亀岡弘(かめおか・ひろし)は昭和42年10月生まれ、広島県府中市出身の航空自衛官。
防衛大学校第35期の卒業で幹候81期、出身職種は飛行で、F-15戦闘機パイロットだ。
平成30年3月(2018年3月) 防衛監察本部監察官・空将補
前職は第6航空団司令兼ねて小松基地司令であった。
(画像提供:航空自衛隊小松基地公式Webサイト)
2019年3月現在、防衛監察本部で監察官の要職を務める亀岡だ。
防衛監察本部は文字通り防衛省全体の法令遵守体制や各種情報の適切な取扱状況を監察するための組織であり、亀岡はその、航空自衛隊に関する部分で防衛監察官を補佐する立場になる。
本職はF-15戦闘機のパイロットであり、これまでに飛んだF-15戦闘機の飛行時間は2100時間を越える、熟練のイーグルドライバーだ。
ではなぜ、言ってみれば飛行の現場とは全く関係なさそうなポストに亀岡が着任することになったのか。
一つには、亀岡のキャリアから考えて適材適所とも言える”事件”が過去にあったからかも知れない。
話は、亀岡が小松で第6航空団司令をしていた時のことだ。
2016年12月、小松基地の部内情報が、隊員から一部のマスコミにリークされるという事件があったことを記憶している人も多いかもしれない。
6空内で訓練に使用した小銃の部品が12月7日に失われ、なおかつその事件を、外部の報道機関が基地発表前である12月9日に報じたものだ。
しかも報道の中には、部内の者でしか知り得ない情報が含まれていた。
自衛隊員が基地内部で起きた緊急性が低い事案に関し、原因調査すら定まる前に外部の、かつ報道機関に情報提供するという手法は公益通報とは言えない行為だ。
基地が問題を隠蔽しようとした事実もなく、また意図的な隠蔽を図るほどの重大性もない事案であり、程なくして淡々と発表されていたであろう。
にも関わらず、部品の紛失から僅か2日後に報道されたということは、部品紛失の当日か遅くとも翌日には、一部の隊員が報道機関にその情報を持ち込んだということになる。
その目的は、明らかに
「もっと自衛隊を良くしたい」
「第6航空団をより精強な組織にしたい」
「隠蔽行為は許せない」
という思いから為されたものではない。
むしろ、どれほど小さな不祥事であっても喜んで外部に喧伝するため、待ち構えていたというべきだろう。
自衛隊やあるいは亀岡個人を貶めたい動機であったか、小遣い稼ぎ程度の低劣な動機であったことは明らかだ。
そして亀岡は、この事件から情報管理上の重大な危機を感じ、思い切った施策に出る。
それは、所属の隊員一人ひとりの携帯電話の通話記録を任意で提出するよう通達を出すという、これまでの自衛隊では例のない思い切った対策に乗り出したことだ。
事案の性質上、軍事組織の対応として必ずしも過剰なものとは思えないが、元々が自衛隊を叩く目的でこのようなリークを掲載したメディアである。
”仲間”をあぶり出されることを恐れた一部団体とメディアは、一時期亀岡を徹底的に叩くキャンペーンを展開した。
この事態に対し、当時6空司令部の監理部長であった安藤浩2佐は
「犯罪や不正ではない内部情報を外部に流出させる行為は見過ごせない。秘密保全と隊員保全を考えれば調査は必要である」
という当たり前の丁寧な説明をした上で実際に調査に着手したが、メディアからの総攻撃の前に航空幕僚長である杉山から直接「手法として誤解を与えかねない」と指導を受け撤回するに至ってしまった。
小銃の部品紛失事件自体は問題視するべきであり、調査を徹底すべきだが、不正も違法もない状況で、自衛隊内の情報を外部に意図的に漏らすような仲間がいれば、そんな仲間からはいつ背中を撃たれるかわからない。
この情報を流出させた人物は徹底的に調査し特定した上で、法律に基づき処罰されるべきだが、このような経緯で有耶無耶になった。
亀岡も内心、忸怩たるものがあっただろう。
そしてそんな経緯を持つ亀岡が、後職として防衛監察本部の監察官に着任したというのは、なかなか納得の人事であった。
誰よりも規律に厳しく、そして不正を許せない信念を持ちながらも、自らも痛い目にあったことがある亀岡である。
きっと誰よりもこのポストと任務に熱意を燃やしているはずであり、そして結果を出してくれるのではないだろうか。
では、そんな要職を歴任した亀岡とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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