その山本が陸上自衛隊に入隊したのは平成8年3月。
1等陸佐に昇った人事発令が防衛省で確認できないので、恐らくこれは防衛駐在官あるあるで、米国赴任前の平成26年6月に1選抜よりも半年早く1佐に昇任していると思われる。
原隊(初任地)は北海道の真駒内に所在する第11戦車大隊で、同地で初級幹部として、厳しい自衛官人生のスタートを切った。
(画像提供:陸上自衛隊第71戦車連隊公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第71戦車連隊公式Webサイト)
その原隊で、小隊長、大隊本部運用訓練幹部、副中隊長を務め上げるとCGS(指揮幕僚課程)に合格し、入校。
やはりエリートの道に乗ると現場からは遠ざかることになり、以降中央での勤務が続くが、平成19年8月からは陸上幕僚監部防衛政策局調査課の立場で外務省に出向。
防衛省に戻ってからは防衛部防衛課の激務の一つ、編成班に詰めて全国の陸自部隊に関する配置や文字通り編成に関する任務をこなし、全軍を俯瞰する見識を磨く。
また平成23年度の中期防衛力整備計画策定の実務をこなし、25年度編成事業全般の立案も担当するなど、エリートらしい任務を次々に任された。
さらにこれら激務をこなすと、平成25年1月からはローマに所在するNATO国防大学の上級幹部課程に入校しこれを修了。
その後職として米国防衛駐在官に抜擢され、活躍をしたことは先述のとおりだ。
そして平成29年8月、久しぶりの地方隊勤務として第7師団司令部の第3部長に着任し、師団の主要な事業に関する責任者として手腕を発揮すると、30年8月には第71戦車連隊長を任され、北の最精鋭部隊で指揮を執ることになった。
文字通り、40期組を代表するエリートの一人であり、国際感覚に溢れた、我が国の国防を担って立つことになる幹部自衛官の一人と言ってよいだろう。
なお余談だが山本は、CGSを卒業してすぐに、札幌地方連絡本部(現在の地方協力本部)企画広報室で広報班長を務めたことがある。
やはり一般大学の卒業生としてエリートポストに乗ると、学生の勧誘や採用の現場でも重宝されるということなのかも知れない。
ちなみに上記1枚目の写真だけをみると山本はコワモテに見えるが、実は笑顔の魅力的なイケメンでもある。
現職では指揮官ポストにあるので、なかなか笑顔が見られないかも知れないが、ぜひ北千歳の記念行事に足を運んだ際には、山本率いる71戦車連隊の勇姿にも注目してほしい。
では最後に、いつもどおりその山本と同期である40期組の人事の動向について・・・
と言いたいところだが、40期組は2021年に最初の陸将補が選抜される予定の年次だ。
そのため、2019年3月現在では1選抜のスピード出世組でも1佐であり、そのご紹介は後日加筆することにしたい。
いずれにせよ山本を始めとした40期組は、2030年代前後にかけて我が国の国防の中心を担っていく世代である。
その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊第71戦車連隊公式Webサイト)
◆山本雅史(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
8年3月 陸上自衛隊入隊(第40期)
9年2月 第11戦車大隊小隊長、大隊本部運用訓練幹部、副中隊長(真駒内)
15年8月 幹部学校・指揮幕僚課程(目黒)
17年8月 自衛隊札幌地方連絡本部企画広報室広報班長(札幌)
19年8月 陸上幕僚監部防衛政策局調査課(外務省出向)
21年4月 陸上幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
24年4月 陸上幕僚監部防衛部防衛課編成班
24年8月 幹部学校学生(目黒)
25年1月 陸上幕僚監部運用支援・情報部(NATO国防大学上級幹部課程・ローマ)
26年6月 在アメリカ防衛駐在官
29年7月 陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部(市ヶ谷)
29年8月 第7師団司令部第3部長(東千歳)
30年8月 第71戦車連隊長(北千歳)
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