尾崎義典(統合幕僚監部総務部長・空将補)|第32期・航空自衛隊

「父の背中を越えたF-4ファントム戦闘機パイロット」

そんな言葉が、このすっかり頭が薄くなった、それでいてイケメンの空将補にはよく似合う。

尾崎義典の父、故・尾崎義弘は元2等空佐で殉職した、やはり戦闘機パイロットであった(享年40歳)。

F-4戦闘機を日本に導入する黎明期であった百里基地において、この最新鋭戦闘機の臨時飛行隊長を務めた男だった。


(画像提供:航空自衛隊公式Webサイト 主要装備紹介)


(画像提供:防衛省統合幕僚監部公式Webサイト

悲劇はある日、突然のことだった。

昭和47年8月、航空自衛隊百里基地の第301飛行隊に配備されたF-4戦闘機は、臨時飛行隊長を任された尾崎義弘2空佐の指揮の下で、連日の厳しい機種転換操縦課程を繰り返す。

ただでさえ、戦闘機の飛行訓練は過酷な課程だ。

ましてそれが最新鋭戦闘機への転換訓練であれば、精神的・肉体的な追い込まれ方は、常人が日常で経験し想像できるレベルを遥かに超える。

そんな厳しい慣熟飛行訓練が続いていた昭和48年5月1日。

尾崎義弘2空佐と阿部正康1空尉は301飛行隊304号機に搭乗し、いつも通り百里基地を離陸して訓練に飛び立つが、間もなくして鹿島灘沖でレーダーから機影が消失し、連絡を断つ。

管制からの呼びかけにも一切応答がなく、空自は直ちに捜索隊を派遣するが、四散したF-4戦闘機の残骸を発見したのみで、尾崎2佐と阿部1尉を発見することは出来なかった。

大変残念なことだが2人は殉職と断定され、原因は、F-4戦闘機が空中爆発したことによって起きた事故であると結論付けられた。

それから、40年以上の時間が経過した。

当時7歳の少年だった尾崎義典は、父と同じF-4ファントム戦闘機のパイロットを志し、そして夢を叶えて活躍している。

さらに航空自衛隊の最高幹部である空将補に昇り詰め、その先も窺う勢いだ。

その補職は、統合幕僚監部総務部長という要職中の要職である。

父に憧れ、父の大きな背中を追い掛け続けパイロットになった7歳の少年は、いつの間にか父を追い越していた。

そして、話はまだこれだけで終わらない。

故・尾崎飛行隊長が先駆けとなり、百里基地の主力戦闘機として定着したF-4戦闘機だが、その後昭和60年2月に、宮崎県の新田原基地に移駐・編入されることが決まる。

そしてその301飛行隊が宮崎に移駐するまさに寸前の昭和59年12月、百里基地近くの鹿島灘沖で、Gスーツに包まれた1本の大腿骨が地元漁師の網によって水揚げされた。

Gスーツに刻まれていたネームは「尾崎」。

故・尾崎義弘2空佐の遺骨で間違いないと確認された後に遺族に引き渡され、10年の時を経て、家族のもとに”里帰り”を果たした。

当時の航空自衛隊関係者は、栄光のF-4ファントムを駆り国防を担っていた301飛行隊が宮崎に移駐することを寂しがり、尾崎2佐が再び姿を現したと噂したそうだが、おそらくそういうことであろう。

そして、7歳で殉職により父を失い、防衛大学校在職中に父の遺骨が発見され、初めて父を抱いて葬式を挙げることができた男が今、航空自衛隊の最高幹部に昇りつめた。

イーグルドライバーではなく、父と同じF-4戦闘機を志し、そして見事に夢を果たした男は今、身を粉にして我が国の平和と安全のために文字通り、死力を尽くしている。

これだけ頭が薄くなるのは当然ではないか。

父親の殉職という悲劇と、その後の家族の苦難を乗り越えてもなお、父の背中を追い続け自衛隊に入隊し、そして追い越したであろう尾崎義典。

父親の尾崎義弘2佐が、喜んでいないはずがない。

こんな誰も知らないところにも、我が国を影で支える防人の物語がある。

尾崎がこの先、誇り高き父に見守られながら、どこまで活躍の場を広げるのか。

そんな視点でも、ぜひ防人たちの活躍を見守ってほしい。

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。


(画像提供:航空自衛隊小牧基地公式Webサイト

◆尾崎義典(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
63年3月 航空自衛隊入隊(第32期)

平成
年 月 第83航空隊
年 月 防衛大学校
年 月 幹部学校
年 月 米国空軍士官学校交換幹部

11年1月 3等空佐
14年7月 2等空佐
14年8月 航空幕僚監部防衛課(米中央軍司令部)
16年8月 第3航空団
17年8月 情報本部
19年1月 1等空佐
19年4月 航空幕僚監部防衛課付
19年8月 航空幕僚監部情報課付
20年6月 米国防衛駐在官
23年6月 航空総隊
23年12月 第5航空団飛行群司令
25年4月 航空幕僚監部運用支援・情報部情報課長
26年8月 第5航空団司令兼ねて新田原基地司令 空将補
28年7月 第1輸送航空隊司令兼ねて小牧基地司令
29年12月 統合幕僚監部総務部長

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コメント

  1. 松田栄 より:

    あのとき、見つかった遺品が百里基地に帰り、干したりして遺骨と尾崎の名前が書れ、びっくり!よく覚えます。葬儀が行われて、Fー4の301SQが新田原基地に移動で、手を振って見送りしました。Fー15の204SQ創設され、私も任期退職して自転車日本一周して全国各地航空自衛隊基地を回り小松基地司令杉山蕃と会い、元百里飛行群司令で知っており、今年春、靖国で特攻隊戦没慰霊祭で33ぶり杉山さんと会いと願い東京に上京。良い慰霊でした。一期一会ありがとうございました!

    • ytamon より:

      松田様、コメントありがとうございました。
      まさかその時に、現場におられた人生の大先輩からコメントを頂けるとは思わず、臨場感のあるお話に目頭が熱くなる思いです。
      本当にありがとうございました!
      尾崎空将補のお耳にも入ればよいのですが・・・。
      大変光栄な書き込みを頂きまして、感謝します。
      また宜しければ、遊びに来て下さい!