【退役】南孝宜(みなみ・たかのぶ)|第29期・幹部候補生学校長

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南孝宜(みなみ・たかのぶ)は昭和37年4月生まれ、岐阜県出身の海上自衛官。

防衛大学校は第29期、幹候は第36期の卒業だ。

 

令和元年8月23日(2019年8月23日) 海上自衛隊幹部候補生学校長・海将補のポストを最後に勇退することが決まった。

前職は監察本部監察官であった。

(画像提供:海上自衛隊幹部候補生学校公式Webサイト

2019年8月、海上自衛隊の象徴とも言うべき「赤レンガ」の主を務めた南が、制服を置くことになった。

ご存知のように、海上自衛隊幹部候補生学校が所在する呉は、戦前から我が国にとってもっとも象徴的な軍都であった。

そしてその中でもひときわ存在感を放つのが「赤レンガ」だが、その竣工は明治26年(1893年)というのだから、本当に驚かされるばかりだ。

海上自衛隊の幹部候補生は皆ここで学び、そして初級幹部に任官され、桟橋から練習航海に巣立つ。

 

なお海自において、遠洋練習航海の伝統が始まったのは昭和32年(1957年)なので、既に62年の歴史がある。

言うまでもなく、南もかつてここで学び、まだまだ頼りない初級幹部として「鹿島立ち」したのが33年前であった。

それから長きに渡り、護衛艦やまゆき艦長、第6護衛隊司令、護衛艦隊幕僚、呉地方総監部幕僚長などの要職を歴任した男が、最後に任されたポストがこの幹部候補生学校長であった。

 

なお上記写真は、その南が校長としての、最後の卒業生を見送る鹿島立ちのシーンである。

左手には、海上幕僚長の山村浩(第28期)が見える。

30数年前に、南自身もこうやって学校長から帽振れで見送られ、桟橋を離れた日のことをきっと鮮明に覚えているだろう。

そして今、若き士官たちを厳しく鍛え上げる側に回り、そして愛情を持って帽振れで見送ることになった。

30数年前と立場は変わったが、きっと見送る側になっても、その全ての帽振れを南は生涯忘れることがないだろう。

そんな最高の形で海自を去る南を、一人でも多くの国民もまた、敬意と感謝の想いで見送って欲しいと願っている。

 

南海将補、本当に長い間、お疲れさまでした。

海将補が育てられた若き士官たちは、今後20年30年に渡り、我が国と世界の平和に貢献し続けてくれるでしょう。

その誇りある自衛官人生と、最後に成し遂げられた大仕事に、心からの敬意と感謝を申し上げます。

そして、南海将補の大仕事を常に支え続けたご家族の皆様にも、心からの敬意と感謝を申し上げます。

本当にありがとうございました。

南海将補とご家族の皆様の今後の人生が、充実した素晴らしいものとなりますことを、心からお祈り申し上げます。

 

(2019年8月21日 最終更新)

 

◆以下、2019年2月までに更新した記事

 

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(画像提供:海上自衛隊公式ツイッター

2019年2月現在、海上自衛隊幹部候補生学校長を務める南だ。

幹部候補生学校は、海上自衛隊を象徴すると言っても良い「赤レンガ」、江田島にその校舎を構え、長きに渡り我が国の平和と安全を守る多くの士官を育成し続けた。

明治26年に海軍兵学校として建設された校舎は今もその美しさを留め、多くの人を歴史のロマンと共に過去に誘う。

その伝統ある幹部候補生学校の第46代校長として、これまでに積み上げた全ての知見を後進に伝えるのが、南に託された重要な任務だ。

 

これほど重要なポストを任される南のことだ。

その補職はいずれも印象深いものばかりだが、敢えて上げるとすれば平成21年10月、1等海佐の時に務めた、第6護衛隊司令のポストだろうか。

南はこのポストにある時に、アフリカのソマリア沖・アデン湾における派遣海賊対処行動水上部隊第4次隊の指揮官として、現地に赴いている。

ご存知のように、アフリカ東部、アラビア半島との間に位置するバブエルマンデブ海峡(Bab-el-Mandeb Strait)は世界の物資が集中する海上の幹線航路であり、それ故に多くの海賊が「ビジネス」を展開する、危険海域である。

欧州とアジアを結ぶ海上の重要航路、スエズ運河ルートもここを通過する必要があるため、自国の戦略物資を流通させている国は非常に多い。

我が国ももちろん、その恩恵を多く享受する国の一つであり、この航路が機能不全に陥った際の国益に与える負の影響は計り知れない。

イタリアの生ハム、スペインのイベリコ豚、フランスやスペインのワイン、スイスのチーズ・・・

多くの食品の輸入が止まれば我が国の物価は計り知れないほどの打撃を受け、物価は狂乱的に高騰するだろう。

また日本からの輸出も止まれば、経済にも深刻なダメージを受けることになり、失業者が街に溢れ社会不安が高まることは疑いようがない。

現実的に、この地域において海上自衛隊が艦船を派遣せず、海賊対処活動を行わないとすれば、これほどまでに直ちに、我が国と私達の生活は立ち行かなくなる。

私たち一般国民はなんとなく、海上自衛隊が遠く離れたアフリカ沖で活動していることは知っている。

しかしそれが、自分の生活を守ることに直接繋がる重要な任務であると、想像できている人はあまり多くないのではないだろうか。

 

