【退役】岡部俊哉(おかべ・としや)|第25期・陸上自衛隊

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岡部俊哉は昭和34年2月生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第25期卒業で幹候62期、出身職種は普通科だ。

陸上自衛隊のど真ん中でキャリアを歩み続け、陸上幕僚長に昇り詰めた自衛官人生であった。

 

平成29年8月(2017年8月) 第35代陸上幕僚長たる陸将在任中に、減給1ヶ月の懲戒処分を受け辞任。

陸上幕僚長の前職は、北部方面総監であった。

 

既に退役されている一般人であるので、記事の更新はしないつもりであったが、岡部元陸将に関する記事は今も数多くの人が訪れてくれるため、最後にもう一度、加筆修正を重ねた記事を改めて整理し、岡部元陸将への感謝としたい。

 

まずは通常通り、以下は敬称を省略させて頂き、岡部の自衛官人生を振り返りたい。

その人生の半分以上を国防に捧げ、走り抜けてきた男の半生だ。

 

岡部が陸上自衛隊に入隊したのは昭和56年3月。

西暦で言うと1981年であり、時代は1989年のバブル経済の頂点にむけ、何をしても儲かるというようなご時世だ。

おまけに、今の若い人には信じられないと思うが、1980年代は左翼勢力が全盛の時代であり、朝日新聞が従軍慰安婦問題を捏造し、社会党は北朝鮮による日本人拉致事件を公然と否定していた時代。

そして北朝鮮に対する経済支援を、拉致問題疑惑を理由に渋る日本政府に対し社会党が猛攻撃を仕掛け、そんな社会党を多くの国民が支持し、自民党の半数ほどの議席を持つ有り様であり、また朝日新聞が最大発行部数を誇っていた時代であった。

 

公立中学でも、自衛隊が違憲であり即刻廃止するべき勢力であると断じる社会科教師が堂々と教壇に立っており、そんな教師に対し、子供ながらちゃんと授業をするよう要求して異論を唱えると個人攻撃され、えらい目にあったこともある。

 

要するに、自衛隊を毛嫌いし否定する政治勢力が強く、自衛隊のみならず、自衛官個人に対しても理不尽な攻撃がなされる、そんな時代であった。

 

岡部が国防を志し、最初の一步を踏み出したのはそんな時代である。

民間企業に行けば誰でも使い切れないほどの給料を20代から貰うことができ、毎日深夜まで新地で飲み歩くことができ、帰りは会社からタクシーチケットが出る。

 

そんな浮かれた時代に岡部は自衛隊に入り、訓練と勉強と任務のみを繰り返す愚直な20代を過ごした。

そしてそんな岡部を始めとした自衛官に、世の中はどんな対応をしていたのか。

 

岡部が自衛隊に入隊する6年前、つまり岡部が高校2年生で防衛大学を志していたであろう昭和50年9月4日の毎日新聞が、富士総合火力演習を報じている以下のような記事がある。

 

【以下抜粋引用】

ひそかにでもなく、さりとて、大宣伝するわけでもなく、三日午後、陸上自衛隊恒例の「富士総合火力演習」が、静岡県・東富士演習場で行われた。

実弾三十三トンをバンバンぶち込んでの公開演習。

シュレジンジャー米国防長官の来日などで、防衛問題がまた議論を呼んでいるとき、シンパや関係者の前で、戦力を見せて、その人々の拍手を浴びた。

「反対」などという気分をこわす声は届かない身内だけの演習会場。

会場では、戦闘状況の説明がスピーカーで流されたが「勝った、勝った、また勝った」の熱狂的かつ我田引水的説明が冷笑をさそったりした。

 

引用:身内だけの”ドンパチ” 命中したら「拍手ごカッサイを!」毎日新聞 昭和50年9月4日 夕刊

【引用ここまで】

 

