【退役】荒木淳一(航空教育集団司令官・空将)|第27期・航空自衛隊

荒木淳一(あらき・じゅんいち)は昭和36年1月11日生まれ、宮崎県出身の航空自衛官。

防衛大学校は第27期(応用物理)、幹候は73期の卒業だ。

平成30年12月20日(2018年12月20日) 航空教育集団司令官・空将のポストを最後に勇退することが決まった。

前職は南西航空混成団司令であった。

(画像提供:航空自衛隊奈良基地公式Webサイト

(画像提供:航空自衛隊熊谷基地公式Webサイト

航空自衛隊において、飛行教育、一般教育、術科教育の全てに責任を持つ最重要ポスト、航空教育集団の司令官を務める荒木の退役が決まった。

戦前、日本陸軍で「陸軍三長官」といえば陸軍大臣 · 参謀総長 · 教育総監の3つのポストを指していたが、我が国ではこれほどに、軍事教育の責任者に非常に大きな責任と権限を与え続けてきた歴史がある。

その伝統は今も変わらず、航空教育集団司令官は航空幕僚長に次ぐ、航空自衛隊でもっとも格上のポストの一つだ。

そのような重責を担い続けた荒木だったが、平成最後の年、30年12月20日に制服を置くことが決まった。

米空軍士官学校、またハーバード大学国際問題研究所にも学ぶなど、我が国の安全保障の基軸である日米同盟を現場で支える、空自きっての米国通でもあった。

非常に厳しい東アジア情勢が続く中、荒木の退役は国防政策上、とても大きな損失ではあるが、これもまた自衛隊が精鋭で在り続けるために避けられない人事なのだろう。

今はただ、その長きにわたる日本の安全と世界平和への貢献に心からの感謝を申し上げて、その背中をお見送りしたいと思う。

長い間、本当にお疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

30数年ぶりとなる任務のない年末年始は、どこか張り合いのない平穏過ぎる日常かも知れませんが、まずはどうぞ、積年のお疲れをお癒やし下さい。

そして新たに始まる荒木空将の第二の人生も、充実した素晴らしいものとなりますことを、心からお祈り申し上げております。

【以上、2018年12月17日】

※ここから下は、退役までに記載していた荒木空将のご紹介記事です。

2018年4月現在、航空教育集団司令官を務める荒木だ。

27期組のトップエリートであり、航空自衛隊のみならず、陸海空の各幕僚長を除き、もっとも格上となる指定職5号のポストを務める。

ちなみに航空教育集団司令官と同格の指定職5号にあるのは、陸上総隊司令官、陸自の各方面総監、自衛艦隊司令官、横須賀及び佐世保地方総監、それに航空総隊司令官である。

荒木が務める航空教育集団司令官のポストがいかに重要なものであるか、おわかり頂けるのではないだろうか。

さて、そんな要職にある荒木のことなので、そのキャリアは極めて充実しており、27期のエリートらしい補職を歴任してきた。

航空自衛隊の最高幹部に求められる米国通であることはもちろん、米空軍士官学校への留学にとどまらず、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院(米国)において修士課程を修め、さらにそのまま米国にとどまり、ハーバード大学の国際問題研究所でもキャリアを積む。

帰国後は、21世紀の我が国の最前線である南西航空混成団(現・南西航空方面隊)で防衛部長を務め、航空団司令職は百里の第7航空団で経験。

さらに航空方面隊司令相当職は南西航空混成団を任されるなど、ただのエリートではない、極めてタフな現場で指揮官のポストを歴任してきたことになる。

その全てが特筆するべきキャリアばかりだが、敢えて一つだけ挙げるとすれば、ここでは第7航空団(百里基地)時代の仕事をご紹介したい。

あの未曾有の大災害となった東日本震災は、荒木がこの百里基地司令の時に発生している。

百里基地はもちろん茨城県に所在するが、あの震災にあっては停電を含め、基地機能の一部を失い十分な可動ができないほどに、基地自身も被災する被害を負った。

にも関わらず、航空基地としての機能を可能な限り速やかに回復させ、所在の偵察飛行隊を東北方面に直ちに派遣。

津波の被害状況や火災による2次災害の状況を正確に情報収集し、自衛隊の迅速な活動に大きく貢献する。

さらにここ百里基地は福島に近く、比較的被害が少なかった基地ということもあり全自衛隊の航空拠点と位置づけられ、あらゆる航空作戦はここから展開していくことになる。

すなわち、

1.広域激甚災害に対する対応

2.福島原発に対する対応

3.基地周辺被災地への対応

の3つの作戦を荒木は指揮することになり、文字通り戦場のような混乱の中で冷静・適切な指示や命令を次々に下し事態に対応。

最終的には、ここ百里基地を拠点に救助した被災者の数は数千名を越え、航空自衛隊全体で救助した要救助者の3割を占めるほどの大活躍をみせた。

もちろんそれだけだけなく、百里基地からは所在の消防隊が福島原発に赴き、至近距離から放水作業を行うなど、全ての隊員が過酷な任務に従事。

荒木は時に現場で最前線に立ち、時には基地で総指揮にあたるなど、あの災害においては極めて大きな役割を担った。

おそらく長い自衛官生活の中でも、もっとも印象深い任務の一つになったのではないだろうか。

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