しかもこの地における海賊は、もはや民兵というレベルではないほどに対艦・対空兵器で武装し強大な火力も保有している。

文字通り命がけの、極めて厳しい任務だ。

海上自衛隊の精鋭たちは今も、この地において私たちの生活を守り、活動し続けている。

南もまた、かつてその指揮官として現地に趣き、この重要な任務を担い、そして見事に完遂して隷下部隊全員を引き連れて帰国した。

南をご紹介する機会に、海上自衛隊のこのような活躍をまずお伝えしたいと思う。

ぜひ改めて、この海上自衛隊の活動に思いを馳せ、さらに声援を送ってほしいと願っている。

 

ではそのような要職を歴任し、海将として活躍する南とはこれまで、どのようなキャリアを積み上げてきた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

 

その南が海上自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等海佐に昇ったのが平成16年1月であったので、第29期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。

海将補への昇任は27年3月であり、1佐として11年に渡り現場で指揮を執った後に、海将補に昇任している。

(画像提供:海上自衛隊横須賀地方隊公式Webサイト

(画像提供:海上自衛隊呉地方隊公式Webサイト

2佐以降の経歴で見ると、艦長ポストは護衛艦やまゆきで経験。

護衛隊司令職は先述のように、第6護衛隊で平成21年10月から務めている。

中央では、班長ポストを海上幕僚監部の教育課学校班、それに統合幕僚監部の運用1課運用調整官でそれぞれ経験。

課長ポストは海上幕僚監部の人事計画課で着任した。

またその間、幕僚ポストでは第1護衛隊群幕僚、練習艦隊幕僚、護衛艦隊幕僚、呉地方総監部幕僚長などの要職を歴任する一方、全軍を俯瞰し部隊の規律をチェックする監察本部監察官の非常に重要なポストでも手腕を発揮している。

そして平成30年8月、海上自衛隊幹部候補生学校長に着任し、未来の海上自衛隊を担う若き幹部の育成に責任を持つ要職を担っている。

29期だけでなく、我が国を代表する海上自衛官の一人であると言ってよいだろう。

 

では最後に、その南と同期である、29期組の人事の動向について見てみたい。

29期組は、2016年に最初の海将が選抜され、同期の海幕長候補も出揃っていると言っても良い状況にある。

そして2019年2月現在では、以下の幹部たちが海将の任にあたっている。

 

渡邊剛次郎(第29期)・横須賀地方総監(2016年7月)

糟井裕之(第29期)・護衛艦隊司令官(2016年12月)

杉本孝幸(第29期)・呉地方総監(2017年8月)

大島孝二(第29期)・海上自衛隊補給本部長(2017年12月)

中尾剛久(第29期)・舞鶴地方総監(2017年12月)

※肩書はいずれも2019年2月現在。( )は海将昇任時期。

 

以上のようになっており、いずれの幹部も極めて近い将来に、海上幕僚長に着任する可能性があるという状況だ。

2019年2月現在の客観的な状況では、村川豊(第25期)の跡をつぎ、第34代の海上幕僚長に着任するのは山下万喜(第27期)であることはまず間違いなく、そうなればその次の海上幕僚長は、この5名の中から選ばれる可能性が高くなるだろう。

その中でも、おそらく先頭を走るのは渡邊ということになるのではないだろうか。

 

南についてはこれまで、特に教育訓練系でその手腕を発揮してきた最高幹部だ。

ある意味で、その集大成とも言える海上自衛隊幹部候補生学校長のポストにあるわけだが、そんな事もあり、あるいは現職が最後のポストになる可能性があるのかもしれない。

とは言え今まさに、現在進行系で、我が国と世界の未来を担う宝とも言うべき幹部候補生を育てる、重要な任務を遂行している真っ最中である。

その活躍には今後も注目し、そして変わらず応援をしていきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:海上自衛隊幹部候補生学校公式Webサイト

◆南孝宜(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 海上自衛隊入隊(第29期)

平成
8年1月 3等海佐
11年7月 2等海佐
13年8月 第1護衛隊群幕僚
14年8月 やまゆき艦長
15年9月 海上幕僚監部防衛課
16年1月 1等海佐
17年9月 練習艦隊幕僚
18年9月 海上幕僚監部教育課学校班長
19年12月 統合幕僚監部運用1課
20年3月 統合幕僚監部運用1課運用調整官
21年10月 第6護衛隊司令
22年8月 護衛艦隊幕僚
24年7月 海上幕僚監部人事計画課長
27年3月 呉地方総監部幕僚長 海将補
28年12月 監察本部監察官
30年8月 海上自衛隊幹部候補生学校長

令和
元年8月23日 海上自衛隊幹部候補生学校長のポストを最後に勇退

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