福島原発に立ち向かった男 ~田浦正人・ある自衛官の人生について

Pocket

さて、その田浦の離任式のレポートである。

今回私も初めて知ったのだが、離任式は付日の何日か前に行われるそうだ。

田浦の退役の付日は2019年8月23日であったが、離任式は8月21日であった。

この日、小島のカメラクルーとして前日に札幌に入っていたが、天気はあいにく最悪の予報。

前日も土砂降りであり、しばらくは低気圧の影響で降雨が続くという予想であった。

(画像:管理人撮影)

にも関わらず、当日朝、7時30分に北部方面総監部に足を運ぶと空はウソのように晴れ渡っていた。

しかもこの日、午後からは雨が降ってきたので本当に、田浦の離任式の間だけ青く爽やかな北海道の空が駐屯地を映し出した。

これが、持っている男のツキというものだろうか。

暑さも収まり、本当に過ごしやすい気持ちの良い朝を迎えた。

 

そして始まった離任行事。

上記2枚めは、体育館で行われた式典の冒頭の部分である。

この時、田浦が述べた「離任の辞」を文字起こししたので、以下でご紹介したい。

 

***

I have a dream
私には夢がある
いつの日か、我々が誇りを持って任務に邁進できる日が来ることを

私には夢がある
我々が感謝の念を持って、任務を遂行できる日が来ることを

私には夢がある
愛する家族が、安心して我々を送り出すことができる日が来ることを

 

私は、その夢を叶えるために何をすべきかを、諸官のおかげで知ることができ、できることは全てやった。

使命感にあふれる諸官と共に汗と涙を流し、
「ことに望んでは危険を顧みず」という自衛官の宣誓、そのものを目の当たりにした胆振東部地震の災害派遣。

米陸軍第1軍団司令官・ボレスキー中将をして、
「北部方面隊の重戦力があったからこそ、敵の侵攻を食い止めることができ、十分な戦車、及び火砲があったからこそ米軍との協同の反撃が成功した。第1軍団は、北部方面隊の将兵となら、共に戦うことができる」
と言わしめた、日米協同指揮所演習・ヤマサクラ演習。
これらを終えた今、諸官と同じように私も達成感を感じている。

また、次のステージでやるべきことも明らかになった。
私は、諸官から貰った力強いメッセージの一つ一つを深く胸に刻み、これからも自衛隊のため、日本国のため、裏方に徹して諸官を支えていくことをここに誓う。

私は諸官らと共に任務を完遂できたことを誇りに思うとともに、使命感にあふれる諸官が至らない私を支えてきてくれたことに、心から感謝する。

祖国に忠誠を誓った真の日本人に、神の御加護があらんことを祈る。

 

I have a dream
私には夢がある
夢は見るものではなく、叶えるものである

諸官との2年間、やりがいに満ち溢れていた。
ありがとう!

令和元年8月21日、北部方面総監・陸将 田浦正人

 

令和元年8月22日、2400(にーよんまるまる)をもって、北部方面総監たる任務を解く!

***

 

・・・胸が一杯になった。

イラク復興支援隊長、福島原発対処現地調整所長など、国益を護る任務、あるいは国家の危機に際し国家と国民を護る任務にあたってきた自衛官の退役式に立ち会うことが許されていることに、ただ胸が一杯になった。

式典の冒頭から、ずっと目から汗が出っぱなしである。

(画像撮影:管理人)

そして始まった、いよいよ最後の見送りだ。

8月の末は、北方でたまたま大規模な演習が在ったようで、この日は駐屯地近くにあった戦車も見送りに用意されたのだろうか。

35年に渡り自らを鍛え上げてくれた主力戦車に、最後の感謝を捧げる田浦が1枚目の写真。

そして2枚めは、最後の万歳三唱を行う、今村武(第34期)・北部方面総監部幕僚副長である。

最後の最後まで、本当に秋晴れのように澄み渡った8月末の北海道の風が、気持ちよく駆け抜けていく。

そして万歳三唱に送られて、田浦は慣れ親しんだ北部方面隊を去って、長かった自衛官生活にピリオドを打った。

 

