陸軍大尉で鹿児島県出身であった倉元利雄 命は昭和20年5月11日、沖縄で戦死。
鹿児島高等商業学校卒業で享年30歳だった。
待ちわびた一粒種を妊娠中の妻に出征に際して嘘をつき、安心をさせようとしたことが窺える悲しい遺書が遺されている。
決して嘘を言ふのではなかった
喜美子
出発の際は許して呉れ、御許を愛すればこそ一時も悲しみをさせたくない心にて一杯だつた。
決して嘘を言ふのではなかつた。
どうか元気を出して凡(あら)ゆる苦しみ、悲しみと闘つて行つて御呉れ、強い心で生きて行つて呉れる事を切に切に望む。
では只今より出発する。
有難う。有難う。
俺は幸福だった。喜んで征く。御許の幸福と健康を祈る。
五月四日五時十二分
愛児よ
若し御許が男子であつたなら 御父様に負けない立派な日本人になれ
若し御許が女子であつたなら 気だてのやさしい女性になつて呉れ
そして御母様を大切に
充分孝養をつくして御呉れ
父より
愛児へ
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