中村敏弘は昭和40年7月6日生まれ、鹿児島県出身の海上自衛官。
防衛大学校第32期(機械工学)の卒業で幹候39期、出身職種は飛行でTACCO(タコー)・戦術航空士だ。
平成29年3月(2017年3月) 第1航空群司令・1等海佐、29年8月に海将補に昇任
前職は海上幕僚監部指揮通信情報部情報課長であった。
(画像提供:海上自衛隊鹿屋基地公式Webサイト)
2018年6月現在、第1航空群司令を務める中村だ。
第1航空群は海軍以来の伝統の地・鹿児島県の鹿屋航空基地に所在する固定翼哨戒期の部隊であり、P-3C哨戒機を用いて我が国の南西方面の平和と安全に目を光らせる。
なお、鹿屋航空基地があるのは鹿児島県の鹿屋市で、わかりやすく言えば鹿児島県の2本足の右側。桜島に向かう錦江湾の東側であり、日本海軍時代にはこの地で、「月月火水木金金」の猛訓練が展開されたことで知られる。
すなわち、錦江湾を真珠湾に見立てた海軍航空隊の奇襲攻撃訓練であり、深度の浅い湾内でいかにして米軍の主力部隊を叩くのか。
世界を驚かせ、世界中の海軍にパラダイムシフトを起こすことになった大変革は全て、この鹿屋の地から始まった。
その後、敗戦により国は奪われ、そしてあらゆるものが接収されたが、独立を回復した直後の昭和29年7月には、この鹿屋の地に早くも、海上自衛隊鹿屋基地が再建され今に至る。
その伝統ある鹿屋の地で、「第1」の名を冠した航空群を率いることはやはり、海上自衛隊の航空屋である幹部自衛官にとっては、非常に大きな喜びだ。
過去には、この補職で指揮を執ったものの中からは、夏川和也(第6期)が第22代海上幕僚長(第22代統合幕僚会議議長)に、石川亨(第11期)が第25代海上幕僚長(第25代統合幕僚会議議長)にそれぞれ昇っている。
現役では、呉地方総監の池太郎(第27期)、航空集団司令官の杉本孝幸(第29期)、統合幕僚学校長の出口佳努(第30期相当)3名の海将が、この鹿屋の地にあって、第1航空群司令を務めた(肩書はいずれも2018年6月現在)。
まさに錚々たる顔ぶれであり、気が遠くなるほどの歴史と伝統溢れる補職だ。
中村が海将補として着任した第1航空群司令と鹿屋基地は、これほどまでに重い伝統と責任を背負い、我が国の南西方面における安全保障を担う。
では、そんなポストを担うことになった中村とはどういう男なのか。
少し詳しく見ていきたい。
コメントを残す