尾上定正 (おうえ・さだまさ)|第26期・航空自衛隊

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尾上定正は昭和34年5月31日生まれで奈良県出身の航空自衛官。

職種は補給。

 

2017年8月、定時人事異動で勇退となった。

長い間、本当にお疲れ様でした。

 

さすがに補給本部長から空幕長ルートを想像したのは深読みに過ぎたようであった。

今はただ、長い間国防のために人生を尽くし、制服を脱ぐ尾上空将の第二の人生が素晴らしいものであることをひたすら祈念したい。

【以上、2017年7月31日に更新】

 

ここから下は2017年7月28日に書き記した情報であり、2017年8月の人事異動内容を反映していない尾上のキャリアについて記している。

 

平成28年7月(2016年7月)  航空自衛隊補給本部長・空将。

前任は北部航空方面隊司令官であった。

 

2017年7月現在で尾上が本部長を務める航空自衛隊補給本部長は、航空自衛隊が必要とするあらゆる資材の調達から補給まで、上流から下流までを一気通貫で担う組織であり、航空自衛隊にとって極めて重要な部署だ。

そのため、本部長に空将が充てられているのはもちろん、副本部長も将官(空将補)が充てられる事になっており、その幕僚も全て1等空佐以上で構成されるなど、航空自衛隊のエリートが集う部署になっている。

 

尾上自身、前任は北部航空方面隊司令官であり、日本を4つの空域に分けたうちで北東北以北の空の安全を守る責任者であった。

 

その最高幹部の次のポストとして用意されたのが補給本部長という事実からも、空自内において補給本部が果す役割の大きさを窺うことが出来る。

 

 

一方で、疑いなく重要なこのポストからは、過去1度も航空幕僚長を排出していない。

重要ではあるが、頂点の椅子を取るものが通るポストではないと、航空自衛隊の中では位置づけられている。

 

同様に、後方支援部隊からは過去1度も海上幕僚長を排出したことがなかった海上自衛隊であるが、あちらの方は村川豊(第25期)が下馬評を覆し、第33代海上幕僚長に就任し史上初めて補給畑からのトップ就任となった。

そういう意味では、航空自衛隊の先例の無さはやや不思議な人事の扱いとなっている。

 

その一方で、尾上の異動についてはやや不思議な点がある。

通常、北部航空方面隊司令官という最高幹部を務めたものは、出世街道をそのまま上がり、後職では航空幕僚副長、航空総隊副司令官、航空支援集団司令官といった要職にステップアップして航空幕僚長候補を争うか、もしくは退職するというのが常だ。

 

しかし、尾上の就いたポストは航空幕僚長を1度も排出していない、空幕長候補とは見做されていないポストであり、なおかつ北部航空方面隊司令官からこのポストに後職で就いたものは過去に一人もいない。

かろうじて、航空自衛隊補給本部がまだ資材統制隊と呼ばれていた半世紀以上も前の1959年に、第3代司令の大谷三雄が後職で資材統制隊司令に異動になった例があるだけとなっている。

 

或いは深読みのし過ぎかもしれないが、これは2017年7月現在で政権を取っている自民党の安倍政権が、海自の村川の時と同様、空自でも、後方支援である補給本部から空幕長を誕生させるというシナリオが進行しているのではないだろうか。

 

人事の硬直化やポストの流れが固定化することは、軍事組織としてどう考えても健全ではない。

近年、陸海空自衛隊では、幕僚長に就任する流れが幾つかの一定の路線の中から選ばれる傾向があり、或いはこの傾向を嫌った安倍が海自の人事に一石を投じ、また空自の人事にも一石を投じようとしているとは考えられないだろうか。

 

もしそのような深読みが当たっているとすれば、杉山良行(24期)の後任である次期航空幕僚長(第35代)には尾上定正が就任する可能性も0ではないだろう。

 

一方で2017年7月末現在、安倍政権は低俗なマスコミのリンチに遭っておりぐちゃぐちゃにされ、強い指導力を失いつつある。

それどころか、岡部俊哉陸上幕僚長、黒江哲郎防衛事務次官、稲田朋美防衛大臣の3人が辞職を表明するなどグダグダの状態である。

 

お陰で次期陸上幕僚長の予想の根拠が大幅に崩れてしまい、岡部の次は間違いなく山崎幸二か山之上哲郎と予想していたものが、よくわからなくなってしまった。

 

この記事をポストしている半年後の2018年3月には陸上総隊が新設され、最高幹部のポストが増えて人員が不足するため、このタイミングで26期組3人を退役させるのか、一人を陸幕長に選任することがありえるのか、微妙なところだが、一旦退役を予定していた幹部を陸幕長に就任させるのは、さすがに難しいだろう。

 

とはいえ、ある意味で幕僚長人事はお祭りだ。

余り難しいことは考えず、楽しみにその発表を待ちたい。

 

◆尾上定正(航空自衛隊) 主要経歴

1982年3月 防衛大学校卒(第26期)
1982月 9月 第2航空団第203飛行隊、整備補給群本部、第302飛行隊、整備補給群修理隊
1985年8月 第83航空隊第207飛行隊、第302飛行隊、整備補給群修理隊、第302飛行隊
整備補給群本部交換連絡幹部(アメリカ合衆国)
1990年3月 第2補給処資材計画部資材計画課
1991年8月 航空自衛隊幹部学校付(第40期指揮幕僚課程)
1992年8月 内部部局防衛局(兼外務省出向(北米局安全保障課、北米局日米安全保障条約課))
1994年8月 航空幕僚監部装備部装備課
1996年6月 航空中央業務隊付(戦略研究修士課程(アメリカ合衆国))
1998年8月 第83航空隊整備補給群本部整備主任
1999年12月 航空幕僚監部防衛部防衛課研究班、業務計画班
2001年6月 航空自衛隊幹部学校付(米国国防総合大学高級幹部課程(アメリカ合衆国))
2002年8月 航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班長
2004年4月 第8航空団基地業務群司令
2005年8月 航空幕僚監部人事教育部人事計画課長
2007年7月 統合幕僚監部報道官、兼大臣官房付、兼防衛省改革本部防衛省改革副統括官
2009年3月 第2航空団司令兼千歳基地司令
2010年7月 防衛大学校防衛学教育学群長兼防衛大学校教授、兼統合幕僚監部付
2011年8月 統合幕僚監部防衛計画部長
2013年8月 航空自衛隊幹部学校長兼目黒基地司令
2014年8月 北部航空方面隊司令官
2016年7月 航空自衛隊補給本部長
2017年8月 航空自衛隊補給本部長を最後に勇退

 

◆姓名判断

強固な意志と強いリーダーシップ、また類まれな知性にも恵まれ、大きな組織の中でもさらに大きなリーダーに昇りつめる。

実力があり社交性もあることから、与えられた環境で最高の結果を出し続けるものの、基礎運にやや弱さがあるため、思わぬ形で足元を掬われる可能性があり、注意が必要。

不測の事態に心身の準備を怠らないことで、晩年にかけて運勢がさらに上昇する。

 

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 補給本部公式Webサイト(着任式画像)

http://www.mod.go.jp/asdf/amc/kouhou_event/chakunin_oue.html

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