植松佳郎(うえまつ・よしろう)は昭和43年生まれの陸上自衛官。
防衛大学校第35期の卒業で幹候72期、職種は武器科だ。
平成31年3月(2019年3月) 第101不発弾処理隊長・2等陸佐
前職は関東補給処吉井弾薬支処総務科長であった。
(画像提供:陸上自衛隊第15旅団公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第15旅団公式Webサイト)
2019年5月現在、第15旅団隷下、第101不発弾処理隊長を務める植松だ。
沖縄の那覇に所在し、日本一の不発弾処理件数を扱う、極めて危険な任務を日常的に遂行する部隊として知られる。
その出動件数は年間平均で600件以上にも及び、毎日1発以上は、不発弾の処理をすることが当たり前の任務を過ごしている。
ベテラン隊員によっては、「1日9件の出動があったこともある」という猛者もいるなど、その厳しさが際立つ部隊だ。
なお、言うまでもないことだがこの101処理隊の扱う不発弾は、そのほぼ全てが、先の大戦で米軍により打ち込まれたものだ。
その苛烈さを物語るように、自衛隊が全国で扱う不発弾処理のおよそ90%以上が、この101処理隊の仕事となっている。
全国各地に激しい空襲を受け、多くの死傷者が出た事実はあるものの、やはり沖縄は上陸戦の舞台となった分、その数は桁違いとなっている。
そんなこともあるのだろう。
この第101不発弾処理隊は2014年、民間が主催するものとしては唯一となる自衛隊・自衛官を表彰する制度である「国民の自衛官」に選ばれ、表彰をされた。
戦後から40年以上に渡り、3万5000件にも昇る不発弾を無事故で処理し続けてきた功績が讃えられたものだ。
更に今も、昼は3交代制、夜は4交代制で24時間365日、彼ら・彼女らは出動待機体制を維持している。
そして昼であれば10分以内、夜であっても30分以内に出動して不発弾の状況を確認。
その危険度に応じて直ちに周囲を封鎖するなどして、国民の生命と財産を守り続けてきた。
このような防人たちの献身的な活動を、私たちはどれだけ知っているだろうか。
ちなみにこの「国民の自衛官」表彰制度は、産経新聞社が主催して行っているものだが、繰り返すがこのような制度は、民間が主催するものとしてこれしかない。
恐らく、「国民の自衛官」表彰制度で初めて、101不発弾処理隊の存在や活躍を初めて知った人も多いはずだ。
本当にこれでいいのだろうか。
一般に産経新聞は右派と呼ばれ、自衛隊の活躍にも好意的である報道が多いとされる。
しかし、このような命の危険を顧みず、国民の生命と財産を守るために日夜勤務に励む幹部曹士の活躍を紹介することは、果たして思想の問題だろうか。
私たちの知らないところで日夜、24時間365日体制で私たちの生活を守る人たちの存在をクローズアップし感謝することは、人として当然の感情の発露ではないだろうか。
もし彼ら・彼女らの活躍を讃え、その苦労に思いを馳せることが右派と呼ばれるのであれば、喜んで右派と呼ばれたいと思う。
それほどまでに、厳しい自衛隊の各部隊の中でも、特に命の危険と隣り合わせの部隊である第101不発弾処理隊だ。
ぜひ、沖縄・那覇の地で、昨日も、今日も、そして明日も不発弾処理に出動しているであろうこの精鋭部隊の活躍に思いを馳せ、一人でも多くの人に注目して欲しいと願っている。
では、そんな精鋭・第101不発弾処理隊を率いる隊長の植松とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見てみたい。
第2師団の垂水さんも35期です。
彬様ありがとうございました!
間もなく、防衛年鑑2019が発売されますので、各期の将官名簿を全てキレイにまとめ直しますね!
癒されるので是非紹介してください(笑)
はいはい、何をご紹介しましょうか?
やはり癒される顔と連隊長の時の活躍や西方で湯浅総監の下で防衛部長として勤務されたことがですかね!