廣田耕士朗(第43普通科連隊長・1等陸佐)|第37期・陸上自衛隊

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廣田が陸上自衛隊に入隊したのは平成5年3月。

1等陸佐に昇ったのが24年7月なので、1選抜後期でのスピード出世ということになる。

その初任地は、平成5年10月に着任した大阪に所在する第3師団隷下の信太山駐屯地。

そして廣田はこの初任地で、平成7年1月の阪神大震災を経験し、わずか25歳で国家的有事の前線に立つことになった。


(画像提供:陸上自衛隊第8師団公式Webサイト

当時の廣田の役職は、初級幹部で赴任したての小隊長。

おそらくまだ、ベテラン陸曹の助けを借りながらの小隊指揮であったのではないだろうか。

それでも自ら倒壊した家屋をかき分け、生存者の救出に奔走。

しかしながら、都市直下型地震の厳しい現実を目の当たりにし、消えていった多くの命を目の前で見送ることになった。

その事が、廣田の自衛官としての大きな原点になったのだろう。

43普連長に着任後は、想定される南海・東南海地震に備えた防災体制の構築に特に力を入れる。

我が国の自衛官らしく、国民の命を守る使命を強く感じたことを強調しているのが、とても印象的な着任会見であった。

 

なお、その廣田は防衛大学校第37期の卒業ということになるが、37期組は2018年8月の将官人事で最初の陸将が選抜された年次にあたる。

この記事をポストしている段階では、まだ異動が発表されたばかりであり誰が37期の1選抜将官なのか把握していないが、37期はこれからまさに、我が国の国防の中枢を担っていく世代ということだ。

廣田については、元々法務幹部としての補職経験がある上に、平成19年4月には中央大学に学び、さらに陸上幕僚監部副法務官なども経験している。

そのようなきゃリアを併せて考えると、今後は方面隊や中央の法務幹部として、さらに要職を歴任していくことになるのではないだろうか。

 

一風変わった法務幹部としてのキャリアであり、そのトップは陸将補職である陸上幕僚監部の法務官だ(※1)。

途中、様々な要職を歴任しながら、おそらくそこに向かって補職を重ねていくことになるのではないだろうか。

今後ともその活躍には注目をし、そして応援していきたい。

 

※1
第43普連公式Webサイトに記載されている廣田の公式プロフィールには、平成26年8月から陸上幕僚監部の法務官であった旨の記載があるが(2018年7月現在)、副法務官の誤りであると思われる。そのため、下記の補職一覧では副法務官に修正している。

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。


(画像提供:陸上自衛隊第8師団公式Webサイト

◆廣田耕士朗(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
5年3月 陸上自衛隊入隊(第37期)
5年10月 第37普通科連隊(信太山)
12年3月 第5師団司令部法務幹部
13年8月 幹部候補生学校区隊長(久留米)
15年8月 幹部学校(指揮幕僚課程49期)
17年8月 第40普通科連隊中隊長(小倉)
19年4月 中央業務支援隊付(中央大学)
20年3月 陸上幕僚監部法務官付
22年3月 幹部候補生学校(企画室副室長)(久留米)
24年4月 第4師団司令部第1部長(福岡)
24年7月 1等陸佐
25年8月 幹部学校(統合短期課程8期)
25年7月 陸上幕僚監部法務官付
26年8月 陸上幕僚監部副法務官
28年8月 陸上自衛隊幹部学校教官
28年12月 第43普通科連隊長(都城)

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