【退役】永井澄生(ながい・すみお)|第27期・海上自衛隊

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永井澄生は昭和36年1月生まれ、兵庫県出身の海上自衛官。

防衛大学校第27期の卒業で幹候34期、2015年に新編された海洋業務・対潜支援群の初代司令だ。

 

平成30年3月(2018年3月) 海洋業務・対潜支援群司令・海将補のポストを最後に退役となった。

前職は海洋業務群司令であった。

 

これほどまでに、我が国の平和と安全を担保する上で重要な「裏方」は存在しないだろう。

それでいて一般の国民には、その存在すらほとんど知られていない海洋業務・対潜支援群の初代司令を務めた永井。

組織の立ち上げを請け負い、軌道に乗せるという大役をやりきった上で、退役の日を迎えることになった。

 

海洋業務・対潜支援群は文字通り、対潜水艦戦闘に必要となる気象データや海中データを収集し、また気象状況と音響データを分析することで、敵性勢力の水中活動を丸裸にしてしまう部隊だ。

我が国が潜水艦乗組員の練度だけでなく、敵性潜水艦の探知能力にも優れ、もって日本近海の安全保障環境を有利に進められているのも、この部隊の活躍が極めて大きい。

 

永井はその初代司令であったわけだが、前職は前身である海洋業務群司令。

さらにその前職は、隷下部隊である対潜資料隊司令であった。

対潜資料隊司令に着任したのは平成23年12月であったので、実に6年以上もの間、この分野で活躍をし続けてきたことになる。

一般に幹部人事は長くても2年で別の部署に異動になる事が多い中、組織改編期とはいえ、同一分野を任され続けたことは、余人を持ってそれ程までに代えがたい人物であったということなのだろう。

 

しかしその永井も27期の将官だ。

2018年3月の将官人事は27期だけでなく、28期組からも、陸海空自衛隊で多くの将官が退役する人事となったが、永井もその一人になり、長年親しんだ海上自衛隊に別れを告げることとなった。

 

長い間、本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。

まずは暖かで穏やかな春の日をお過ごしになり、積年のお疲れを癒やして下さい。

永井海将補の第二の人生も、充実した素晴らしいものとなりますことを、心からお祈りしております。

 

【以上、2018年4月1日加筆】

※以下は2017年10月13日までに記してきた記事であり、最新の情報を反映していない。

 

 

2017年10月現在、永井が補職されているポジションは一般に馴染みが薄く、それでいてこれほど、我が国の平和と安全に大きく関わる仕事はないであろう職務だ。

それは海洋業務・対潜支援群司令のポストであり、わかりやすく言えば、水面下の気象予報官と言って良いだろう。

我が国近海の海底地形を調査してその深度や隆起、あるいは海溝や海淵などを地図化。

さらに潮流や水温、海域の気象データの収集など、対潜水艦戦闘におけるあらゆるデータを蓄積し、作戦行動に活かすべく航空集団や、もちろんその上級組織である自衛艦隊とも共有する。

 

この組織が間違ったデータを戦闘部隊に提供したらどのようなことになるか。

それは直ちに戦闘部隊の壊滅を意味するほどの重要な仕事であり、陸上戦闘において地形の利を抑え、天候の利を抑えたものが局地戦において勝利に大きく近づくように、海上・潜水艦艇における戦闘はそれと同等か、時にそれ以上に勝敗の帰趨を決定づける。

 

非常に重要な職務であるものの、日清・日露戦争の時代から、戦争前に行われていた地形データの収集や地図化と言った地味な仕事をこなしてきた軍人の成果はどうしても注目されないものだ。

しかしながら、これらのデータが無ければ布陣を決めるどころか、そもそも部隊展開すらままならない。

 

重要であるが目立たない、そんなポストで、1等海佐昇進以来歩んできたこともあるのであろう。

永井に関する防衛省公式の画像資料は、冒頭の1枚以外は全く見つけることができなかった。

 

ちなみに画面一番手前が永井である。

27期組の将官なので、そろそろ退役も近い年であり、やはり貫禄を感じさせる一枚となっている。

 

なお、職務の性質だろうか。

永井の後ろ2列めには、画像で確認できるだけで、まだ何も防衛記念章が付いていないきれいな制服を身に着けている若い女性自衛官の姿が3人見える。

あるいは女性が活躍する職域ということなのかもしれないが、こんなに若くてチャーミングな女性自衛官が活躍する現場とは、なかなか 羨ましい 頼もしい限りだ。

 

 

さて、その永井についての経歴だが、海上自衛隊の入隊が昭和58年3月であり、1等海佐に昇ったのが平成15年1月なので、1選抜のトップエリートからは1年遅れということになる。

その後12年間、1等海佐で主に対潜と海洋群の現場で指揮を執り、非常に厚みのある現場指揮経験を積み上げている。

そしてその、余人を持って代えがたいほどの現場経験に裏打ちされた知見を蓄積し、新編された初代の海洋業務・対潜支援群司令に補職され、平成27年に海将補に昇りつめた。

 

まさに、「裏方のスペシャリスト」だ。

華々しい軍人の活躍を扱った歴史本や戦史には決して出てくることがないものの、給養(食事)や兵站と同様に、それがなくては直ちに部隊が立ち行かなくなる仕事であり、私たち一般国民も、もっとこのような部隊に注目して、そしてその活躍に目を向けて欲しい。

 

なお、海上自衛隊の27期と言えば、恐らく2017年10月現在で海上幕僚長を務めている村川豊(第25期)の後任である、第34代海上幕僚長に就任することが確実視されている世代である。

そしておそらく、その人事は同期である山下万喜(第27期)中心に展開されるであろう。

26期組の可能性もまだ残っているが、話がそれるのでそれは別稿に譲りたい。

 

自衛隊の慣例であり、同期がトップに就任するか、もしくは就任が確実視され始めると、それ以外の将官は原則として早期退職するのが常だ。

そういった意味では、永井は現行ポストを最後に退役となるか、あるいは2017年12月に予想される現行ポストの次の職務を最後に、長年親しんだ海上自衛隊の制服を脱ぐことになるだろう。

非常に寂しいことだが、どれほど有能であり、どれほどのエキスパートであっても、軍事組織とは常に新陳代謝を強制的に働かせることが求められている以上、必ず退役の時が来る。

 

それまで2年か、あるいは早ければ数ヶ月。

永井にはぜひ、長年に渡り蓄積したそのベテランらしい知識と経験を後進に託し、もって10年先20年先の我が国の平和と安全に貢献する、最後のひと仕事に尽力されることを、心から期待したい。

 

昭和
58年3月 海上自衛隊入隊(第27期)

平成
6年1月 3等海佐
10年1月 2等海佐
11年6月 海上幕僚監部運用課
12年9月 おおよど艦長
14年4月 外務事務官(インドネシア)
15年1月 1等海佐
17年8月 海上自衛隊幹部学校計画課国際計画班長
20年8月 海洋業務群幕僚
22年8月 第15護衛隊司令
23年12月 対潜資料隊司令
26年12月 海洋業務群司令
27年12月 海洋業務・対潜支援群司令 海将補
30年3月 退役

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 余市防備隊公式Webサイト(歓迎セレモニー写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/oominato/butai/yoichi/290616.html

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