塩田修弘(しおた・のぶひろ)|第29期・航空自衛隊

塩田修弘は福島県出身の航空自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で75幹候、職種は気象だ。

第29期であれば昭和60年3月の航空自衛隊入隊なので、防衛省の公式発表はないものの、昭和37年度の生まれであると思われる。

平成27年4月(2015年4月) 航空気象群司令兼ねて府中基地司令・1等空佐

前職は航空自衛隊幹部学校主任教官であった。

非常に地味ではあるが、それでいて戦闘の大局を大きく左右する職種である、気象。

2017年9月現在、その責任者である航空気象群の司令を務めているのが塩田だ。

決して表に出ること無く、マスコミに出ることもなければMAMORにもほとんど掲載されることすら無い職種だが、それでいてこれほど重要な職種もないであろう。

なお、マスコミにほとんど出ることがなく、雑誌の特集記事に組まれることもない職種であるのに、この記事をポストする数日前にふと、NHKのニュースで塩田の名前を聞き驚くことがあった。

それは、府中基地の隊員たちが陸上自衛隊の朝霞駐屯地を間借りして射撃訓練をしようとしたところ、持ち込んだはずの実弾20発がどこかにいってしまったことに気がついたというものだ。

府中基地に所属しているのは航空保安管制群、航空気象群、航空開発実験集団なので、めったに実弾を撃つ訓練などしないであろう。

緊張感をもって扱っていたと思われるものの、一体なぜこんなことになってしまったのか。

そう言えば、さらに数日前の2017年9月22日には、F-15戦闘機に搭載する空対空ミサイルが破損していた事実が発表され、その修理費が3000万円掛かることも発表されていた。

なおかつこの破損の事実は、2017年3月頃には把握していたにも関わらず未発表であったとも報じられていたが、なにやら「重要な時期」に不祥事が連続してしまっている。

重要な時期とは、およそ2ヶ月後の2017年11月末頃には正式に内定が出る、もしくは出ない、統合幕僚長に関する人事のことだ。

現在の情勢では、2017年現在で航空幕僚長を務める杉山良行(第24期)が、第31代統合幕僚長に就任する可能性が高まってきている状況にある。

もう間もなく、杉山を統合幕僚長に据えるのか、2017年12月の人事を見送って、2018年の初夏に陸幕長である山崎幸二(第27期)を統合幕僚長に据えるのかを決めるタイムリミットであるが、なかなか微妙なタイミングで微妙な不祥事が航空自衛隊で連発していることになる。

おそらくこれくらいの事案ではそれほど大きな影響はないと思われるものの、それでも人事権者が意思決定を行うタイミングで余り芳しくない出来事が続くと、関係者もいろいろと気をもむことがあるのではないだろうか。

高級官僚の人事というのは、本当に一寸先は闇である・・・。

その不祥事の中心に立ってしまった塩田も、内心気が気ではないであろう。

話を元に戻す。

極めて重要でありながらも、目立つことがない場所で、仕事師として我が国の平和と安全に貢献してきた塩田。

古くから気象情報は重要な軍事情報の一部であり、今でこそ地図や地形、気象といった情報は誰でも無料で好きなだけ手に入れることができるものとなったが、ほんの100年と少し前、1904-1905年に戦われた日露戦争の時代には、その入手は極めて困難であり、戦いの勝敗を決するともいえる重要なものであった。

そのため日露の間で戦争機運が高まり始めた時代、明治の日本陸軍は中国大陸に多くの軍人を派遣し、その地図の作成を急がせ、わが国初の正規空母・鳳翔が進水する1年前の1921年には、日本で初めてとなる、観測船による海洋気象観測事業が開始され、海の天気予報が本格化した歴史がある。

軍事と気象、そしてその気象に大きな影響を与える地形といった情報は軍事技術と密接に関わり合いながら進化してきたが、それほどまでにこの、塩田が司令を務める航空気象群司令のポストは、重要なものであるといえるだろう。