(画像撮影:管理人)

そしてこの後、実は総監と令夫人は副官を伴って、真駒内駐屯地に所在する慰霊碑の参拝を行うのだが、今回はその取材も許して頂くことができた。

先程までのにぎやかな見送り行事とは違い、完全に静寂の空気に包まれた、厳かな空間である。

聞こえるのは、夏の終りのセミの声だけだ。

本当に不思議な時間であり、空間であった。

 

その中で、総監はただ静かに、令夫人を伴っていつまでも慰霊碑に祈りを捧げられて、そして殉職者名簿に寄り添っていた。

そして、殉職者名簿の全てに寄り添うように祈りを捧げられた後、最後に、慈しむように石碑に手を差し伸べていた。

おそらく最後に手を差し伸べていたのは、小島政貴・2等陸曹(享年38)のお名前ではないだろうか。

田浦が第7師団長時代、隷下第73戦車連隊に所属し、戦車の横転事故で亡くなった隊員である。

その心中はいかばかりかと、いつまでも慰霊碑を離れようとしない総監のお姿が印象的であった。

 

(画像撮影:小島肇・元2等陸佐)

そしていよいよ、慰霊碑参拝を終えられて帰る間際。

田浦の副官から「ちょっと来て下さい」と呼ばれるというサプライズが・・・

小島肇・元2等陸佐とともに慌てて総監のもとに駆け寄ると、

 

「あなたが桃野さんですか?」

「・・・は、はい。」

「実は家内が、貴方のブログのファンでして。家内から勧められて先日一度読んでみました。」

「・・・こ、光栄です!」

「いつも自衛隊を応援してくださっていると聞いています。本当にありがとう。」

「とんでもありません!いつも勝手なことばかり書いて、本当に恐縮しております。失礼しております。」

「いえいえ。貴方の、自衛隊とその家族を応援したいという志は、本当にありがたいことです。これからも、自衛隊の応援をどうぞよろしくお願いします。」

「はい!ありがとうございます。」

 

余りにサプライズだったのでうろ覚えだが、おそらくこんな会話だっただろうか。

そして田浦総監らしい「田浦スマイル」で、満面の笑みで記念撮影に応じてくださったが、この握手の時に、私の手にこのようなものを握らせて頂いた。

 

(画像撮影:小島肇・元2等陸佐)

読者の皆さんは、「チャレンジコイン」という言葉をご存知だろうか。

正式な部隊長表彰の基準は満たさないが、個人的にその活躍を顕彰したい部下への褒章。

あるいは、特別な親愛の情を持つ他国の軍人などに、高位にある軍人が、友情の証として渡すコインのことである。

アメリカ発祥の軍人の慣習だが、この時頂いたサプライズは「チャレンジコイン」だったのだろうか・・・。

サプライズにサプライズを重ねて頂き、とても質問を差し上げる余裕が無かったのだが、きっとそうなのかも知れない。

とにもかくにも、田浦総監はそのまま車に乗られて駐屯地を去られて、自衛官人生を全うされた。

そして、田浦総監の離任式の取材が全て終わった。

 

今回、小島肇・元2等陸佐の撮影スタッフとして田浦総監の離任式を取材させていただいたのだが、改めて、これが北部方面総監に昇る最高幹部なのかと鳥肌が立ちっぱなしであった。

自衛隊のことなので、メディア要員であっても事前に取材スタッフは全て名前を申告し、人物は精査される。

その過程で私のことを知っていただいたのかもしれないが、これが人の上に立つリーダーの姿なのかと、最後の最後に、改めて田浦総監に惚れ直す出来事になった。

 

また今回、大変光栄なことに美しい令夫人とも握手をして頂き、お話をさせて頂くことができた。

余りにも舞い上がってしまい、何をお話させて頂いたのかさっぱり覚えていないのだが、本当に心からの感謝をお伝えしたいと思う。

 

