【退役】佐藤誠(さとう・まこと)|第26期・海上自衛隊

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佐藤誠は昭和34年7月生まれ、青森県出身の海上自衛官。

防衛大学第26期の卒業で幹候33期、出身職種は飛行だ。

 

平成29年12月20日(2017年12月20日) 佐世保地方総監・海将のポストを最後に勇退。

前職は海上自衛隊補給本部長であった。

なお、最後の補職となった佐世保地方総監としての指導方針は以下の通りであった。

 

【勤務方針】
「精強・即応」

【細目】
「絆」「減り張り」

 

 

【以下、2017年12月25日に加筆】

26期組最後の海将2名のうち1名であった佐藤が、ついに退役となった。

そして、航空畑一筋で我が国の平和と安全に貢献し続けた、長かった海上自衛官人生が終わりを告げた。

 

その最後の補職となったのは、佐世保地方総監。

海上自衛隊の補職に詳しい人ならよくご存知だと思うが、このポストは海上幕僚長に昇る前に最後に着任するポストの一つであり、いわば実質的なNo.2のポストの一つだ。

 

自衛艦隊司令官、佐世保地方総監、横須賀地方総監、海上幕僚副長。

少数の例外はいくつかあるものの、この4つのポストが海上幕僚長に昇り、海上自衛隊のトップを極める者が最後に補職される役職という扱いになっている(2017年12月現在)。

 

その佐世保地方総監まで昇った佐藤である。

外部環境が僅かに違えば、あるいは人事の巡り合わせがどこかでわずかに違えば、海上幕僚長に昇ったであろう男であったことに疑いの余地はない。

 

2017年現在の、我が国を取り巻く安全保障環境は極めて厳しい。

このような状況の中で退役となることはとても寂しい思いであるかもしれないが、佐藤が育てた後輩たちも皆、優秀な幹部曹士ばかりだ。

 

ぜひ、まずはゆっくりと骨安めをされて、第二の人生でスタートダッシュを切るための気力と体力を蓄えられますように。

今後は、民間人の立場からも自衛隊に対し厳しい叱咤激励をされますことを、ご期待申し上げております。

 

長い間、本当にお疲れ様でした。

佐藤海将の誇りある海上自衛官人生に心からの感謝と心からの敬意を捧げ、さらなる人生のご多幸を心からお祈り申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

 

 

【以下、2017年11月6日に記述】

さて、海上自衛隊の将官ポストとして「最高の序列」に位置する佐世保地方総監の、佐藤誠だ。

トップを極め海上幕僚長に着任するものが最後に通過するポストの一つであり、本職から海上幕僚長に着任したものは過去多数存在する。

特に第18代から22代にかけての5名は、

第18代 佐久間一(第1期)

第19代 岡部文雄(第2期)

第20代 林崎千明(第4期)

第22代 夏川和也(第6期)

と、5名のうち4名までが佐世保地方総監から海上幕僚長への着任であり、なおかつ防衛大学校卒業組がトップに着任し始めた時期で、人事方針上のインパクトは非常に大きなものであった。

まるで防大卒業生にとっては、佐世保地方総監ポストが海上幕僚長への指定席とも言えるような人事が続いた時期もあるが、それほどまでに佐世保地方総監のポストというものは極めて重いということだ。

なお第21代は福地建夫(第5期)であり、横須賀地方総監からの着任であった。

 

直近の人事では、第29代の赤星慶治(第17期)が2008年3月、佐世保地方総監から海上幕僚長に昇ったのを最後に4代続けて佐世保地方総監からの昇格とはなっていないが、これは決してポストの格が変わったことを意味しない。

むしろこの海域における海上自衛隊の役割は、高まりこそすれ軽くなることは歴史上も今後の流れでも想定できず、ますます重要なポストであり続けるだろう。

そして佐藤自身も、村川豊(第25期)の後を継ぐ、第34代海上幕僚長の極めて有力な候補者の一人である。

 

なお、第34代海上幕僚長人事は恐らく2018年冬が予想されているが、その際に候補になりそうな最高幹部は以下の通りだ。

 

山下万喜(第27期)・・・自衛艦隊司令官(2016年12月着任)

佐藤誠(第26期)・・・佐世保地方総監(2016年12月着任)

道満誠一(第26期)・・・横須賀地方総監(2016年12月着任)

山村浩(第28期)・・・海上幕僚副長(2016年12月着任)

 

これ以外のポストから着任することも考えられなくはないが、2017年11月現在の状況を考えると、恐らくこの4名の中から第34代の海上幕僚長が選ばれると見てまず間違いないだろう。

今後の状況を考えると、これに航空集団司令官が加わってくることも想定できるが、少なくとも第34代での人事では、そのジャンプアップは無さそうだ。

 

 

さて、そんな最重要ポストにある佐藤だが、どれほどのトップエリートであり、出世街道を駆け上がって来たのかを見てみたい。

 

海上自衛隊に入隊したのは昭和57年3月。

すでに陸上自衛隊では、全ての将官が退役している26期組である。

そして1等海佐に昇ったのが平成13年1月で、26期組の1選抜。

将補に昇ったのがやや遅く平成21年7月だ。

同期最速は平成19年7月なので、実に2年遅れということになる。

そして海将に昇ったのが平成26年3月であり、こちらも同期最速に半年遅れであった。

 

