大ネタである。
これまで多くの歴史学者や軍事専門家、また直接戦った連合軍の提督までもがその理由について解説をしている中で、一素人が推測をすることすら憚られる大ネタだ。
率直に言って、市井の軍事評論家と言われる人たちがどれほど合理的な説明をしたところで、どこか説得力に欠け、素直に聞くことができないほど、「栗田艦隊謎の反転」は、文字通り謎が多い。
絶望的な戦況の中で、日本海軍最後の艦隊を預かり決死の艦隊決戦に向かった提督の心境とはどのようなものだったのか。
恐らくその心根は栗田本人にしかわからないであろうし、だからこそ戦後、誰にも理解してもらえるはずもないことがわかっていただけに、墓まで持っていったのかもしれない。
では、そんな大ネタを本当に素人が語ろうというのかというと、もちろんそういうわけではない。
この栗田艦隊の謎の反転。
海上自衛隊はどのように解釈し、そしてそれをどのような教訓にしているのか。
そんなことに興味はないだろうか、という話だ。
詳細な事実はともかくとしても、ある意味で、戦史から多くのことを学び、それを戦訓として教育に活かすのが軍事組織だ。
幹部の共通認識として、海上自衛隊がこの戦訓を扱っていないはずがない。
そしてその内容こそが、我が国の本音のところでの、「栗田艦隊謎の反転」に関する正史の解釈と言っていいだろう。
政治的理由には左右されず、海上自衛隊ではどのように理解されているのか。
軍事的合理性から考え、あるいは艦隊指揮官の心情に照らし、海上自衛隊ではどのように教えているのか。
その一端を推し量ることができるそんな「授業」が、実はひっそりと公開されている。
その講師は、2017年10月現在、海上自衛隊で自衛艦隊司令官を務めている山下万喜(第27期)。
第33代海上幕僚長である村川豊(第25期)の後任として、次期海上幕僚長の呼び声が高い山下だが、その授業が公開されたのは山下が海上自衛隊幹部学校長時代である。
むしろだからこそ、この授業は重みがある。
海上自衛隊幹部学校長の肩書きで栗田艦隊謎の反転について授業を公開しているのだから、これは海上自衛隊の共通認識であり、少なくとも幹部学校ではそのように教えていると考えて差し支えないものであろう。
なおその「授業」は、なぜか民間の有料動画配信会社が実施しているもののひとつなので、ここではリンクを貼るのは差し控えたい。
ただ、その会社の有料動画には、小泉元総理大臣や岡崎久彦・元駐米日本大使館公使、葛西敬之・JR東海名誉会長なども講師として出演していることから、有料動画配信会社とは言え、ただの一民間企業でないことは確実だ。
山下はそのサービスの中で、顔出しで講義を行い、レイテ湾の栗田艦隊謎の反転について解説している。
さて、そんな動画を興味深く見た上での、海上自衛隊幹部学校としての解釈についてだ。
詳細を書くといろいろ差し障りがあると思われるので要約にしておくが、栗田の謎の反転。
指揮官としての動機という切り口では、
・艦隊を預かるものとして、そのままレイテ湾に艦隊を突入させ、無駄死にさせるようなことはできない
・北上して敵主力を補足し、これを殲滅した方が戦況を好転しうる
・我が国に残された艦隊は栗田隷下の部隊のみであり、それができる最後のチャンスであると考えた
と要約できるだろう。
そしてそのような判断に至った理由として、
・与えられた任務について理解していなかった
と、極めてシンプルに解説している。
僅か10分ほどの講義であり、言いたいことの1/100も解説できていないであろう、時間と内容の双方に制約がある簡潔なものであることは間違いない。
さらに、本当に海上自衛隊で教えている内容を公開するはずもなく、詳細は相当端折っていると言ってもいい内容でもあるだろう。
しかしながら、そのことを割り引いた上でも、率直に言ってその内容は、小池百合子・東京都知事(2017年10月現在)が愛読書であると公表してから妙に有名になった「失敗の本質」で、30年前から語られている内容とほとんど大差はないと言って良い。
本当に知りたいのは、栗田がそのように判断した根拠である情報の食い違いの原因であり、そしてなぜ、栗田が任務の本当の目的を理解していなかったのか、という経緯だ。
ただ、「失敗の本質」では、栗田の任務に対する理解不足というよりも、司令部と連合艦隊ではそもそもの目的が相違していたことから、軍事作戦の最大の禁忌の一つであるdual purpose(二重の作戦目的)に陥っていたとも指摘されている。
ちなみに動画では、栗田が戦況を見誤った理由と、なぜ栗田が作戦目的を理解していなかったのか、という根本的な部分には触れていない。
その為、山下の講義(というよりも、海自幹部学校が用意した講義内容)は、斬新さに欠けるものであり新しい発見がないものであるとも言えるが、一方で大きな発見もある。
それは、海上自衛隊ではあの「謎の反転」に関し、司令部と現場指揮官との意志の食い違いが存在していたことを明確に認めていることだ。
その上で、現場指揮官に変則的な形で、戦術レベルを越えた戦略レベルでの選択肢を与えてしまったことを、暗に認める形になっている。
つまりこのことが、海上自衛隊にとっての教訓であり、二度と犯してはならない間違いであるという認識であると言うことだ。
