中村公多朗(なかむら・こうたろう)は昭和47年12月30日生まれ、福井県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第39期の卒業で幹候76期、職種は武器科だ。
平成30年8月(2018年8月) 第2後方支援連隊長・1等陸佐
前職は陸上幕僚監部装備計画部装備計画課補給管理班長であった。
なお、第2後方支援連隊長としての指導方針は以下の通り。
【連隊長統率方針】
「任務完遂」
【要望事項】
「練磨、連携、継承」
(画像提供:陸上自衛隊東北方面隊公式フェイスブック)
(画像提供:陸上自衛隊第2後方支援連隊公式Webサイト)
2019年9月現在、北海道の旭川に所在する第2師団隷下で、第2後方支援連隊長を務める中村だ。
武器科の高級幹部であり、在中国防衛駐在官を務めるなど、非常に多彩なキャリアを誇る39期のエースである。
一般にはなかなか接点がない武器科の幹部ということもあり、張り切ってご紹介をしていきたい。
その武器科だが、数少ない一般市民と接点がある活躍からお話すると、やはり不発弾処理の現場であろうか。
今も、先の大戦時に大規模な空襲を受けた東京や大阪を始めとした各地、上陸戦を経験した沖縄などでは、建設現場の地面を掘り返すと不発弾が発見されることが珍しくない。
このような時には、ほぼ100%の確率で陸自の武器科に所属する不発弾処理部隊が現地に赴き、文字通り命がけの任務でその撤去に臨む。
自衛官が国民のために、命を賭けて仕事をしていることが肌感覚で伝わってくる、非常に緊張感のある現場だ。
ところで、このように危険が伴う不発弾の処理だが、これだけ危険な任務である。
どれほどの高額な危険手当が付加されるとお思いだろうか。
結論から言うと、その金額は出動1回あたり、たったの5200円だ。
さらに、危険性が低いとみなされた不発弾処理の場合、1時間あたりたったの110円である。
この数字を、どうお思いだろうか。
いくら防衛予算が少ないとはいえ、また全体として予算縮減の要請が大きいとはいえ、これほどの危険任務に赴く自衛官に対する処遇がこれで良いのか。
私たち国民が我が事として、自分の父親であり夫であり、母親であり妻をその任務に送り出すとしたら、果たしてこんな安い仕事の評価しかされていない事実を知ればどう思うだろうか。
そして、自分であればこんな危険な任務を、この程度の手当で喜んで引き受けることができるだろうか。
しかしそれでも、誇り高い自衛官たちは不平の一つも言わず、非常に高いクオリティで今日も、命令通り確実な仕事をこなす。
そしてそれは、この先も変わることはないだろう。
しかしながら私たち国民は、自衛官の誇り高い任務への意識と、その尊い志に甘えているだけで良いのだろうか。
このような状況を知った上で、それでも「当たり前」であると思われるだろうか。
もちろん、危険な任務に赴くのは武器科だけでなく、危険な任務は不発弾処理だけではない。
レンジャー訓練では、過酷な訓練故に命を落とすものもいた。
空挺降下でも、飛行任務でも、演習中の事故で亡くなった戦車兵もいる。
要するに、あらゆる危険な任務に対する評価が、リスクに見合ってないのではないかということだ。
別の観点では、リスクそのものを下げる努力を怠ってはならないことは、言うまでもない。
しかしながら、不発弾処理や、荒れ狂う自然環境の中での人命救助活動のように、自衛官個人がどうしても、命の危険を回避できない任務というものは一定数残り続けるだろう。
であればせめて、そのような任務に赴く自衛官からだけでも、その任務に対しせめて金銭で応えることはできないか。
不発弾処理のニュースを聞くたびに、そのように切望してならない。
話が大きく逸れたので、中村に戻したい。
では、そのような誇りある任務に赴く部下を統率する中村とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
コメントを残す