國友昭(中部方面混成団長・1等陸佐)|第29期・陸上自衛隊

国友昭(くにとも・あきら)は高知県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候66期、職種は普通科だ。

生年月日は判明しないが、昭和37年度の生まれで間違いないと思われる。

平成29年8月(2017年8月) 中部方面混成団長兼ねて大津駐屯地司令・1等陸佐

前職は第14旅団副旅団長兼ねて善通寺駐屯地司令であった。

なお、中部方面混成団長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】任務完遂

【要望事項】感動、感激、感謝

【駐屯地司令要望事項】感謝と笑顔


(画像提供:陸上自衛隊中部方面隊公式Webサイト


(画像提供:陸上自衛隊大津駐屯地公式Webサイト

2018年11月現在、中部方面混成団長兼ねて大津駐屯地司令を務める國友だ。

冒頭から直球で恐縮だが、おそらく間もなく、このポストを最後に退役になることは間違いのない幹部である。

そしてその退役までにもう一度、記事を更新してご紹介したいと思っていた自衛官でもある。

ではなぜ、國友が退役する前にもう一度、ご紹介しておきたかったのか。

それは國友が、あの東日本大震災発災時の、第22普通科連隊長(宮城県・多賀城)であったからだ。

あの未曾有の災害のど真ん中にあり、第22普通科連隊の幹部曹士や國友はいかにして戦ったのか。

そのことをどうしても、お伝えしておきたかった。

改めて当時を、もう一度振り返ってみたい。

「その時」は文字通り、誰も予想していない中でやってきた。

國友が第22普通科連隊長に着任し、1年半が経過した2011年3月11日のことだ。

東北地方で震度7を記録した強烈な揺れは、遠く離れた関東の沿岸埋立地にも壊滅的な被害を出す。

さらに中国・四国地方でも体感できる揺れを観測するなど、まさに日本中が大震災を体で感じることになった歴史に残る一日だ。

その発災時、國友は王城寺原演習場に射撃演習に出掛けており、多賀城駐屯地に不在であったが、なにせあの激烈な揺れだ。

直ちに上級単位である第6師団長に連絡を取り、災派(災害派遣)の準備にかかることを伝え終わるのだが、すぐに携帯電話が不通になる。

急いで駐屯地に帰ろうにも、道路は大渋滞で遅々として進まない。

そんな中、やっとの思いで駐屯地に戻ると、そこには既にグラウンドに整然と並ぶ車列が國友を待ち構えていたそうだ。

万端の準備を終えて、國友の命令を待つばかりの自衛官たちが士気も旺盛に指揮官の到着を待ちわびていたのである。

これには國友も、「部下の手際の良さに感動した」という程であったが、状況は過酷であった。

大津波警報の発令だ。

多賀城駐屯地は海岸から2km離れた内陸部であったため、災害時の津波ハザードマップでも安全地帯とされていたエリア。

にも関わらず、14時30分に駐屯地に帰隊した國友は、尋常ではない揺れから勘案し隷下の隊員たち全員に、直ちに屋上に避難することを命令。

そして隊員全員が屋上に避難し終えた僅か数分後の14時59分、多賀城駐屯地を津波が襲い、万端の準備を整えた災派車両は全て津波に呑み込まれることになってしまった。

さらにこの過酷な状況下にあって、追い打ちを掛けたのは夕暮れからの降雪だ。

大震災と津波、それによって破壊し尽くされた町並みがみるみる白く染まっていく。

この状況は極めて危険であり、被災者たちの生命を1晩で奪い尽くしてしまうだろう。

この状況下にあり國友は「1分でも1秒でもいいから早く展開しろ!」と隷下部隊に命じ、水没した車両を放棄してボートに乗り、演習手順通りの持ち場に各部隊を展開させ、人命救助にあたることになる。

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