俯瞰する能力も求められることから、「若手将補」が着任した場合、将来を嘱望されている幹部である可能性が高い。

大西もその意味では、期待の幹部と言ってよいだろう。

 

一方でその大西だが、やや気になることがある。

それは平成28年12月、海将補に昇って以降のキャリアだ。

平成28年12月に第5航空群司令に補職され、海将補に昇任した大西だが、その僅か3ヶ月後、29年3月には自衛艦隊司令部勤務を命じられ、異例の速さで異動となってしまう。

そしてそのわずか5ヶ月後である29年8月からは海上幕僚監部監察官を命じられ、2017年9月現在で現職になっている。

 

いくら幹部の人事異動が繰り返される自衛隊でも、8ヶ月の間に3つのポストを異動することは異例、というよりも通常あり得ない。

固定翼航空機の幹部として最高に栄誉あるポストの一つ、第5航空群司令を務めていたものが役無しで自衛艦隊勤務というのも通常の人事ではまず考えられないことだ。

このような場合、あるいは何か不祥事があったのかと想像が働くが、その後、海上幕僚監部監察官に補職されており、不祥事を起こした者がそのような要職に就くことも想定できずに真相は不明だ。

 

あるいは一つ考えられることは、大西は第26代の第5航空群司令だが、第25代で前任にあたる司令が第5航空群司令時代の行為で、週刊誌に叩かれ左遷される出来事があった。

週刊誌に掲載されたのは2017年1月。

大西が第5航空群司令に着任して僅か1ヶ月後で、前任の司令が第31航空群司令に転出して同様にわずか1ヶ月後のことであった。

 

記事が事実であれば、前任者がやらかしたことは決して褒められたものではなく、海自の全幹部曹士に対しても申し開きができることでない。

さすがに真偽についてはわからないが、ただ結果としてその前司令は、この記事から2ヶ月後の2017年3月、第31航空群司令に着任してわずか3ヶ月で海上自衛隊幹部学校副校長に転出している。

つまり、外形的には左遷と取られても仕方のない人事で、表に出ないポストにまわされたということだ。

 

そしてなぜか、その記事が出た際に第5航空群司令であった大西も、第5航空群司令から自衛艦隊司令部勤務へと異動になっている、というのが客観的な事実だ。

なぜ大西までこのような異動になったのかは推し量るより他にないが、おそらく完全なとばっちりだろう。

第5航空群が所在する沖縄は政治的にもセンシティブな土地柄でもあり、あるいは様々な雑音が殺到したか。

前任者から職務を引き継いでいる事もあり、大西には無関係なことでも理不尽な批判が寄せられていた可能性もある。

いずれにせよ、大西には無関係な話でキャリアが変わってしまったのであればとても残念だ。

 

一方で大西は、海幕監察官に着任後、早々に大きな調査にあたることになってしまった。

2017年8月26日に発生した、護衛艦せとぎり艦載機である、SH-60J航空機墜落事故の事故調査だ。

この事故が発生すると翌日の27日には海上自衛隊内に事故調査委員会が発足。

大西が調査委員長に就任し、回収されたFR(フライトレコーダー)のデータ解析と、救助された航空士1名からの聞き取り調査などを行っている。

 

この事故は結局、事故の原因は人的要因であると結論付けられたが、航空事故というものはたった一つのヒューマンエラーで起こり得るものでは決して無く、もしそんなことで発生するならばそれは機材も運用の仕組みも間違っている。

そんなことは海自も大西も百も承知の上での発表だろうが、話は軍事上の機密にも関わることであり、またいろいろなところやOBからの圧力もあって、公表できること、できないこともあるのだろう。

そういう意味でも、監察官ポストというものは一筋縄ではいかない難しいポジションのようだ。

 

さて次に、大西と大西の同期である34期の状況について見てみたい。

大西が海上自衛隊に入隊したのは平成2年3月。

1等海佐に昇ったのが21年1月なので、34期組1選抜前期のスピード出世だ。

海将補に昇ったのは28年12月なので、こちらは同期1選抜から1年4ヶ月の遅れとなるが、そもそも将官に昇る者の数が少ない海空ではこれくらいの遅れは大きな差にはならない。

海将に昇る時期によって人事は大きく変わるので、まだまだ34期組から抜け出すものは見えない状況だ。

 

なお2018年5月現在で、その34期組で海将補にあるものは以下の通りとなっている。

 

福田達也(第34期)・第4護衛隊群司令(2015年8月)

大町克士(第34期)・幹部学校副校長(2015年8月)

泉博之(第34期相当)・練習艦隊司令官(2015年12月)

伊藤秀人(第34期)・海上自衛隊第3術科学校長(2016年7月)

江川宏(第34期)・海上幕僚監部総務部副部長(2016年12月)

大西哲(第34期)・海上幕僚監部監察官(2016年12月)

※肩書はいずれも2018年5月現在。( )は海将補昇任時期。

 

上記のような状況になっており、まずは福田、大町、泉の3名あたりが一つリードしているといってよいだろう。

当面の所、34期組の人事はこの6名を中心にして展開され、おそらく1選抜の海将もこの6名の中からということで間違いないはずだ。

 

大西については、やや良くわからない異動が続いたので、次の補職によってどのようなキャリアになるのか。

その大きな分岐点になるのではないだろうか。

おそらく早ければ、2018年夏の将官人事で次のポストに異動になることが予想され、その行方を楽しみに注目したい。

 

本記事は当初2017年9月12日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年5月6日に整理し、改めて公開した。

 

◆大西哲(海上自衛隊) 主要経歴

平成
2年3月 海上自衛隊入隊
13年1月 3等海佐
16年7月 2等海佐
18年3月 第6飛行隊長兼第6航空隊副長
20年3月 海上幕僚監部人事計画課
21年1月 1等海佐
23年3月 海上幕僚監部装備体系課
23年8月 海上幕僚監部航空機体系班長
25年3月 第5航空隊司令
26年8月 統合幕僚監部運用3課長
28年12月 第5航空群司令 海将補
29年3月 自衛艦隊司令部
29年8月 海上幕僚監部監察官

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 第5航空群公式Webサイト(顔写真及びP-3C画像)

http://www.mod.go.jp/msdf/naha/topics/topics.html

http://www.mod.go.jp/msdf/naha/gallery/gallery.html

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