許しがたい揶揄である。

時代は冷戦真っ只中で安全保障環境が極めて厳しい時代だ。

そんな時代に、国防のためにその人生を掛けている自衛官に対し、大新聞がこの有り様である。

 

ただこれは、毎日新聞に限ったことではなく大手の新聞はどこもこうであった。

なおかつ忘れてはならないのは、新聞がそういう記事を書くのは、そういう論調で記事を書くと売れるからである。

つまり、国民自身が平和ボケと言う言葉では生ぬるいほどに、現実的な感性を失い、自衛官であればどんな誹謗中傷をして、石を投げても許されるとすら考えていたような、そんな時代であったと言って良いだろう。

 

岡部はそんな時代の中で鉄の意志を貫き通し、自らの使命に生きることを決め、任務に邁進する。

 

 

その岡部は、持って生まれた能力の高さに加え不断の努力を積み重ねて順調に出世を重ねる。

1等陸佐に昇ったのが平成12年1月なので、陸幕長に昇った男のキャリアでは当然といえば当然だが、25期組1選抜(1番乗り)のスピード出世。

さらに陸将補に昇ったのが平成18年8月であり、自衛隊の実運用上で最速の陸将補昇進を果す。

さらに陸将に昇ったのが平成24年7月なので、陸将補を6年も経たずにキャリアパスし、陸上幕僚長候補に名乗りを挙げた。

 

同期には東大出身の松村吾郎(第25期)がおり、機甲科の最高幹部として岡部と激しく陸幕長レースを争うが、陸幕長に昇る者にとって通過点の一つである統合幕僚副長には松村が着任。

この時点で松村が、防大卒の岡部を抑えて陸上幕僚長に就任すると誰もが考えたものの、なんと松村の後任に岡部が座ることになり、同様に統合幕僚副長に着任し、松村は後職で東北方面総監に着任する。

これで完全に、陸幕長レースの行方は混迷した。

 

なぜか。

統合幕僚長で先んじたとは言え、東北方面総監は、当時(ある意味では今もだが)、陸上幕僚長への就任がまず無いであろうと予想されていたポストだからだ。

まして松村は機甲科出身である。

これがもし、機甲科の聖地である北部方面総監であれば、誰の目にも松村の次期陸幕長着任は明らかであっただろう。

しかし、方面総監ポストはやや序列が低いとされている東北方面総監であり、そして松村の1年遅れで北部方面総監に着任したのが岡部。

その勢いのまま、平成28年7月に陸上幕僚長に着任し、松村は早期退職勧奨を受け退役することになった。

 

まさに、どれだけ優秀な自衛官であっても頂点の椅子は一つであり、非常な現実と競争の末の、陸幕長就任と退役であったといえるだろう。

第35代陸上幕僚長・岡部俊哉の誕生である。

 

 

しかし、人間(じんかん)万事塞翁が馬、といえばいいのであろうか。

若年より自らの使命に実直に生き、そして任務に励んできた岡部を、2017年7月、「南スーダン日報隠蔽問題」が襲う。

 

これは、自衛隊がPKOで派遣されている南スーダンにおいて、同地が実質的に戦闘地域であることを含む日報を全て陸上自衛隊の制服組が主導して隠蔽し、派遣地域の実態を隠そうとした、という認定が為されたスキャンダルだ。

結局、破棄したとされた日報は破棄をしていなかった事実が明らかになり、この不祥事は陸上自衛隊の制服組が主導して引き起こした不祥事であると認定され、岡部が詰め腹を切らされて減給1ヶ月という屈辱の処分を受けた上で退役となった。

 

順当に行けば、岡部の陸上幕僚長としての任期は2018年7月までであっただろう。

そしてその後職として、河野克俊(第21期)の後任である第31代統合幕僚長が確実であったにも関わらず、いや、だからこそと言うべきなのかもしれないが、統合幕僚長を目前にしての、無念の退役となってしまった。

 

