梶元大介(かじもと・だいすけ)|第32期・海上自衛隊

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梶元大介は昭和41年2月生まれ、兵庫県出身の海上自衛官。

防衛大学校第32期(土木工学)の卒業で、幹候は39期だ。

 

平成28年12月(2016年12月) 第45代第3護衛隊群司令・海将補

前職は横須賀地方総監部管理部長であった。

 

32期組のトップエリートの一人である梶元だ。

護衛艦はまゆき艦長を皮切りに、水上艦艇幹部のど真ん中を歩み続け、また海上幕僚監部では防衛課を中心に補職されるなど、いかにもエリートらしい経歴に溢れている。

1等海佐以降、市ヶ谷や横須賀を中心に責任あるポストを歴任してきたが、第3護衛隊群司令のポストで、はまゆき艦長以来の舞鶴勤務となった。

 

第3護衛隊群は舞鶴に司令部を置き、第3護衛隊と第7護衛隊をその隷下に置いている我が国の主要な護衛隊群だ。

第3護衛隊にはDDH(ヘリ搭載型護衛艦)のひゅうが、DDG(ミサイル護衛艦)にしてイージス護衛艦であるみょうこう及びあたご、DD(汎用護衛艦)の最新鋭艦であるふゆづきが所属。

第7護衛隊にはいずれも実績十分で信頼性の高いDDであるゆうだち、まきなみ、すずなみ、せとぎりが所属しており、極めてバランスの良い、実戦においてあらゆる局面に対応できる戦力が揃っている。

特に第7護衛隊に所属する各護衛艦は、単にカタログスペックというだけでなく、信頼性の上でも実績十分であり、その汎用性の高さは極めて頼もしい。

 

ミサイル防衛構想の最前線にある第3護衛隊のイージス艦と併せ、極めて強力な実力部隊であり、日本海の安全を担保して、我が国の平和を守り続けている。

 

その第3護衛隊群を預かる梶元が海上自衛隊に入隊したのは、昭和63年3月。

1等海佐に昇ったのが平成19年1月なので同期1選抜、32期組1番乗りでのスピード昇任であった。

その後、海将補に昇ったのが平成28年12月なので、こちらは同期1選抜に比べ3年余り遅れたことになった。

その分、1等海佐として現場指揮経験を十分に積んだ上での、海将補昇任であったと言って良いだろう。

 

その32期組は、1番出世の者でもまだ海将に届く年次にはなっていない。

最初に海将に昇るものが出るのは恐らく2019年夏の人事であり、この時に海将に昇任したものが、32期組の海上幕僚長候補として名乗りを上げることになる世代だ。

そしてその候補者である海将補には、2017年11月現在で以下の者たちがあり、それぞれの補職で最善を尽くし任務にあたっている。

 

二川達也(32期)・第31航空群司令(2013年8月)

伊藤弘(第32期)・内閣審議官(国家安全保障局担当)(2013年8月)

白根勉(第32期)・ 海上幕僚監部総務部副部長(2014年12月)

小座間善隆(第32期相当)・潜水艦隊司令部幕僚長(2015年3月)

柴田弘(第32期相当)・防衛装備庁長官官房艦船設計官(2015年8月)

梶元大介(第32期)・第3護衛隊群司令(2016年12月)

中村敏弘(第32期)・第1航空群司令(2017年8月)

※肩書はいずれも2017年11月現在。( )内の数字は将補昇任時期。

 

上記の並びは海将補への昇任順だ。

このようにしてみると、32期組は二川と伊藤の両名が突き抜けた状態で、あるいはこの両名が最終的な海上幕僚長レースの出走馬となるだろう。

本来であれば、ここにもう1名くらい、半年遅れほどでも昇任しているのが海上自衛隊の人事の慣例であるが、32期は結果として2名になってしまった。

そしてその「もう1名」は、あるいはその充実したキャリアから見て、梶元であったのかもしれない。

しかし、そうはならなかった。

そこには一つの理由がある。

 

 

それは、梶元には一つの「厳しい事実」があるということだ。

2011年3月6日、第11護衛隊司令で1等海佐であった梶元は、痴漢の嫌疑がかけられ、神奈川県警港北署に逮捕されたという経歴がある。

 