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

この簡潔にして多くの情報が詰まった美文は、明治の日本海軍が排出した伝説の参謀である秋山真之が、日本海海戦の始まる朝、決戦を決意した時に大本営に打電した報告文として余りにも有名な文章である。

遠くバルティック海から回航してきたロシアの第2・第3太平洋艦隊(いわゆるバルティック艦隊)を日本海で迎え撃つ際の気象条件を簡潔に報告したものであり、すなわち、「天気は良いけど波が高い」。

つまり、視界は極めて良好ではあるが、波が高いため海戦の照準が難しいことが予想されるという状況を意味するものであった。

(当時はもちろん誘導弾などあるはずもなく、目視・無誘導の主砲の撃ち合いが海戦の勝敗を決した)

これは、射撃技術に利がある我が軍に極めて有利に働く可能性があり、なおかつ天気がよく見通しが効くため、ロシア艦隊を撃ち漏らす恐れがないことを示唆している。

なおこの海戦において、日本海軍にとっての勝利条件はロシア艦隊主力の完全な撃滅であり、ロシア艦隊にとっての勝利条件は日本海軍をやり過ごし、ウラジオストクに入港してそこを拠点に、日本と中国大陸との間における兵站を破壊することだ。

つまりロシア軍にとっては、航海に支障がない範囲において、天気は悪ければ悪いほど有利に働くという状況であった。

にも関わらず、射撃訓練が十分ではないロシア海軍にとっては極めて不利な波高の海面状況であり、なおかつ視界が良好で有効射程距離が長く取れる気象条件で戦場に入り込んでしまう。

ロシアはこれ以上はない最悪の状況で我が国の連合艦隊と遭遇してしまい、そして連合艦隊は、これ以上はない好条件でロシア艦隊を迎え撃つことに成功した。

その結果は、世界を驚かせるほどの完膚無きまでの日本海軍の勝利。

ロシア艦隊は完全に壊滅した一方で、連合艦隊は無傷であると言ってもよいほどの完全勝利であったが、その勝因は様々に挙げることができるだろう。

指揮官の能力や水兵の練度、人によっては下瀬火薬や丁字戦法にその勝因を求めることもある。

しかし、それらの前提もあるいは濃霧の中、もしくは雲が低く垂れ込めた雨天における決戦であれば、その全ては意味をなさなかったであろう。

日本海海戦における連合艦隊の大勝は気象条件により得られたものである側面も大きく、あの時代に正確な気象予報技術があれば、ロシア艦隊にも違う戦い方があったはずであり、結果も大きく変わったはずだ。

歴史のifは尽きないが、現代における気象予報技術はそれほどまでに大きな影響があり、艦船や航空機がその力を発揮し任務を完遂するためには、塩田を始めとした航空気象群の存在がその前提であると言っても過言ではないだろう。

余り目立つことはないが、航空自衛隊には航空気象群という仕事があり、そしてこの部隊が発する情報は海上自衛隊にも陸上自衛隊にも共有され、我が国の平和と安全に大いに貢献している。

ぜひ、このような部隊とそこで働く幹部や曹士たちがいることにも、注目してもらえれば幸いだ。

◆塩田修弘(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 航空自衛隊入隊(第29期)75幹候

平成
13年3月 航空気象群浜松気象隊長
14年12月 航空幕僚監部防衛部防衛課
18年7月 航空幕僚監部人事教育部教育課
20年4月 第3航空団基地業務群司令
22年7月 第12飛行教育団副司令
23年12月 航空幕僚監部総務部総務課
25年8月 航空自衛隊幹部学校主任教官
27年4月 航空気象群司令兼ねて府中基地司令

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 府中基地公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/fuchu/

防衛省航空自衛隊 秋田分屯基地公式Webサイト(UH-60J コックピット写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/akita/sp/SOUBI.html

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