山倉幸也(やまくら・ゆきや)|第30期・航空自衛隊

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山倉幸也は昭和37年1月3日生まれ、鹿児島県志布志市出身の航空自衛官。

防衛大学校第30期(電気工学攻)、幹候は76期の卒業だ。

出身職種は判明しないが、おそらく補給と思われる。

 

平成29年12月(2017年12月) 航空自衛隊第2術科学校長・空将補

前職は統合幕僚学校副校長であった。

 

2018年2月現在、航空自衛隊第2術科学校長を務める山倉だ。

日本には、日本軍の時代から「星の数よりメシの数」という言葉があるが、この防衛大学校を卒業し航空自衛隊に入隊した山倉。

実はその自衛官人生は、15歳の頃から数えて40年を越える、超ベテランである。

その階級も、今は無き3等空士から自衛官人生を始めて、最高位である空将のひとつ手前、空将補にある。

空将補の階級は、3等空士から数えて実に15階級の進級。

以下の階級構造の中で空将補にまで昇り詰め、今なお現役である。

 

航空幕僚長たる空将

空将

空将補 ← 今ここ

1等空佐

2等空佐

3等空佐

1等空尉

2等空尉

3等空尉

准空尉

空曹長

1等空曹

2等空曹

3等空曹

空士長

1等空士

2等空士

3等空士(2018年現在、この階級は存在しない) ← ここから開始

 

ではなぜ、山倉が15歳から自衛官人生を始めるような事ができたのか。

2018年2月現在では、かつての「自衛隊生徒」の制度を知る若い人はおそらく多くないかもしれないので少し解説したい。

この制度は、戦前の陸軍幼年学校などに源流があるが、中学を卒業したばかりの少年を募集し、早期から軍事教育を施して、精強な下士官を育成することを目的として運営されていたかつての自衛官育成制度だ。

山倉はこの自衛隊生徒に採用され3等空士に任官し、若干15歳にして自衛官となった。

時に昭和52年3月のことであり、西暦で言うと1977年なので、この頃から自衛官であったものなど、現役では生徒出身者のみであり、数えるほどしかいないであろう。

まさに「星の数もメシの数も」持ち合わせている、筋金入りの自衛官である。

・・・なお、河野克俊(第21期)だけは例外で、河野の海上自衛隊入隊も昭和52年3月である。

 

なお山倉はその後、防衛大学校に入学・卒業した上で幹部候補生学校に入校し、幹部自衛官としてのキャリアを歩み始めているので、厳密に言えば間にブランクがある。

すなわち、防衛大学校時代の4年間は、自衛隊員ではあるが、階級を持たない身分になるので自衛官ではない。

それでもやはり、自衛隊生徒出身者として防衛大学校にも進み、将官に昇ったキャリアは特別だ。

山倉は、そんなキャリアの上で航空自衛隊に入隊し、2018年2月現在で空将補にあり、航空自衛隊第2術科学校長を務めている。

 

 

さて、その山倉を含む30期組の人事についてだ。

山倉が防衛大学校を卒業し幹部候補生となったのは昭和61年3月。

1等空佐に昇ったのが平成17年1月だったので、30期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

自衛隊生徒上がりの誉れとも言える、誰にも負けない優秀さを証明した上での出世であった。

 

空将補に昇ったのは24年12月だったので、こちらは同期1選抜に比べ1年4ヶ月遅れであったが、それでも堂々のスピード出世と言って良い、スーパーエリートだ。

海空の自衛隊は将官の数が少ないということに加え、陸自と違い、1選抜で将補に選ばれないことが必ずしも同期の幕僚長候補レースに敗れることを意味しない。

そのためまだまだ、極めて近い将来の空将候補の一人と言って良いだろう。

 

なお30期組は、2017年夏の将官人事で1選抜の空将が選ばれた年次にあたる。

その為、すでに同期から空将に昇るものが出ているが、2018年2月現在で空将に在るものは以下の幹部たちだ。

 

金古真一(第30期)・中部航空方面隊司令官(2017年8月)

井筒俊司(第30期)・西部航空方面隊司令官(2017年8月)

上ノ谷寛(第30期)・南西航空方面隊司令官(2017年12月)

※肩書はいずれも2018年2月現在。( )は空将昇任時期。

 

2018年2月現在では、この3名が30期組の空幕長候補としてアドバンテージを握っている状態だ。

とはいえ、1選抜から1年以内、具体的には2018年3月に空将に昇任する30期組がいれば、まだまだ空幕長候補として考えられる可能性がある幹部となる。

山倉の場合、2017年12月に現職に異動になったばかりなので、さすがに2018年3月に異動した上で空将に昇ることは想定できない。

しかしながら、3等空士で自衛隊に入隊し、自衛隊生徒の教育を受けて将官に昇った山倉の知見は他に得難く、余人をもって代えがたい存在だ。

だからこそ、空将補に昇任後は、現場指揮官としてのポストに加え、後進の教育に責任を持つキャリアを歴任しているのだろう。

 

ある意味で、「普通ではない」キャリアを経て将官に昇った山倉だが、だからこそ、その活躍と異動には注目し、そして、応援し続けたい。

 

 

 

◆山倉幸也(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 航空自衛隊入隊(第30期)
61年9月 南西航空警戒管制隊(与座岳)

平成
1年10月 航空総隊司令部飛行隊(入間)
4年3月 第3補給処(入間)
6年8月 補給本部(十条)
8年3月 幹部学校付(目黒)
9年1月 3等空佐
10年9月 航空幕僚監部防衛課(市ヶ谷)
11年9月 航空総隊司令部(府中)
12年7月 2等空佐
13年8月 航空幕僚監部補任課(市ヶ谷)
16年3月 第1高射群第1高射隊長兼ねて習志野分屯基地司令(習志野)
17年1月 1等空佐
17年4月 航空自衛隊幹部学校(目黒)
17年9月 幹部学校付 防衛研究所第53期一般課程(目黒)
18年7月 航空幕僚監部防衛課(市ヶ谷)
19年9月 航空幕僚監部編成班長(市ヶ谷)
21年1月 中部航空警戒管制団基地業務群司令(入間)
22年4月 統合幕僚監部指揮通信システム部指揮通信システム企画課長(市ヶ谷)
24年12月 航空自衛隊第2補給処長(岐阜) 空将補
26年12月 航空自衛隊第4補給処長(入間)
28年12月 統合幕僚学校副校長(目黒)
29年12月 航空自衛隊第2術科学校長(浜松)

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省 統合幕僚学校公式Webサイト(イベント画像)

http://www.mod.go.jp/js/jsc/school/topics_290919.html

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