中村公多朗(なかむら・こうたろう)|第39期・第2後方支援連隊長

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その中村が陸上自衛隊に入隊したのは平成7年3月。

原隊は、青森県八戸市に所在する第9後方支援連隊の武器大隊であった。

先述のように、武器科の初級幹部としてその自衛官生活をスタートさせたことになる。


(画像提供:陸上自衛隊第2後方支援連隊公式Webサイト

その後、補給処の弾薬部勤務や武器学校の弾薬科で教壇に立った後に、イラク復興業務支援隊の一員として現地に渡る。

なお、中村がイラクに渡ったのは平成16年1月からなので、おそらくこれは第1次の復興業務支援隊であったはずだ。

時の隊長は、後にひげの隊長として有名になり、2019年9月現在で参議院議員を務める佐藤正久(第27期)。

なお第27期は、現統合幕僚長の山崎幸二(第27期)と同期ということになる。

また言うまでもなく、第一次復興支援隊の一員として選抜されたということは、陸自を代表する隊員であると認められたことでもある。

 

ところで陸自の場合、同時期にイラクで活躍した部隊は大きく2つ。

一つが給水や各種施設の復興を実際に担当したイラク復興業務支援群。

そしてもう一つが、中村が任務を果たしたイラク復興業務支援隊だが、この支援隊の方は、主として現地の行政機関や日本の外務省と、任務の内容について調整するための組織だ。

そのためおそらく中村は、第1次復興支援群、第1次復興支援隊として最初に現地に部隊を展開する際に、武器科の幹部としてどのような危険がどのような場所に存在するのか。

不発弾や地雷といったリスクからどのように隊員を守るのか。

おそらくそういった要請に、専門的見地から、現地で具体的な任務の立案に携わったのではないだろうか。

決して表で目立つことはない職種だが、中村のような武器科の幹部曹士がいるからこそ、国際貢献の現場でも安全に、活動をすることができる。

後方支援系職種の重要性を、改めて認識させてくれるような中村の活躍であった。

 

また帰国後は、武器学校の教育課で再びその手腕を発揮するが、それ以外の多くの時間を中央(陸幕)の運用支援・情報部、防衛部、装備計画部で過ごす。

その間、在中国防衛駐在官という極めて重要な駐在武官として活躍するなど、まさにエリートらしい非常に充実したキャリアを着実に積み上げてきた39期の注目株だ。

そして平成30年8月から、20年ぶりとなる職種部隊(と言ってよいのか定かではないが)となる、第2後方支援連隊に赴任。

連隊長に着任し、後方支援の現場で汗を流す毎日を過ごしている。

 

では最後に、その39期組の人事の動向について見てみたい・・・ところだが、39期組は2020年に最初の陸将補が選抜される年次であり、2019年9月現在では、1選抜の幹部でも1等陸佐だ。

そのため今がまさに、心当たりのある1佐にとっては、1年後を目指して追い込みの時期だろう。

同期には数多くの1等陸佐がいるために、個別の紹介は割愛したい。

 

中村については、今まさに、我が国の安全保障にとって驚異となる中国に渡り、防衛駐在官として「軍人外交」をこなしてきた幹部だ。

その知見は非常に重要なものとして、我が国の安全保障政策にとっても無くてはならないものとなるだろう。

そう言った意味でも今後のさらなる活躍は確実であり、更に注目を続けていきたい。

そして武器科という誇り高い職種にあるその他幹部曹士も併せて、しっかりと応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。


(画像提供:陸上自衛隊第2後方支援連隊公式Webサイト

◆中村公多朗(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
7年3月 陸上自衛隊入隊(第39期)
8年3月 第9後方支援連隊武器大隊(八戸)
10年3月 関東補給処弾薬部(霞ヶ浦)
14年3月 武器学校教育部弾薬科(土浦)
16年1月 イラク復興業務支援隊(イラク)
16年8月 武器学校教育部教育課(土浦)
20年1月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課(市ヶ谷)
23年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛班(市ヶ谷)
25年6月 在中国日本大使館防衛駐在官(北京)
28年7月 陸上幕僚監部装備計画部装備計画課補給管理班長(市ヶ谷)
30年8月 第2後方支援連隊長(旭川)

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