【退役】田浦正人(たうら・まさと)|第28期・北部方面総監

その田浦が陸上自衛隊に入隊したのは昭和59年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成15年1月、陸将補に昇ったのが21年7月、陸将に昇ったのが27年8月だったので、その全てが1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。

原隊(初任地)は、相馬原に所在する第12戦車大隊であり、この地で初級幹部としての基本を叩き込まれた。

(画像提供:陸上自衛隊北部方面隊公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊北部方面隊公式Webサイト

その後、多くの幹部自衛官が「最も思い出深いポスト」と振り返る中隊長は、原隊と同じ第12戦車大隊で経験。

更に大隊長は、琵琶湖のほとりに所在する第3戦車大隊長としてその手腕を発揮した。

そして平成16年には、イラク復興業務支援隊長としてイラクのサマーワに入り、死の危険と隣り合わせの任務も経験。

この辺りから一気に、28期組の陸上幕僚長候補として存在感を高めると、連隊長は我が国最強の機甲科部隊の一つである第72戦車連隊で着任した。

そしてこれも、田浦のキャリアの中で特筆するべきポストの一つというべきだろう。

未曾有の大災害となった東日本大震災では、田浦は福島原発対処現地調整所長として福島原発への赴任を命じられ、我が国最大の国難にあたり最前線に立ち、指揮を執った。

そしてこれら任務の全てで成果を上げ続けた田浦は、27年8月に陸将に昇任すると第7師団長に着任。

その後職として、29年8月から、北部方面総監の重責を担っている。


(画像提供:防衛省公式Webサイト

ところで急に話を変えて恐縮だが、この画像の1佐は誰かおわかりだろうか。

実は平成16年、43歳当時の田浦である。

防衛省公式サイトで、イラク・サマーワでの活動記録の中から発掘したなかなかレアな写真なのでここでご紹介しておきたい。

中東の伝統に従いヒゲヅラにしているが、こんな田浦の顔を知るものは、中々少ないのではないだろうか。

この時の田浦の任務は、まだ戦争の空気が色濃く残るイラク・サマーワでのものだ。

当然命がけの任務になるわけだが、この任務を下令された時、田浦はまず一番に妻の両親に充て、

「自衛官に嫁がせたばかりに、ご心配をお掛けして申訳ありません。しかし、私には仕事があります。行かせてください」

と、手紙を書いたそうだ。

そして妻には感謝していること、後のことをしっかり頼みますと、文中、義父母にくれぐれも言伝たそうだが、恐らく田浦にとっては遺書代わりであったのだろう。

それほどまでに当時のサマーワは危険な場所であった。

なおかつこの時、田浦には小学校3年生と幼稚園の、まだ幼い2人の息子がいた。

どれほど後ろ髪をひかれる思いであったかと思うが、妻と子供には

「これが父の仕事だ、お父さんに何かあったらお母さんをしっかり頼む」

といい置きサマーワに渡り、そしてイラク復興第2次業務支援隊長として任務を完璧に果たし、部下の生命も守り抜き、日本に無事帰国を果たした。

そんな男が今、北部方面総監に昇り家族だけでなく、国民の生命と財産を守る要職を任されている。

そんな田浦には特別な敬意を持って、その活躍を応援している。

果たして私たちは、厳しい結果責任を担う重責を任された時。

本当に田浦のように、笑顔を忘れず指揮を執ることができるだろうか。

あの福島原発のようなタフな現場に於いても、笑顔を忘れずに指揮を執り、部下たちを鼓舞することができるだろうか。

きっと、あの福島原発の現場では、誰一人として恐怖を感じていないものは居なかっただろう。

そしてそれは、田浦も同様であったはずだ。

しかし、戦況をもっとも克明に知る最高指揮官が不安そうな顔をすれば、その顔色は直ちに部隊に伝染する。

逆に、最高指揮官が笑顔であれば部隊は安心し、そのパフォーマンスを最大限に発揮できるだろう。

そういった意味では、田浦は最高の指揮官であり、「神輿」であったのではないだろうか。

ぜひ、社会的に責任あるポジションに居る人には、その指揮統率ぶりも含めて参考にして欲しいと願っている。

では最後に、その田浦と同期であり、間もなく退役を迎えるであろう28期組の陸将の顔ぶれを改めて確認しておきたい。

我が国と世界の平和に貢献し続けてきた陸将であり、湯浅を除く4名は、間もなくとなる2019年夏の将官人事で退役することが確実な最高幹部だ。

湯浅悟郎(第28期)・陸上幕僚長(2019年4月)

住田和明(第28期)・陸上総隊司令官(2018年8月)

田浦正人(第28期)・北部方面総監 (2017年8月)

岸川公彦(第28期)・中部方面総監 (2017年8月)

岩谷要(第28期)・教育訓練研究本部長(2017年8月)

※肩書はいずれも、2019年6月現在。

※( )は現職着任時期。

湯浅を除く4名は、全員が陸上幕僚長に着任してもおかしくはなかった、凄い幹部たちであった。

誰一人として、湯浅に劣っていたわけでもなく、また優れていたわけでもなく、ただ時の巡り合わせでトップに昇ること無く退役するだけである。

ぜひ、これら最高幹部の活躍を最後まで応援し、注目して欲しいと願っている。

国民の誰も、イラクや福島で田浦が果たしてきた実績など知らないだろう。

そして2019年夏の人事で勇退となっても、誰一人として注目しないし、ニュースにもならないはずだ。

だからこそせめて、このサイトをご覧頂いているような自衛隊に理解のある皆様には、田浦の活躍を改めて知ってほしいと、思っている。

ぜひ、田浦の勇退が発令された時には、この記事を思い出してその活躍に思いを馳せて欲しい。

そして「本当にお疲れ様でした」と思ってもらえれば、嬉しく思う。

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊北部方面隊公式Webサイト

◆田浦正人(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 陸上自衛隊入隊(第28期)
60年3月 第12戦車大隊(相馬原)

平成
3年3月 第12戦車大隊第2中隊長(相馬原)
7年1月 3等陸佐
10年7月 2等陸佐
14年12月 第3戦車大隊長兼今津駐屯地司令(今津)
15年1月 1等陸佐
16年8月 イラク復興業務支援隊長(サマーワ)
17年4月 陸上幕僚監部防衛課業務計画班長(市ヶ谷)
19年4月 第72戦車連隊長(北恵庭)
20年8月 陸上幕僚監部運用支援課長(市ヶ谷)
21年7月 陸将補
21年12月 中央即応集団副司令官(朝霞)
23年3月 福島原発対処現地調整所長(Jビレッジ)
23年8月 陸上自衛隊幹部候補生学校長(前川原)
25年12月 北部方面総監部幕僚長(札幌)
27年8月 第7師団長 陸将(千歳)
29年8月 北部方面総監(札幌)

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