この引用は正しく為されるべきなので、当時の状況を伝える日経新聞を引用すると、

 

駅のエスカレーターで女性の下半身を触ったとして、神奈川県警港北署は6日までに、海上自衛隊第11護衛隊所属の1等海佐、梶元大介容疑者(45)=横浜市港北区大倉山5=を県迷惑防止条例違反(痴漢)の疑いで現行犯逮捕した。

同署によると、梶元容疑者は当時、酒に酔っており、「ふらついて体がぶつかったが、触ったわけではない」と否認している。

(日経新聞電子版2011年3月6日版)

 

となっている。

これだけでは当時の状況が全くわからず、梶元が非難されるべき行為を行ったのか、それともこの通りに、事故であったのか。

事実関係はまるでわからない。

ただひとつ言えることは、恐らく順調な出世ルートにあった梶元にとっては、大きなダメージとなったであろうことは間違いないことだ。

 

そして梶元は、この「事件」からわずか5ヶ月後に海上幕僚監部防衛課長というエリートポストに異動している。

 

公務員は、禁錮以上の有罪判決が確定すると自動的に懲戒免職となる法律の定めがある。

一方で、強制わいせつではなく痴漢であれば、おそらく迷惑防止条例違反が逮捕容疑だ。

もしそうであれば、恐らく有罪であっても罰金刑だろう。

罰金刑であれば懲戒免職となるかどうかは、任用者の権限の範囲となるために略式起訴され罰金刑となったのか、あるいは嫌疑不十分で不起訴となったのか、もしくは示談が成立して起訴猶予となったのかは、さすがに知りようがない。

 

しかしながら、「事件」から5ヶ月後には海幕の要職に栄転になったことを考えると、書類送検すらされずに即日釈放されたと考えるのが常識的な線だ。

あるいは最大限の疑いでも、嫌疑不十分で不起訴になったと考えるべきだろう。

つまり、犯罪の事実があったとは認められないという判断だ。

防犯カメラの密集する駅構内での出来事であり、防衛省の処分が無かったことと併せても、その蓋然性は高い。

 

にも関わらず、2017年11月現在、梶元の名前を検索すると痴漢で逮捕された当時の記事ばかりが出てきて、梶元は完全に性犯罪者の印象を被せられている。

完全に、メディアによる私刑だ。

 

万が一、冤罪で逮捕されたということであれば、当時の記事がこれほどまでに残っている状況は異常そのものだ。

海上自衛隊は梶元の名誉回復のために、もっと尽力しなければならない。

 

事実はわからないものの、梶元が補職されているポストの重要性から考えると、事実関係は明らかにされるべきであろう。

そうでなければ、その隷下にある幹部曹士の士気にも関わることになり、大きくは安全保障上の懸念にもなりかねない事態であると言えるだろう。

 

客観的な状況を見ると、梶元がその手腕を発揮し活躍をする上で、それを妨げるような要素は何一つない。

ぜひ、このようなメディアの私刑を気にせず、任務に励んでくれることを心から期待したい。

 

本記事は当初2017年7月11日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月21日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

 

◆梶元大介(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
63年3月 海上自衛隊入隊(第32期)

平成
11年1月 3等陸佐
14年7月 2等陸佐
15年3月 海上幕僚監部防衛課(市ヶ谷)
17年3月 護衛艦はまゆき艦長(舞鶴)
18年3月 護衛艦隊司令部幕僚(横須賀)
19年7月 1等陸佐
20年7月 海上幕僚監部防衛課(市ヶ谷)
21年8月 海上幕僚監部防衛課防衛班長(市ヶ谷)
22年7月 海上幕僚監部防衛課防衛調整官(市ヶ谷)
22年12月 第11護衛隊司令(横須賀)
23年8月 海上幕僚監部防衛課長(市ヶ谷)
24年7月 護衛艦隊司令部訓練主任幕僚(横須賀)
26年9月 横須賀地方総監部管理部長(横須賀)
28年12月 第3護衛隊群司令(舞鶴) 海将補

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 第3護衛隊群公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/ccf3/gre/index.html

Official Website of the United States Navy(カールビンソン訪問写真)

http://www.navy.mil/view_image.asp?id=234097

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