極めて雑に言うと、栗田健男がレイテ沖海戦謎の反転を下達した最大の原因は、司令部と現場のミスコミュニケーションであり、命令下達の徹底不足。
それが海上自衛隊の理解であり、学ぶべき教訓になっていると言って良いのではないだろうか。
そして失敗の教訓は、軍事組織においては徹底的に研究され、二度と犯してはならないベンチマークとされる。
例えば潜水艦の運用もその一つであろう。
お世辞にも、先の大戦における我が国の潜水艦運用思想は、賢いものといえるものではなかった。
後知恵であり恐縮だが、効果的であるとは言えない局面での投入を想定していたために、せっかくの技術力が戦力に直結していなかった歪な兵器となってしまった。
その教訓を徹底的に、極端なほど徹底的に活かした戦後の我が国は、びっくりするほどの潜水艦強国となっている。
軍事組織が、過去の失敗から得た教訓をどれほど徹底して今に活かすか、という考え方のお手本のような現状である。
それと同様に、山下の講義から窺えることは、意思疎通及び命令下達の徹底、指揮通信系統の重視という海上自衛隊の文化だ。
海上自衛隊には、意志を明確にすること、意志を共有すること、意志を隠さないことを、その幹部曹士に対し強烈に要求していることが、外部の素人にも窺える文化がある。
それは恐らく、この「栗田艦隊謎の反転」から得た教訓と無縁ではあるまい。
また、ミッドウエー海戦の惨敗も、同様の根本原因があることを考えると、このような文化が徹底されていることは当然であるといえるだろう。
アナログな意思疎通、流行りの言葉で言うと「忖度」に頼らない意思決定の仕組み。
そんな日本人的なコミュニケーション手段には良いところもあるが、その悪いところを徹底的に改善すれば、同じ過ちを繰り返すことはないはずだ。
わずか10分程度の山下の動画は、そんな事を感じさせてくれるとても興味深いもので、おもしろいものであった。
なお余談だが、山下は動画の中で先の大戦を「大東亜戦争」と呼称し、何度も口にしていた。
例えば日露戦争で戦われた日本海海戦を、先進各国では「対馬沖海戦(Battle ofTsushima)」と呼ぶにも関わらず、我が国では日本海海戦と呼称しているように、太平洋戦争も本来であれば、我が国の正史に従い、大東亜戦争と呼ぶべきだ。
しかしながら、大東亜戦争という呼称は、なぜか一般社会では口にすることがためらわれる。
「戦後教育の成果」であるとは思うが、これもまた残念な風潮だ。
このサイトでも使って来なかったが、原則として使っていくようにしたい。
また山下は動画の中で、下を向きながら原稿を棒読みすることが多かった。
この動画を見る限り、演説は余り得意ではないようである。
そんなことでは海上幕僚長に就任してからどうするのかと、少し心配になるような動画でもあった。
(了)
【注記】
このページに使用している画像は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省海上自衛隊 自衛艦隊公式Webサイト(夜間射撃訓練写真)
http://www.mod.go.jp/msdf/sf/gallery/W005H0000020.html
防衛省海上自衛隊 公式Webサイト(パラオ訪問写真)
http://www.mod.go.jp/js/Activity/Gallery/pp2016_g02.htm
管理人様はじめまして。とても面白い切り口で大変興味深く読ませて頂きました。
諸説あるどころではないこの問題について、一番腑に落ちる解釈のように感じました。
勝手ながらツイッターにてシェアさせて頂きました。m(_ _)m
今後もサイト運営頑張って下さい!
スメル様
管理人のytamonです。
過分なコメントありがとうございました。とても嬉しく思います。
サイトレイアウトの大幅な作り変えを行っている、正に作業途中にお越し頂いたようで、色々と見辛いところもあったかと思いますが失礼しました。
拙いサイトですが、ツイッターでのシェア、とても光栄です。
これからもよろしくお願いします。
ytamon様
返信頂きましてどうもありがとうございます。m(_ _)m
こちらこそそのようなタイミングとはいざ知らず、改装の真っ最中にお邪魔を致しました。
ただの興味本位ではあるのですが、それでも大東亜戦争での旧日本海軍の戦跡を
調べ辿っているとあまりの内容に陰鬱としてきます。
しかし、潜水艦の運用法であったり教訓であったりと現在の海上自衛隊でしっかりと活かされているとこちらのコラムで知り、救われたような気持ちになりました。
他にもいくつかコラムを読ませて頂きました。
話の面白さもさることながら、自衛官の方々への敬意や配慮が多々感じられる
とても素晴らしいサイトだと思います!
またお邪魔致します!!
スメル様
日本軍ってすげー!
↓
あれ、なにかおかしい・・・
↓
日本軍悲惨すぎ笑えない・・・
↓
それでも日本軍すげー
この流れは、日本近代史にハマったものなら誰でも通る道ですよね、私もそうです笑
過分なお褒めを頂き恐縮です。
自衛官への敬意や配慮など、見透かされてしまっているようで、思わずニヤついてしまいました。
精一杯更新していきますので、これからもよろしくお願いします。