佐藤信知(第8航空団司令・空将補)|第34期・航空自衛隊

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佐藤信知(さとう・のぶとも)は昭和41年12月生まれ、静岡県出身の航空自衛官。

防衛大学校第34期の卒業で幹候80期、職種は飛行でF-15戦闘機パイロット、いわゆるイーグルドライバーだ。

 

平成29年9月(2017年9月) 第8航空団司令・空将補

前職は航空戦術教導団司令であった。


(画像提供:航空自衛隊築城基地公式Webサイト


(画像提供:航空自衛隊築城基地公式Webサイト

2018年10月現在、福岡県の築城基地に所在する、第8航空団司令を務める佐藤だ。

第8航空団は主として、中国地方から九州の北部地域をその警戒担当エリアに収める戦闘航空団であり、F-2戦闘機を運用し24時間365日、我が国の防空に目を光らせる。

佐藤自身もF-15戦闘機のパイロットとして、小松基地など国防の最前線で数々のスクランブルで空に上った、非常に経験豊富な指揮官だ。

 

その佐藤のキャリアについて。

小松基地や百里基地など、多くの現場で活躍した記録も目を引くが、やはり目を引くのは、平成27年8月から務めた、航空戦術教導団司令のポストだろうか。

航空戦術教導団は2014年にできたばかりの歴史の浅い組織であり、佐藤は2代目の司令で、空将補に昇任し最初の補職として、同ポストに着任した。

ちなみに初代司令は、早稲田大学から一般幹部候補生として航空自衛隊に入り、F-15戦闘機パイロットになった凄腕の男として知られる平塚弘司(第28期相当)

平成30年3月に、航空支援集団副司令官のポストを最後に退役となったが、非常に大きな仕事を成し遂げた誇り高き将官である。

 

航空戦術教導団の役割について、続けたい。

新しい試みとも言えるこの組織は、飛行教導群、高射教導群、電子作戦群、基地警備教導隊、航空支援隊を隷下に置くもので、実際の有事や危機に際し、それぞれのユニットがどのように対応を行うのか。

それを研究し、より実戦的な脅威への対応方法を戦術として確立しようとするために、編成された組織となっている。

従来であれば、飛行教導群であれば飛行教導群、高射教導群であれば高射教導群と、それぞれの群の中で最適と思える戦い方に合わせた兵器の運用及び研究・訓練を行っていたのだが、やや辛口の言い方をすれば、これは実戦離れしているといえる。

佐藤自身も航空戦術教導団司令時代に述べていることだが、実戦では戦闘機と高射部隊がそれぞれで脅威に対し対処を行うのではなく、それぞれの段階に応じた対処の在り方と兵科が選ばれ、対処にあたることになる。

にも関わらず、どこからどこまでであれば戦闘機、どこからどこまでであれば高射、などのような脅威への対処は、従来の仕組みでは共同研究し同じビジョンを持つことが難しかった。

まして、電子作戦群、基地警備教導隊、航空支援隊と言った部隊も、どの段階まで、どの部隊が主になって脅威の排除を行うのか。

一致したグランドビジョンがないままに、それぞれの組織で考える最適解に近づこうとする努力がなされていたといえるだろう。

 

これらを一元的に組織化し、それぞれのユニットがどのように危機に対処するのか。

そしてその対処法に対し、どのような訓練を行うのか。

言ってみれば、2014年になってやっとこの統一的な仕組みができたと言える。

言い換えれば、この航空戦術教導団は、有事における戦い方のプランナーであり、そしてその想定される事態全てにおいて適切に行動できる精強な部隊を育てるのが使命だ。

陸上自衛隊に例えれば、諸職種共同を研究する、富士学校の役割にも似た組織と言えるだろうか。

航空戦術教導団が十分に機能しなければ、それはすなわち、我が国の敗北を意味するとも言える、極めて重要な部署になる。

まさに、近い将来の航空幕僚長候補である佐藤にふさわしい、非常に大きな職責を担う大仕事であったといえるだろう。

 

では、そのような要職を歴任してきた佐藤とは、これまでどんなキャリアを歩んできた幹部なのか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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