佐藤篤(さとう・あつし)|第35期・第47普通科連隊長

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佐藤篤(さとう・あつし)は京都府木津川市出身の陸上自衛官。

生年月日は昭和44年3月6日であり、普通科の幹部だ。

出身種別・陸上自衛隊入隊年月日が判明しないため、ストレートの場合の防衛大学校卒業生として暫定的に第35期・幹候72期として記載するが、別に事実が判明すれば更新したい。

 

平成30年8月(2018年8月) 第47普通科連隊長・1等陸佐

前職は部隊訓練評価隊副隊長であった。

(画像提供:陸上自衛隊第47普通科連隊公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊中部方面混成団公式Webサイト

2019年9月現在、第47普通科連隊長を務める佐藤だ。

第47普通科連隊は海田市に所在する普通科連隊であり、即応予備自衛官を主体とするコア部隊である。

なお即応予備自衛官とは、自衛官経験者である元隊員が、普段は民間で仕事をしながら一般人として働き、有事に際しては召集に応じ、自衛官の身分に戻る隊員のことを指す。

またこれ以外に、自衛官を経験したことがない一般人でも、有事の際には国防に貢献できる予備自衛官補という制度がある。

こちらは34歳までの日本国民であれば誰でも応募が可能なので、ぜひ自衛隊に興味がある人は、googleで「予備自衛官補」と検索して、応募を検討して欲しい。

 

また「コア部隊」とは、即応予備自衛官、つまり非常勤の自衛官を主戦力とする部隊のことであり、普段は連隊の中核、すなわち「コア」のみで運用されている部隊を表す用語だ。

「MTB(main battle tank)=主力戦車」のように、言葉のイメージから戦闘を決する主力のようなイメージを受けるかも知れないが、別の役割を担う戦力なので注意をして欲しい。

 

さて、その即応予備自衛官を主力とする第47普通科連隊を率いる佐藤についてだ。

佐藤は原隊こそ、札幌の真駒内駐屯地で自衛官人生のスタートを切っているが、「心の原隊」は習志野に所在する、別名「第1狂ってる団」と尊称(?)される、第1空挺団でのキャリアが長い。

原隊で初級幹部訓練を受けると、すぐに第1空挺団普通科群に異動となり、空挺教育隊で教育を受け、以降現場にあってはこの、我が国を代表する精鋭部隊で活躍を続けた。

 

ところで、第1空挺団のファンであれば誰でも知っているであろう、「第1空挺団・新年初降下訓練」について、少しお話してみたい。

習志野演習場は、首都圏に所在することもあり、ご存知のように非常に狭小なエリアしか持たない。

演習場と言うよりも、ちょっと広めの自然公園と言った感じだ。

そしてこの、首都圏の都市部のど真ん中に位置する極めて狭いエリアで、第1空挺団の新年初降下が行われる。

これが何を意味するか、おわかりだろうか。

 

正直、私(管理人)も余り深く考えたことが無かったのだが、2019年1月に行われた新年初降下にお招き頂いた時に、戒田重雄(第35期)・第1空挺団長から聞いたお話で、その意味を知ることができた。

うろ覚えだが、概ね以下のような会話だっただろうか。

 

「ところで、この初降下で私たちが表現したいものはわかりますか?」

「申し訳ありません、恥ずかしながらわかりません。」

「これだけ狭い、周囲に障害物があるエリアにでも、短時間で精鋭部隊を展開できるという意思表示です。第1空挺団はこれほどに、精強で精鋭であるということを、ぜひご理解下さい。」

「今日は米軍も一緒に降りましたね」

「はい、そうです。これだけ困難な作戦を、米軍とともに遂行する能力があるということです。楽しんでいって下さい。」

こんな会話であっただろうか。

 

これが意味するものを、読者の皆さんはおわかりだろうか。

これはすなわち、中国人民解放軍が我が国の西方を侵攻する意思を見せた場合には、いつでも奪還作戦が遂行できることを意味している。

普段、共に訓練をしていない米軍とでも、狭いエリアに短時間で、まとまった戦力を降ろせるというメッセージである。

団長は多くを語られなかったが、少なくとも私はそう理解した。

 

すなわち、尖閣を始めとした西方有事が発生した場合。

詳しい説明は省略させて頂くが、中国人民解放軍は間違いなく、石垣島と宮古島にも、同時に侵攻を開始するか、もしくは上陸の構えを見せるだろう。

それらの島が尖閣への橋頭堡であり、陸上自衛隊が誇る地対艦ミサイルの防衛拠点だからだ。

そのため、これらの島を抑えずに尖閣に侵攻するのは、ハシゴを持たずに屋根によじ登るようなもので、全く意味がない。

しかし、石垣や宮古に所在する陸自の部隊は、中国の奇襲に耐えうるほどの常備戦力は有していない。

そのため、本当にこの方面で有事が発生した場合には、おそらく第一空挺団が空挺降下し、拠点確保の主力になるだろう。

そして第一空挺団は、習志野演習場程度の小さなエリアにでも、いつでも米軍と共同で、まとまった戦力を降ろせるということである。

敵の目線に立つと、これほどうっとおしい「飛び道具」は無い。

まさに、予想もしていない死角からいきなり飛んでくる第一空挺団の、本領発揮というところではないだろうか。

 

佐藤は、そのような第一空挺団で多くのキャリアを積み、そして即応予備自衛官を主力とする部隊のトップになった。

これほど気合が入った連隊長がトップになったということは、その連隊において、有事の際に即応予備自衛官はどのように行動し、敵に備えるべきか。

その実践的な訓練を任されたということなのではないだろうか。

ぜひ、そんな意味でもこの佐藤の活躍には注目をして欲しい。

 

では、そんな佐藤とはこれまで、具体的にどんなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

以下、少し詳細に見ていきたい。

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