お会いさせて頂きましたご縁に、心から感謝申し上げます。

本当に、ありがとうございました。

 

最後になりましたが、今回、田浦総監の離任式に立ち会うことができたのは全て、映像プロダクション・HAJIMEVISIONを経営されている小島肇・元2等陸佐の特別な計らいによるものです。

カメラクルーとして名簿に入れて頂いたことで、このような晴れの舞台に立ち会わせて頂くことができました。

改めまして、心からの感謝を申し上げます。

本当に光栄でした、ありがとうございました!

 

今回の式典の模様は、HAJIMEVISIONの方で、北部方面隊の活躍を収めたDVDの映像特典として発売されると聞いています。

プロのカメラマンが、本職の機材を用いて撮影した動画はぜひ、HAJIMEVISIONのリリースを楽しみにお待ち下さい。

またご愛嬌として、素人の私が一生懸命撮影した動画を、今回初めてyoutubeにアップしてみました。

こちらも宜しければご覧下さい。

今回が初めての、youtubeデビューです!

 

田浦総監とそのご家族様の第二の人生が、充実した素晴らしいものとなりますことを、心からお祈り申し上げております!

北部方面隊、自衛隊万歳!

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

 

Pocket

9件のコメント

管理人様、流石北部方面総監離任式ですね、田浦総監のお人柄が、部下の方々の表情にも出ていますね、戦車乗りらしく小柄な体格と笑顔そして北海道の蒼穹、Yutubeで見るととても良く解ります、田浦総監も機甲一筋に自衛隊人生を終えられ多分満足だと思いました、北海道迄の取材お疲れ様でした、今後のご活躍期待しております。

すーさん!!
早速ご覧いただきましてありがとうございました!

はい、全く同感でした。
部下の方の表情を見れば、田浦さんがどのような指揮官であったのか、よくわかります。
感動の離任式でした!

自衛隊下士官出身者に自衛隊に武士道はありますかと訊ねたところ知りませんと言われました。しかし幹部クラスは武士道があるようで頼もしく感じました。戦後民主主義は武士道を否定しているようですが、残念です。不戦憲法を改正し、拉致被害者奪還侵攻作戦が自衛隊ができるようにすべきです。国民の生命が守られているとは言いがたい。拉致被害者救済の選択肢も広がる。

福島原発対処現地調整所長として対処を指揮した時に、機動隊放水隊のメンツを立てた采配は武士の姿と思いました。素晴らしい人格者です。

そのようなエピソードがあるのですね・・・
田浦さんらしいです。
本当に誰にお聞きしても、田浦さんのお人柄を悪く言う人を聞いたことがありません!

田浦さんが幹部候補生学校長の時、私も丁度、幹部候補生でした。気さくな感じで、学校長講話も毎回、面白かったです。よく駆け足をされていて、時たま、授業に乱入してきたのは驚きましたが(笑)
学校長要望事項の「何も考えずに一歩前!」は、未だに私の信条です!

しがない一幹部様、書き込みありがとうございます!
田浦校長のご様子が目に浮かぶようなエピソードですね!
それにしても、部隊では「よく考えて、前へ!」が要望事項でしたが、学生には「何も考えずに一歩前!」だったのですね。
若手幹部(候補)への要望事項としても、本当に田浦さんらしくてほっこりさせて頂きました。
ありがとうございました!

陸将補時代にお世話になりました。一言で言えば圧倒的カリスマ性のある人でした。とにかく人を惹きつけ、力を与える能力が凄かった。

元様、コメントありがとうございました。
元自衛官でいらっしゃるのですね。
本当に、お仕事お疲れさまでした。
私自身、一度だけお会いさせて頂きましたが、そのお人柄と笑顔に、本当に惹きつけられました。
一緒にお仕事ができたこと、羨ましく思います!

コメントを残す