北海道帯広市出身であった陸軍憲兵大尉・堀 重吉 命は昭和23年4月6日、ジャワ島バタビアにて法務死を遂げた。
享年38歳であった。
3人の子供を女手一つで育てていくことになる体が弱い妻を案じ、独房から最後の手紙を送っている。
愛する妻に繰り返し詫び、3人の子供を託す父親としての思いが綴られた、悲しい遺書になっている。
愛しき妻へ
艶子
別れてから五年、遂に再び相見ることが出来なくなつた。
凡れ是れ天命である。
偉大なる運命の前には五尺の身を以て訴へんとするも遠く及ばざるものあるを知つた。
思ひもかけぬことで責任を問はれ南海の地に土と化す。
三十八年の生涯もあと二ヶ月のみ、今しみじみとお前や子供達のことを想ひ浮かべてゐる。
幸福にすることが出来なくて本当に申訳ない。
許して頂きたい。
時々東京や姫路の生活を思ひ出す。
子供達もさぞ大きくなつたらう。
私の責任を問はれた理由に就ては堀君より聞いて戴きたい。
体の弱いお前が財も無く三人の子供を抱へた将来を想像すれば正に断腸の思ひだが、頼む。
子供を素直に心豊かに美しく育てゝ下さい。
よく考えられて最善の途を選ばれんことを。
独房の前に僅かの芝生があり「トキ」色の花が咲いてゐて私の心を深く慰めてくれる。
夕方、暗い独房の中で独り虫の音に耳を傾け、祖国の姿、家族のこと、遠い昔の生活を思ひ出してゐる。
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