実はその中澤は、第44普通科連隊長の時に、「やらかして」いる。
中澤剛という名前を聞いてもピンと来ない人も多いかも知れないが、中澤がこのポストにある時に何を「やらかした」のか。
それを聞けば、思い出す人も多いはずだ。
(画像提供:陸上自衛隊久留米駐屯地公式Webサイト)
「同盟というものは、外交や美辞麗句で維持されるものではなく、まして『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」
これは中澤が第44普通科連隊長にある時、陸上自衛隊王城寺原演習場で行われた日米共同訓練の開始式で、述べた訓示だ。
曰く、日米同盟の固い絆はそれぞれが汗をかき、お互いのために力を尽くしてこそ維持進展する心構えを説いたものである。
特段、変わったことを言っているわけではなく、”軍人”として当然の心構えを説いているようにも思える。
しかし、中澤がこの訓示を行ったのは2010年2月。
もはやおわかりだと思うが前年、民主党が政権を取り、鳩山由紀夫内閣が発足した直後の話だ。
そして鳩山は、米軍基地の名護市移転に関しオバマ大統領に、「腹案がある」「trust me!」と繰り返したにも関わらず、
「年内移転を確約したものではない」
「トラストミーは、パンケーキを勧めた際に言っただけ」
などと意味不明な釈明を繰り返し、日米同盟は前代未聞の迷走を続けていた、まさにそのタイミングである。
ちなみに同じタイミングで、海上自衛隊の31期1選抜の海上幕僚長候補の一人、酒井良(第31期)が第7護衛隊を指揮しインド洋にあり、第7次補給支援活動派遣部隊の指揮官を務めていた。
この際鳩山と、民主党の幹事長を務めていた小沢一郎は、テロ特措法の延長措置を取らずに、我が国のシーレーンを防衛する活動から酒井以下、海上自衛隊の部隊を撤退させてしまった。
これに対し酒井は静かに冷静に、しかし明らかに怒りを込めて
「撤収は今後、我が国の戦略に影響があるのではないか」
という短いコメントを発表している。
現役の海自幹部が防衛政策に意見をするという意味では異例の政権批判であり、非常に強烈なひとことだ。
そして中澤が明らかに、鳩山元総理の「trust me!」を意識して、いわば
「国防を舐めるな!」
と言う意味を込めて訓示をしたのもこのタイミングである。
なお誤解のないように申し上げておくと、率直に言って私(管理人)は、どれだけアホな総理であり最高指揮官でも、自衛官がその命令に背き、あるいはその政策を批判することを良しとはしない。
やはり自衛官は、たとえアホであっても総理大臣の指揮命令に従うべきであると考える。
しかしそんなことは、中澤も酒井も当然理解し、そしてその矜持を守り抜き任務を全うしてきた自衛官だ。
にも関わらず、これら理知的で理性的な高級幹部からですら、明らかな政権批判が間接的に表明されるということは、全国20余万の自衛官の中に、相当なフラストレーションが溜まっていたということなのだろう。
その思いを、自らのリスクと責任で訓示の言葉に変え、
「どんな状況になろうとも、俺たち制服組は汗を流して国防を担い続けよう!」
と、日米の幹部曹士に呼びかけた。
非常に勇気ある、指揮官としての姿がそこにはあった。
そしてこの結果、鳩山政権は中澤に対し、文書による「注意処分」を下している。
ちなみに注意処分は、国家公務員の懲戒処分に当たらず記録には残らない。
そういった意味では、政権から睨まれ将来は厳しいことになるかも知れないが、表向き中澤に傷はつかなかった。
しかし大事なことは、中澤はこの「圧倒的な国民の支持」を受けて誕生したばかりの鳩山政権に対し、自らが干されるリスクも呑み込んだ上で、国防に強い意志表示をしたということだ。
まさに、「注意処分」は中澤の勲章と言ってよいだろう。
これほどまでに、状況で立場を変えず信念を曲げず、国家と国民のために真摯な自衛官の姿を見せてくれた幹部を、私達日本国民は決して忘れることはない。
ここでもう一度、退役ポストとなった中澤の、西部方面混成団長としての指導方針を見てほしい。
【統率方針】為世為人
【要望事項】範を示せ
である。
この先、長きに渡り民主党政権が続くかも知れず、その尻尾を踏めば飛ばされ更迭されるかも知れないリスクなどどこ吹く風で、国家のため国民のために、範を示した自衛官であった。
これほどの上官が、44普通科連隊を僅か1年で去る時でも、800名もの隊員が見送りに出て涙したというのは、当然だ。
そして退役の日、先のページでお示しした写真のように、湯浅が心からのねぎらいを見せているのも、全て中澤の生き方や哲学を、多くの幹部曹士が慕い、また愛していたからに他ならない。