今更この問題について、本当に南スーダンの日報を隠蔽するように指示したのは誰か、ということを蒸し返すつもりはない。

それは政治サイドであることは明らかであるが、今それを言っても仕方ないであろう。

 

ただ、一つだけ確実に言えることは、陸上自衛隊制服組と岡部には、日報を隠蔽するような動機など無いことは明らかであろうと言うことだ。

政治の怠慢のせいで、自衛官は自らの生命を守るための武器使用すら制限されている。

殴られても黙って笑ってろと言われるような任務を強制されているようなものであり、そんな状態で実質的に戦地にある南スーダンで任務に励んでいるのである。

自然な感情の発露として、その実態を国民と政治家により詳細に知ってもらい、武器使用基準の緩和や、あるいは南スーダンからの撤退を含めて議論してもらいたいところであろう。

 

少なくとも、なぜ南スーダンに関する日報を、陸上自衛隊の制服組が主導して隠蔽する必要があるのか。

そこには全く、軍事的合理性も人間としての損得勘定でも、プラスになることがない。

にも関わらず、陸上自衛隊の制服組は一方的に悪者にされ、岡部が辞任に追い込まれた。

 

どうしても客観的に納得が行かない思いであるが、当の岡部自身が何かを語ることはまず無いだろう。

それが、頂点の椅子に座ったものの矜持というものだ。

こんな理不尽な扱いで陸上自衛隊を去った岡部には、なんとも残念だと言う他無く、今はただ心から、本当にお疲れ様でしたという言葉だけを贈りたい。

 

貴官が国防のために果たしてきた多くの活躍と、後進に残してきた数え切れない知見は我が国の宝であると、心からの感謝で岡部の自衛官人生に最大限の賛辞を送って、最後の言葉としたい想いでいっぱいだ。

 

そして改めて、人間万事塞翁が馬、だ。

今回の出来事が巡り巡って、岡部の人生にとって「結果として、この人生で幸せであった」と思える日が来ますように。

 

本記事は当初2017年6月15日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年10月15日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年6月に公開した当時のものをそのまま残している。

 

 

なお岡部は、第一空挺団のキャリアが示すようにその現場指揮官時代は相当強面の高級幹部であり、陸将補に昇任後も率先して空挺降下するなど 年寄りの冷や水 いつまで経っても現場を大事にする男であった。

しかしながら「陸上幕僚長たる陸将」に突き抜けてからは少し分別がついたのか、画像のようにメディア(防衛省カメラマン)の前でも、こんな茶目っ気のある顔ができるようになった。

 

岡部の正面に座り手を握っている相手は米軍太平洋陸軍司令官のブラウン大将だが、ブラウン大将が歯を見せてここまでの笑顔をみせている写真はなかなか見ない。

「太平洋陸軍種シンポジウム(AUSA・LANPAC)」で防衛省が撮影した一コマだが、お互いに酔っ払っているようにしか見えないほど打ち解けている。

きっと写真撮影のために、机の上のビールやウイスキーを隠したのだろう(推測)。

 

奥に見える、表情が固い人物は韓国のジャン陸軍参謀総長。

撮影日時は2017年5月25日だが、日米韓3カ国の国家間における親密さや距離感が現れた1枚になっている。

日米の強固な絆が感じられる一方で、やはりジャン陸軍参謀長の距離が遠い。

もしかして、このような写真を演出し、また防衛省公式サイトに掲載させたのは岡部なのではないか、と言えば、考えすぎだろうか。

 

