その川口が陸上自衛隊に入隊したのは平成8年3月。
1等陸佐に昇ったのが27年1月であったので、40期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。
原隊(初任地)は、久留米に所在していた第4特科連隊であり、同地で初級幹部として、厳しい自衛官生活のスタートを切った。
(画像提供:陸上自衛隊第7特科連隊公式Webサイト)
その原隊では、2大隊前進観測班長、大隊本部運用訓練幹部、連絡幹部などの要職を歴任すると、15年3月にはそのまま中隊長ポストに着任。
さらに、陸自幹部の最高峰であるエリートコース、CGS(指揮幕僚課程)に合格して、学生生活に入ることになる。
卒業後はしばらく職種部隊を離れ、スタッフや幕僚の勤務が続き、富士学校特科部教育課の戦術教官、中央では陸上幕僚監部防衛部情報通信・研究課研究班装備係、統合幕僚監部運用部運用第1課防衛警備班第1係などの重要な任務を遂行。
班長ポストは陸上幕僚監部運用支援・訓練部運用支援課企画班長で務めた。
また平成28年3月からは、第8師団司令部第3部長の要職を務め、師団が実施する様々な行事などの主務者として活躍した。
その間、平成18年1月からイラク復興業務支援隊在クェート大使館連絡幹部として活躍していることは先述のとおりだ。
そして30年8月、第7特科連隊長に着任し、我が国を代表する大火力の実力部隊を率いている。
40期組のなかで注目を集める、野戦特科の幹部の一人である。
なお上記写真は、記憶に新しい平成30年北海道胆振東部地震において、現地指揮を取る川口の様子だ。
この震度7を記録した地震では、死者42名、重軽傷者762名を出すという大惨事となってしまったが、この際にいち早く現場に駆けつけ、人命救助に当たったのが川口であった。
その気迫あふれる幹部曹士の活躍は報道でも広く知られているが、特に川口はその陣頭に立ち、
「(命の期限とされる)72時間を超えても要救助者がいる限り、全員救助を目指し最後まで任務に取り組め」
と訓示するなど、最後まで現場にあって戦い続けた。
ちなみに川口はこれに先立つ第8師団第3部長に在った時に、南海・東南海地震に備えた師団演習の指揮を執ったことがある。
あるいはこのような不断の訓練や想定対処も、川口の中には知見としてストックされていたことは間違いないだろう。
ある意味において不幸なことではあるが、その知見を役立て、北海道胆振東部地震において国民の命と財産を守る活動に最大限の力を発揮する事ができた。
では最後に、その川口と同期である40期組の人事の動向について・・・
と言いたいところだが、40期組は2021年に最初の陸将補が選抜される予定の年次だ。
そのため、2019年3月現在では1選抜のスピード出世組でも1佐であり、そのご紹介は後日加筆することにしたい。
いずれにせよ川口は、40期組を代表する高級幹部であり、この先2030年代にかけて、我が国の国防を担う自衛官の一人になるだろう。
その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊第7特科連隊公式Webサイト)
◆川口貴浩(陸上自衛隊) 主要経歴
8年3月 陸上自衛隊入隊(第40期)
9年3月 第4特科連隊第2大隊前進観測班長、大隊本部運用訓練幹部、連絡幹部
15年3月 第4特科連隊中隊長
15年8月 幹部学校付・第49期指揮幕僚課程
17年8月 富士学校特科部教育課戦術教官
18年1月 イラク復興業務支援隊在クェート大使館連絡幹部
19年8月 陸上幕僚監部防衛部情報通信・研究課研究班装備係
24年3月 統合幕僚監部運用部運用第1課防衛警備班第1係
27年1月 1等陸佐
27年3月 幹部学校付・#69幹部高級課程、#19統合高級課程
28年3月 第8師団司令部第3部長
29年8月 陸上幕僚監部運用支援・訓練部運用支援課企画班長
30年8月 第7特科連隊長
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