なお、1等海佐、海将補、海将に1選抜で昇ったのは佐藤と同じ飛行畑の坂田竜三(第26期)であったが、2017年7月、早期退職勧奨を受け退役した。

1選抜で海将に昇ったものでも、既に退役が始まっている年次であることを思い知らされる人事であったが、恐らく佐藤も、海上幕僚長に昇らない限りは、佐世保地方総監が最後のポストになるのは間違いないと思われる。

 

八戸の第2航空隊を皮切りに、我が国の海の安全を空から守り、第3飛行隊長(厚木)、第7航空隊司令(鹿屋)、第4航空群司令(厚木)などを歴任してきた男だ。

海軍航空隊の魂を受け継ぐ、シーマンシップに溢れたスマートな将官だが、どれほど有能な将官であっても必ず退役の時が来ることを考えると、やはり寂しさを禁じ得ない。

 

海上幕僚長に昇るのか、それとも退役となるのか。

まさに0か1かの最後の異動となるわけだが、佐世保地方総監は我が国の海の安全とシーレーンを守る要になる地方隊である。

ぜひ全力を尽くし、佐藤という男の存在感を見せつけて欲しい。

 

本記事は当初2017年7月5日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月6日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

 

佐藤が伝統ある佐世保地方総監に就いた2017年は、佐世保地方隊の管轄区域において、我が国の国防上の重要性がもっとも高まっている時期でもある。

尖閣諸島を始めとした西方・南西方面の離島防衛のために陸自の西普連(西部方面普通科連隊)を基幹とする「海兵隊」が創設される黎明期であり、また沖縄には陸自新駐屯地の建設も始まる時期だ。

海上自衛隊ももちろん、これら島嶼部防衛には中心的な役割を果たし、輸送や飛行の面で、陸自とは密接に協力しあっている状況にある。

 

そしてこの流れの中で、長年に渡り海上自衛隊のフラッグシップであり象徴的存在であった護衛艦くらまが佐世保地方隊から退役し、代わりに呉からいせが回航され、新たに佐世保地方隊の担当になった。

この際、くらまの自衛艦隊旗を受領し、その最後の任務を見届けたのは佐藤になったが、その思いもひとしおであったのだろう。

退役セレモニーにおける式辞は、とても印象的なものであった。

 

くらまを巡っては、我が国のフラッグシップでありながら韓国のコンテナ船に一方的にぶつけられ、炎上した事故がどうしても思い出される。

36年に渡り日本の国防を最前線で担ってきたこの海の古強者(Old Navy)の引退について、一般の日刊紙で報じる記事を見かけることはほとんど無かった。

そのような中、2017年3月にひっそりと引退をしたのは極めて残念であった。

地方紙で小さく退役を報じるところはあったが、その艦歴の中でこのような極めて不快な当て逃げをされたことや事故を報じた報道もなく、おそらく多くの人の記憶にも残っていないであろう。

 

長年に渡り護衛艦くらまが我が国を守り、そして静かに引退していったことに、一人でも多くの人に思いを馳せてもらえれば幸いだ。

 

ところで、突然の余談だが、佐藤誠という名前は実にややこしい。

2014年に東京商工リサーチが発表した日本全国の社長さん名簿では、最も多い姓が佐藤(34000社余り)であり、最も多い名前が誠(11000社余り)。

必然的に、全国の社長さんで最も多い名前が佐藤誠(174社)であり、同姓同名の著名人が極めて多い。

余談ついでだが、2番目に多い社長さんの名前は鈴木隆、鈴木茂、田中博などが続く。

難読漢字の当て字名が良いとは思わないが、これはこれで、軍事組織の要職にある幹部名としてはややこしくないのかと心配になってしまう。

 

ちなみに海上自衛隊の幹部には、佐藤の1期後の防衛大学第27期にも佐藤誠がいる(どちらも佐藤だが)。

やまぎり艦長やはるさめ艦長を務めた佐藤誠がその人であり、こちらもわずか1期違いの同じ海上自衛隊の幹部で、ややこしくなかったのだろうか。

 

◆佐藤誠(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
57年3月 海上自衛隊入隊(第26期)
60年12月 第4航空隊(八戸)

平成
2年7月 第2航空隊(八戸)
5年1月 3等海佐
5年3月 航空集団司令部(厚木)
7年3月 海上幕僚監部防衛課(市ヶ谷)
8年7月 2等海佐
9年3月 第3航空隊(厚木)
10年3月 第3飛行隊長(厚木)
11年3月 海上幕僚監部人事計画課(市ヶ谷)
13年1月 1等海佐
13年5月 外務事務官(トルコ)
16年8月 海上幕僚監部防衛課(市ヶ谷)
16年12月 兼統合幕僚監部3室兼外務省出向
17年4月 第7航空隊司令(鹿屋)
18年8月 海上幕僚監部人事計画課長(市ヶ谷)
21年7月 第4航空群司令(厚木) 海将補
23年8月 海上幕僚監部監察官(市ヶ谷)
24年12月 佐世保地方総監部幕僚長(佐世保)
26年3月 航空集団司令官(厚木) 海将
27年8月 補給本部長(十条)
28年12月 佐世保地方総監(佐世保)

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊、佐世保地方隊Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/sasebo/4_active/5_change/28_index.html

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