海軍少佐であった篠崎眞一 命は昭和19年6月29日、内南洋方面にて戦死。
横須賀海軍航空隊所属で東京都出身の24歳であった。
戦死の日付や場所から推測し、おそらく南雲忠一中将に率いられサイパン島の戦いで戦死したおよそ30000柱の英霊の1人であると思われる。
結婚してわずか2ヶ月あまりの戦死であったが、最愛の妻に充てた最後の手紙が遺されている。
私に逢ひ度くば空を見よ
玲子
玲子は日本一、否世界一の妻なりと思つてゐる。
苦勞のみかけ、厄介ばかりかけ、何等盡(つく)し得なかつた事済まなく思つてゐる。
四月十五日以来僅な月日であつたが、私の一生の半分に價(あたい)する月日であつた。
父母に孝養を盡くしてくれ、私の分迄。
私に逢ひ度くば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。
私は其処に生きてゐる。
結婚のすべての手續き、六月十二日に横空で完了して置いた。
くれぐれも後を頼むよ。
私の出来なかつた事も玲子には出来る。
後顧の憂、一つなく征ける身の幸福を感謝してゐる。
最愛の玲子、御身を常に見守つてゐるよ。
出撃前夜
海軍大尉 篠崎眞一
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