【退役】畠野俊一(はたの・しゅんいち)|第28期・海上自衛隊

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畠野俊一は昭和37年2月17日生まれ、鹿児島県出身の海上自衛官。

防衛大学校第28期(航空工学)の卒業で幹候35期、出身職種は飛行で固定翼操縦士だ。

 

平成30年3月(2018年3月) 海上自衛隊幹部学校副校長・海将補のポストを最後に退役となった。

前職は第31航空群司令であった。

 

固定翼機のパイロットとして活躍し、また海上自衛隊特別警備隊の第3代・第5代の隊長を務めた畠野だ。

パイロットでありながら特別警備隊の副長も務め、その後特殊事情もあり特別警備隊長を4年4ヶ月も務めるなど、異色のキャリアを歩み、退役となった海将補であった。

 

また、第31航空群司令のポストでは畠野本人にいろいろなことがあり、わずか3ヶ月で幹部学校副校長に転任。

そのポストを最後に退役ということになった。

 

長い間、お疲れ様でした。

第二の人生も、どうぞお元気でお過ごし下さい。

 

【以上、2018年4月2日加筆】

※以下は2017年7月21日までに記してきた記事であり、最新の情報を反映していない。

 

固定翼哨戒機のパイロットとして多くの現場を歴任し、また部隊指揮を執ってきた畠野だ。

防衛大学校を第28期で卒業すると、第3航空隊配属を皮切りに、第6航空隊、第51航空隊など、各地で現場指揮を経験し、また1等海佐に昇任後はそれら部隊の司令として活躍。

我が国の平和と安全に大きな役割を果す固定翼哨戒機のエキスパートとして非常に数多くの実績を積み上げてきた。

 

その一方で、畠野のキャリアで特筆するべきは、やはり平成14年4月からの特別警備隊副長と、18年3月及び20年12月から務めた、第3代・第5代の特別警備隊長のポストだろうか。

通常、一度転出したポストに幹部がもう一度戻ってくるという人事は、余程の特殊事情がない限り、自衛隊では考えられない。

この場合も特殊事情があり、第4代隊長の熊谷公夫(第29期相当)が在任中であった2008年、既にエリミネートの意志を示していた学生に対し、特殊部隊の「訓練」と称して1対15の過酷な格闘訓練を実施。

そしてこの訓練中に受けた打撃が元となり、当該隊員が急性硬膜下血腫で死亡するという痛ましい事故が発生し、第4代隊長が更迭されたことに依る。

 

この事件については、すでに学生が原隊復帰を希望していた中で発生した事故でもあったことから、特別警備隊の実質的な創設者で初代先任小隊長であった伊藤祐靖・元2等海差は慎重に言葉を選びながらも、その著書の中で本件を激しく批判しているのが印象的だ。

そして伊藤氏は、実名こそ伏せているが「3代目隊長」という形で畠野を、その著書に登場させている。

 

余談ついでにお話をすると、それは特別警備隊所属の、優秀だが異端児である部下について語る下りだ。

この部下は問題行動も多く、特に上官に対して敬礼をしないという、自衛官として致命的な問題を持つ困った男であったそうだ。

そして伊藤がその理由について問うと、

「敬礼とは利き腕を預ける行為です。だから自分はワッペン(階級章)に敬礼はしません。尊敬できる上官にのみします。」

と答えたそうだ。

 

この信念を曲げることなく実践し続けた彼は、伊藤が海上自衛隊を去った1年後に特警隊を離れるのだが、離任式において「3代目隊長」への敬礼を拒否するという前代未聞の振る舞いを本当にやらかしてしまい、特警隊を追放扱いになったという。

「3代目隊長」の意向なのか、周囲が気を回したのかはわからないが、なんとも興味深いエピソードだ。

このあたりの下りは、その著書、  国のために死ねるか  の中で詳しく述べられているが、非常に興味深い本なので、気が向いたら一読して欲しい。

 

3代目隊長として登場する畠野にはやや迷惑な話かもしれないが、何の縁か第3代隊長から海幕の広報室長に転じてわずか9ヶ月後、今度は第5代隊長として再び特警隊に戻ってくるとは思いもしなかっただろう。

 

 

さて、その畠野だが、平成28年12月に第31航空群司令に着任した直後の2017年1月、週刊文春に「不倫エリート自衛官」と実名で掲載され、なかなか凄い内容を書き立てられる騒ぎになった。

そして、飛行畑のエリートにとって花形とも言える第31航空群司令のポストをわずか3ヶ月で終え、幹部学校副校長に異動になってしまった。

 

記事自体は、掲載媒体が週刊文春でもあり、事実かどうかについて全く信憑性を判断できるものではない。

その一方で、極めて短期間で異動になったことは事実上の更迭と見做されてしまった印象になった感がある。

この件に関し、事実関係はもちろん把握しておらず、また把握していたとしても書く必要性は感じないが、なんともやりきれない騒動になってしまったことだけは間違いないだろう。

 

28期という年次もあり、なかなか巻き返しが厳しいところだが、まずは与えられた職務で結果を出していくしか無さそうだ。

 

 

◆畠野俊一(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 防衛大学校卒業(第28期)
62年11月 第3航空隊

平成
3年3月 防衛大学校指導教官兼訓練教官
5年2月 第6航空隊
7年3月 海上幕僚監部総務課兼副官
8年8月 第51航空隊
11年1月 2等海佐
11年3月 長官官房広報課報道室
13年3月 第1術科学校
14年4月 特別警備隊副長
15年1月 1等海佐
16年12月 第5航空隊司令
18年3月 特別警備隊長
20年3月 海上幕僚監部総務課広報室長
20年12月 特別警備隊長
22年4月 海上幕僚監部厚生課長
24年7月 第51航空隊司令
26年8月 第5航空群司
26年8月 海将補
28年12月 第31航空群司令
29年3月 海上自衛隊幹部学校副校長
30年3月 退役

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 幹部学校公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/greetings/greetings_vice.html

http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/i-FWS/news/2017/0004.html

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4件のコメント

初めまして、私の主人は2年前、この方(畠野俊一様)から定年退職行事をしていただきました。会食では気さくに話してくださり、ユーモアのある方でした。本当にお疲れさまでしたと申し上げたいです。

Maki Nogami様コメントありがとうございました。
Maki Nogami様のご主人様も、本当に長い間お疲れ様でした。
第二の人生も充実されていますことを、お祈り申し上げます。

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