川口貴浩(かわぐち・たかひろ)|第40期・第7特科連隊長

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川口貴浩(かわぐち・たかひろ)は神奈川県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第40期の卒業で幹候77期、職種は野戦特科だ。

 

平成30年8月(2018年8月) 第7特科連隊長・1等陸佐

前職は陸上幕僚監部運用支援・訓練部運用支援課企画班長であった。

なお、第7特科連隊長としての指導方針は以下の通り。

 

【統率方針】
「即応完遂」

【要望事項】
「より強き野戦特科隊員たれ」
「絆を大切にせよ」

(画像提供:陸上自衛隊第7特科連隊公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊第7特科連隊公式Webサイト

2019年5月現在、第7師団隷下の機甲砲兵連隊・第7特科連隊を率いる川口だ。

第7特科連隊は99式自走155mmりゅう弾砲で編成された、第2特科連隊と並び我が国で最大クラスの野戦特科部隊であり、陸上戦闘の成否を決する大火力を誇る部隊である。

野戦特科にある幹部自衛官にとって、もっとも栄誉ある連隊長ポストの一つであり、また冷戦時代から今に至るも対ロシア戦闘の主力と位置づけられる戦力だ。

 

(画像提供:陸上自衛隊第1特科団公式Webサイト

なお、その主力である99式自走155mmりゅう弾砲は、こんな物騒なヤツである。

履帯を持ち機動力を発揮しながら移動を繰り返し、敵性勢力が展開する任意の面を制圧する。

もちろん、第7機甲師団隷下にあることからおわかりのように、最高時速50km程度で移動をしながら部隊主力として、任意の作戦地点に展開することも可能だ。

また自ら速やかに移動が可能なために、自隊の位置を特定させづらくすることで被害を最小限に抑えながら戦闘を継続できる。

陸戦戦闘における最大の切り札であり、最前線で戦う普通科・機甲科にとってもっとも頼りになる相棒であると言ってよいだろう。

 

これほどの大火力を預けられた川口だ。

その経歴はどれも印象深いポストばかりだが、敢えて挙げるとすれば、それは平成18年1月から着任した、イラク復興業務支援隊における在クェート大使館連絡幹部としてのポストだろうか。

ご存知のように、イラク復興業務支援隊はイラク戦争後に、速やかなイラクの戦後復興を目的として自衛隊が現地に入り、現地政府と外務省、自衛隊の役割について各種の調整機能を担った部隊だ。

調整役と言えば、どこか偉い人と面談をするだけの安全なポストかと言えば、もちろんそんなことはない。

ただでさえ、戦後で殺気立つイラク・クェートの国内情勢の中で、様々な利害の調整や復興支援を行うということは、その行為そのものが時に、利害が一致しないものからの攻撃も招く。

そのため、これら任務に赴く前、復興業務支援隊長を務めた田浦正人(第28期)・北部方面総監などはこの任務を下令された時、まず一番に妻の両親に充て、

「自衛官に嫁がせたばかりに、ご心配をお掛けして申訳ありません。しかし、私には仕事があります。行かせてください」

と、手紙を書いたそうだ。

そして妻には感謝していること、後のことをしっかり頼みますと、文中、義父母にくれぐれも言伝たそうだが、恐らく田浦にとっては遺書代わりであったのだろう。

また同様に、復興業務支援隊長を務めた岩村公史(第29期)・第9師団長も、

・子供たちには国の役に立てるような仕事に就いて欲しい

・妻のこれまでの献身的な仕事に感謝している

・自分亡き後は、家族のことをよろしく頼む

という趣旨の遺書を残し、現地に赴いている。

 

それほどまでに危険な地に、非常な決断で赴いた幹部曹士であったが、若き日の川口もその一員であったということだ。

恐らく自衛官人生の中でも、非常に印象深い任務の一つとして記憶に残っているのではないだろうか。

 

では、そんな要職を歴任する川口とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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