◆岡部俊哉 陸上幕僚長たる陸将 主要経歴

昭和
56年3月 防衛大学校卒業(第25期)
57年3月 第2師団第9普通科連隊
59年8月 第1空挺団空挺普通科群
62年9月 空挺教育隊

平成
元年8月 幹部候補生学校
3年8月 幹部学校(指揮幕僚課程)
4年1月 3等陸佐
5年8月 第4師団第40普通科連隊中隊長
7年3月 陸上幕僚監部教育訓練部
7年7月 2等陸佐
10年3月 陸上幕僚監部防衛部
12年1月 1等陸佐
13年8月 陸上幕僚監部人事部補任課人事第1班長
15年8月 第28普通科連隊長兼函館駐屯地司令
17年3月 陸上幕僚監部防衛部運用課長
18年3月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課長
18年8月 第1空挺団長兼習志野駐屯地司令 陸将補
20年8月 西部方面総監部幕僚副長
22年7月 陸上幕僚監部教育訓練部長
24年7月 第6師団長 陸将
25年8月 防衛大学校幹事
26年8月 統合幕僚副長
27年3月 第35代北部方面総監
28年7月 第35代陸上幕僚長
29年8月 陸上幕僚長を辞任、退役

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/about/2016/20160929.html

防衛省陸上自衛隊公式Webサイト(会合の様子)

http://www.mod.go.jp/gsdf/about/2017/20170612.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/about/2017/20170627tsls.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/about/2017/20170627tsls.html

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8件のコメント

私も岡部俊哉幕僚長を尊敬しています。
南スーダンの日報の隠ぺいの件については、岡部幕僚長の主張を信じています。
嘘つきの稲田がまだ政治家をやっていることに腹立たしく思います。
「無理が通れば、道理引っ込む」とは、このことですね。

トモコ様
コメントありがとうございました。
岡部元陸幕長の件は本当に残念でした。
あの当時は、自衛隊に「駆け付け警護」の新任務を付与する国会論戦が盛んな頃でした。
南スーダンの実態がそのまま伝わるとマズイことになると政治家サイドが考えたというのが自然な推測だと今も考えています。
いずれにせよ、岡部元幕僚長が今、充実した毎日をお送りされていればと願っています。
防衛関係の論客などで、メディアに登場してくれれば嬉しいのですが。

御巣鷹の事故の時に、救助に駆け付けた若き指揮官、岡部俊哉元幕僚長。
26歳くらいでしょうか?
その若さで、あの大事故の指揮官に任命されるなんて、すごい事です。
傀儡の稲田を失っても日本には影響はないが、岡部元幕僚長を
失ったことは、日本国の大損失だと思います。

日報問題がシビリアンコントロールに触れるのなら、民主党菅政権時の東日本大震災時の火箱陸幕長の各方面総監への適切な指示はどうなるんでしょう?所詮民主党なんてこんなものなんですね…
火箱陸幕長の職を徒した判断が多くの国民を救出したのはご存知の通りです。

退役自衛官様、コメントありがとうございます。
岡部陸幕長の更迭は、いろいろな意味で本当に残念でした。
この国の政治家はまだ、制服組に比べて最後の覚悟が足りないと、強く思い知らされた出来事の一つです。
震災時の対応は、もちろん言わずもがなです。

岡部氏「情報公開と文書管理業務に関する不適切な対応で、国民の皆様に多大な疑念を抱かせたことを痛切に受け止め、深くおわび申し上げる」
まだちゃんと反省してるかな。辱めはぜひ忘れなきよう。

私も、岡部元陸幕長の件は、今をもっても納得できないと思っています。政治家が、己の責任を、岡部元陸幕長に責任をかぶせてうやむやにする、体質、政治家が、政治やになってしまっている状況、誠に残念に思います。
現在の自衛官の活動及び、活躍については、言うまでもなく、特に、陸上自衛官の活動については、誰もが認めることだと思います。九州での豪雨災害、献身的に活動している姿に、感謝します。岡部元陸幕長の二の舞は、絶対にさせては、いけないと思います。

コクボウボウズさまコメントありがとうございました。
本当に同感です。
せめて今、岡部陸幕長が充実した第二の人生を歩まれていることを、お祈りするばかりです。

退役後、何度かイベントでお会いしましたが、現役の頃よりもむしろお元気そうでした笑

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