そんな、クールな頭脳と熱いハートをもった最高の幹部自衛官が、2018年11月末日で陸上自衛隊を去った。
ぜひ、一人でも多くの国民に、この中澤という幹部自衛官の活躍を知ってもらいたいと思い、こうして記事にしている。
そして、それぞれが「本当に疲れ様でした」と、中澤のために思いを致して頂けたら幸いだ。
中澤陸将補様、本当に長い間お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
久しぶりの、任務のない年末年始はどこか頼りないお気持ちになられるかも知れませんが、まずはゆっくりとお過ごしになって、積年のお疲れを癒やして下さい。
そして第二の人生も、自衛官生活と同様に非常に充実したものとなりますことを、心からお祈り申し上げております。
重ねまして、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊久留米駐屯地公式Webサイト)
◆中澤剛(陸上自衛隊) 主要経歴
昭和
60年3月 陸上自衛隊入隊(第29期)
年 月 第24普通科連隊第3中隊小隊長(えびの)
平成
年 月 幹部候補生学校教官(久留米)
年 月 外務省中東アフリカ局(霞が関)
年 月 第33普通科連隊第2中隊長(三重)
年 月 統合幕僚監部防衛計画部計画課業務計画班長
21年3月 第44普通科連隊長兼ねて福島駐屯地司令
22年3月 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官
26年3月 防衛研究所主任研究官
27年4月 陸上自衛隊富士学校総務部長
29年3月 西部方面混成団長兼ねて相浦駐屯地司令
30年3月 西部方面混成団長兼ねて久留米駐屯地司令
30年11月 西部方面混成団長のポストを最後に退役 陸将補
私の父のことを掲載して下さり心より感謝いたします。
退官して祝いの品として父と同じ誕生日のお酒をプレゼントしたらすごく喜んでおりました。
本当に自慢の父です
お父上が3佐で33連隊の2中隊長の時に、お世話になった陸士長です。
防衛庁移転で最後の警備に行った時に、Yシャツを買ってもらったのはいい思い出ですw(私服組でチンピラみたいなスーツでYシャツが赤と黒しかなかった為w)
伊藤博則さま
中澤将補との思い出をありがとうございました!
おそらく、もう20年以上前のお話ですよね。
いつまでも心に残るエピソードがあるって、いいですね・・・!
ご子息様にも、届きますように!
中澤将補のご長男様ですか!?
コメントを頂きましてありがとうございました。
心から感謝申し上げます!
中澤将補は本当に、国民の宝とも言うべき誇りある自衛官であるとお慕いしていました。
お元気でご活躍をされているでしょうか?
どうか、お体にお気をつけて頑張ってくださいと、お伝えくださいませ!
中澤将補が防衛研究所主任研究官をなさっているころ、
一橋大学の野中名誉教授のアシスタントとしてお会いしました。
野中教授の著書の情報を集めるためご協力いただきましたが、
たいへん聡明であるだけでなく、強い意志と深い哲学を持ち、
更には高い誇りをお持ちの方だと深い感銘を受けたのを覚えています。
お会いしたのはほんの数回、延べ10数時間程度だったと思いますが、
交わした会話の内容は今でもはっきり覚えています。
私にとっては人生の中で5本の指の中に入る素晴らしい出会いでした。
お話の中から、中澤将補は素晴らしい上官・教官でもあると感じました。
今も多くの隊員がその遺志を引き継いでいると思います。
かような幹部自衛官がいらした事を一国民として誇りに思います。
中澤将補と一緒にお仕事をされたとは羨ましい・・・。
しかも、野中名誉教授のアシスタントをされていたのですね。
なんとも羨ましい限りです。
中澤将補のお人柄は、本当にお会いする人皆のお心をつかみますね。
私もどこかでお会いできることを、楽しみにしています!
当時、相浦駐屯地が激動の中、なぜ中澤1佐が相浦駐屯地司令になられたのか?水機が活動できたのは?漁業協同組合と良好な関係を保持できたのはなぜか?
中澤閣下の功績は途轍も無く大なものと思っております。同じ場所で勤務できたことを誇りに思います。ありがとうございました
M.Fujimotoさま
コメントを頂きましてありがとうございました!
なんと・・・そんな話が。。
ますます中澤陸将補のことが、大好きになりました。
ありがとうございました!
(´;ω;`)